ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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ラジオ深夜便「ニッポン再発見」を聴く

 眠れぬままに深夜のラジオ深夜便を聴くことが時々ある。数日前も深夜0時を境にミッドナイト・トークという番組で、小椋 佳(おぐら・けい、作詞・作曲家)さんが女性アナウンサーのインタビューに答えていた。「わたしのニッポン再発見」というテーマであった。
 小椋氏の話は以前にも「なるほど」と頷きながら聴いたことがあったので、その夜も眠るのを忘れて聴き入った。
NHKラジオ深夜便で2月7日まで公開中)
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 翌日、小椋氏のプロフィールを再確認したいとGoogleで検索すると、次のような記事が掲載されていた。
<1944年1月東京、上野に生まれる。67年東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(現みずほ銀行)に入行。同行に約四半世紀勤務、浜松支店長・本店財務サービス部長等を経て93年退職。94年東京大学法学部に再入学。文学部思想文化学科に進み、哲学専攻にて2000年大学院修士号取得。この間、71年初アルバム「青春・砂漠の少年」を発表。3作目のアルバム「彷徨」は100万枚のセールスを突破。以来、ソングライターとして、布施明、中村雅俊、堀内孝雄、美空ひばり等、多数のアーティストへ作品を提供。「シクラメンのかほり」「俺たちの旅」「夢芝居」「愛しき日々」「愛燦燦」など多くくのヒット作品がある。現在もなお精力的に創作活動、若手の育成に励む。>
 その他、布施明の「シクラメンのかおり」井上陽水の「いっそセレナーデ」なども小椋氏の作品であることを初めて知った。
 
 小椋氏はシンガーソングライターとしては異色の経歴の持ち主であり、一流企業の管理職に就きながら歌をつくり歌いつづけるというのは、まるで正反対のイメージで、よほど天与の才能に恵まれていなければ両立は不可能だ。
 その夜、小椋氏はさすがに洗練された歌曲の作者として日本語の独自性にふれて、微妙な敬語や情感を表わす言葉は日本語しかないことを強調していた。しかし一方、取材や編集など言葉のプロというべき記者でも、若い世代の語彙が乏しくなっていることを嘆いていた。
 また日本人のあいまいさ、いい加減さに触れて、12月24日にはキリスト教のクリスマスを祝い、大晦日にはお寺の除夜の鐘を聴き、正月が明けると神社に参拝して平気な顔をしている姿は、日本人同士の間なら通用しても外国人には理解されない、との話であった。
 しかし平和を保つためには、外国の一神教よりも日本人のほうが勝っているに違いない。つい数日前もエジプトで、コプト教(キリスト教の一派)の教会にイスラム教徒が自爆テロを仕掛け多数の死傷者が出た事件があった。
 
 ここからはラジオをきっかけにした私の連想になるが、日本語のように漢字・ひらがな・カタカナという3種の文字で表記する言語は他にない。記号にすぎないアルファベットだけの英語は何と味気ないことだろう。日本語でなければ俳句や和歌はつくれないことも確かである。
 一事が万事で、西洋と東洋を融合して両方の長短を止揚して世界に貢献する役目を担っているのが日本であると信じたい。昨年末から宿題として残している近未来の予測において、日本がどんな役割を担っているのか、左脳と右脳の異なる機能の統合という科学的観点からも考えてみたい。
 要するに日本人は、自然環境と日本語で培われた独特の感受性によって、虫の鳴き声や小川のせせらぎ、波や雨の音などを意味のある言葉と同様に左脳で聞き取るが、外国人にとってはそれらの自然の音は右脳の雑音としか聞こえないわけである。もちろんアナログ的な機能をもつ右脳も大事であることは申すまでもない。
 いずれにしても、長所を自覚して大いに自信をもち、短所を謙虚に反省して補正する気持ちが何より大事ではないかと思う。
(追記)
「みかぐらうた」「おふでさき」が数え歌と短歌のかたちで創られていることは、「にほん」の理と深いつながりがあると思われる。それらの原典を中山みき教祖に啓示された「元の神.実の神」こそは、最高のシンガーソングライターと言えるかも知れない。
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Comment

上下思考について 

「にほんの思想」さんが指摘されることに納得できる点もありますが、英語と日本語の優劣を比べるだけが目的ではないと思います。official language さんのホームページの中で、日本人のクセは「上下思考」にあるとされている論点は否定できません。

たしかに、今でも日本人はすべての物事を自分と同じか、自分より上か下かで判断します。そして自分で真偽を判断せずに上の考えに従います。言い換えると権威に弱いのです。自分と同じか下の立場の相手の言うことは、内容に関係なく軽く見ます。要するに、自分で判断せずに「世の中」の基準に合わせるのです。こうした日本人のクセ(いんねん)のおかげで、私は今までにずいぶん苦労してきたものです。

そうした上下思考の否定から出発されたのが教祖ひながたではないでしょうか。一れつろくぢに踏み均すというのは、まさに上と下、高山と谷底の否定に違いないからです。当時、武士や役人が農家の主婦の言葉に耳を貸すはずはなかったのです。その終局が、天皇のために命を捧げた戦争でありました。

教祖ひながたに反する上下思考の古いクセが今も教内に残存していることは否定できない事実です。
日本語にしかない複雑な敬語は、上下思考を守る役割を果たしているとすれば、無条件で肯定できない気がします。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2011.01/18 08:51分 
  • [Edit]
  • [Res]

日本語が大切 

official languageさんのご意見ですが、
どうも国際語としての英語至上主義にひきずられて
いらっしゃるようですね。

日本を含め、世界中の人たちは、小学生のころから
英語を習わされ、時間も手間も金もいっぱいかけて
います。アメリカ人はその世界中の人たちの苦労の
上にあぐらをかいて、どこでも英語で通じさせようと
しています。
だから英語ができればできるほど、アメリカ人ばかり
が得をして、アメリカ流価値観ばかりが通用する
ような事態になってしまい、大問題です。

日本で英語が通用しないのは日本人の誇りです。
母国語があるのに英語が公用語として幅をきかせて
いるのは、フィリピンやインドのような元植民地
だけです。そんな国では英語をしゃべる人間イコール
エリートという言語による階級社会ができてます。

これはまったくの英語帝国主義です。
英語圏では、片言の英語で暮らしていけると
いうのはウソです。
ネイティブの人たちにはかなわないし、
日本なら日本の教養がないと、ばかにされるし
差別されます。

それだったら、みさと先生がおっしゃるように、
日本語のいいところをどんどん世界に伝えていくほうが
大切ではないでしょうか。
外国語を勉強するのだったら、自分が行こうとする国
の言語《母国語》をしっかり学び、国連でも英語以外の
公用語で議論できるようにしていくべきです。
天理教がほかならぬ「にほん」で生れたことに
私たちはもっと目覚めるべきではないでしょうか。
  • posted by にほんの思想 
  • URL 
  • 2011.01/15 10:15分 
  • [Edit]
  • [Res]

貴重なコメントに感謝します。 

日本語の特徴に関連して日本人の欠点を指摘された論文をHPで感銘深く拝読しました。例えば、意思と恣意、現実と非現実、人称や時制の有無、そして上下思考などの論点は同感せざるを得ません。

私は今まで日本人に批判的な面では小室直樹氏の社会学
http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/blog-category-11.html
肯定的な面は岡潔氏の情緒教育論
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/6251/meicho.html
から学んできました。
また大学時代に専門的に英語を勉強したことが論理的な作文に有効であったと自覚しています。

ただ、英米文化によって世界が救済されていない原因を明らかにする必要を感じています。その原因は理性と感性の分離・分裂にあるとする仮説もあります。
また日本人の上下思考が集合意識として形成されたのは、250年以上続いた徳川幕府時代なのか、もっと古い時代に発生したのか、歴史的な原因から解明する必要があるように思います。

それにしても中山みき教祖は、明治の頃に「世界一れつろくぢ(平地)に踏みならす」と宣言されたにもかかわらず、現実の天理教はあまりにも日本的で、今も絶対神の不信と上下思考にどっぷり漬かっている現状はどうしようもありません。

今後とも貴HPを訪ねて熟読させて頂き、もっと詳しく論旨を理解したいと願っています。とりあえずお礼の返信まで。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2011.01/13 17:14分 
  • [Edit]
  • [Res]

official language 

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812


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Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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