ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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「ろくぢ」こそ神意の核心

 明治20年から数えて124年目の1月26日が巡ってくる。
 改めて心を定めるとすれば、26日前後の教祖と初代真柱との問答、飯降伊蔵を通してのおさしづを通して、「一れつろくぢに踏み均す」ことこそ、最後に言い残された神意の核心に違いないことを再確認しなければならない。
 次に、この神意に関連あるさしづの節々を読み返してみたい。
 
 明治20年1月13日 教祖を通しての啓示。
「さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」
「さあ/\実があれば実があるで、実と言えば知ろまい。真実というは、火、水、風」
「さあ/\実を買うのやで。価を以て実を買うのやで」


 明治20年2月17日(陰暦1月25日)飯降伊蔵により願
「さあ/\すっきりろくぢに踏み均らすで。さあ/\扉を開いて/\、一列ろくぢ。さあろくぢに踏み出す。さあ/\扉を開いて地を均らそうか。扉を閉まりて地を均らそうか/\」

 その前後、1月25日の夜に至るまで1ヵ月の間、毎夜々々かぐら・てをどりが続けられたが、急にその夜になって教祖のお身上よろしからず、飯降伊蔵を通して神意を伺うと、
「さあ/\すっきりろくぢに踏み均らすで、さあ/\扉を開いて/\一列ろくぢ、さあろくぢに踏み出す、さあ/\扉を開いて地を均らそうか、扉を閉まりて地を均らそうか/\」
 一同が相談の上、扉を開いてろくぢにならして下されたいと答え、なおも教会設置の事を願うと、
「ならん/\/\。取り違えてはならん。もっと迫って居る」
 と、お知らせ頂いた。

 いよいよ陰暦正月26日、おつとめ日となった。教祖伝には次のように記述されている。
「近郷近在からは多数の参拝人が詰めかけている。しかも、官憲の目は厳しく、一つ間違えば、お身上中の教祖をも拘引しかねまじい剣幕である。人々はこの板挟みの中に立って、思案に暮れた」
 そこで、思召を伺った一節に、
さあ/\一つの処、律が、律が怖わいか、神が怖わいか、律が怖わいか、・・・」
 と、重大な刻限が迫っていることを啓示されるに及んで、ついに真之亮以下「命を捨てても」の覚悟でつとめを実行する心を定めたのであった。

「十分道と言えば、世界から付けに来る。世界からろくぢ(平地)という道を付き来る。(今は)濁った/\道でどうもならん」(21.3.9)
「扉を開いて、世界をろくぢに踏み均らすと言うてある。扉を開いて、世界をろくぢに踏み均らしに廻りて居る。なれども、皆んな、案じてどんならん(どうもならん)」(21.7.1)


 明治22年3月10日、松村吉太郎三月六日のおさしづに「生涯の理も諭そ」との事に付伺
「さあ/\最初初めというものは、難し処より始め掛け。さあ/\世界ではもう取り払いや/\と言うた日も、幾度も幾度もある。又、取り消した、又差し止めた事もある。さあ/\正月二十六日と筆に付けて置いて、始め掛けた理を見よ。さあ/\又正月二十六日より、やしろの扉を開き、世界ろくぢに踏み均らしに出て始め掛けた(神一条の道の)理と、さあ/\取り払うと言われて(官憲が実行)した理と、二つ合わせて理を聞き分けば、さあ/\理は鮮やかと分かるやろ、と。よく聞き分けてすれば、分からんやあろまい。世界ろくぢに踏み均らしに出て居る。疑いもあろまい。なれど疑い心があるなれば、尋ねて見よ。神は幽冥と思うやろ。幽冥と思うなよ。五十年以前の道の理を思案して見よ。神は嘘と追従これ嫌い。……」

ここで「おふでさき」の中で、世界が平和に治まるための必須の条件をしるされているおうた(第十三号43~52)を拝読したい。
 せかいぢういちれつわみなきよたいや
     たにんとゆうわさらにないぞや
 このもとをしりたるものハないのでな 
     それが月日のざねんばかりや
 高山にくらしているもたにそこに 
     くらしているもをなしたまひい
 それよりもたん/\つかうどふぐわな 
     みな月日よりかしものなるぞ
 それしらしみなにんけんの心でわ 
     なんどたかびくあるとをもふて
 月日にハこのしんぢつをせかいぢうへ 
     どふぞしいかりしよちさしたい 
 これさいかたしかにしよちしたならば 
     むほんのねへわきれてしまうに
 月日よりしんぢつをもう高山の 
     たたかいさいかをさめたるなら
 このもよふどふしたならばをさまろふ 
     よふきづとめにでたる事なら
 この心たれがゆうとハをもうなよ 
     月日の心ばかりなるぞや


 原典の神意は、人類はみな「一れつ兄弟姉妹」の自覚がないのは、元始まりに「同じ魂」を分け与えられ、みな同じいのちを借りていることを知らないからである。そのため生まれつき高低があると思い込んで、人が人を支配したり・されたりしている。人はすべて「同じ魂の一れつ兄弟姉妹」という真実を承知させ「一れつろくぢに踏み均す」世の中を実現することにある。

 にもかかわらず、その神意の核心を天理教自体が、神の啓示と教祖ひながた通り実現する努力を続けてきたとはいえない。世の中は明治の頃と比べると、ずいぶん「ろくぢ」になったことは事実だが、天理教内は現在も相変わらず高低が残存したまま、神意に添って「ろくぢ」に改革しようとする動きは見られない。
 とすれば「ようぼく」が、原典を元として神一条の真実に目覚め、神意の核心に焦点を合わせて、現実を変革するための、いわば市民運動を展開していくことが、親なる神の望みに応えることとなるだろう。
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Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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