ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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メルマガ・アンコール

 早いもので師走も半ばを過ぎる侯となり、何かと気忙しい日々を過ごされていることと拝察します。
 ヤフーメルマガ(毎週1回配信)を2年あまり続けた後、ヤフーのサービス停止をきっかけにこのFC2ブログに移転したのだが、それからちょうど1年 経ったことになる。当時、メルマガのメンバー登録数は88名であった。現在ブログにアクセスして下さっている人数は不明だが、少しは増加傾向にあると期待している。何よりFC2ブログの使い勝手の良さがありがたい。
 ということで、1年前を振り返るつもりでテキストを読み返していたら、100号目のメルマガに注意が止まった。メルマガのアーカイブをリンクできない事情があるので、久しぶりにアンコールすることにしたい。
 ついでながら、このブログの姉妹版となるHP<天理と刻限>も、開設以来ほぼ11年目に当る今日、のべアクセス数がようやく6万人超となった。


 メルマガ<心のテープ>(100号)
「人間心」について
 配信日:2009/7/2

 今週で100号到達。ここまで続いているのも読者あればこそ、と感謝しています。
 改めてこのメルマガの趣意を確認すれば、<天刻サイト>の姉妹版として、“原典と現実を結ぶ「理」の情報”を発信することにある。
「天理市から発信する」と前置きしたのは、「おぢば」の情報を発信するという意味ではなく、発信者(私)が「おぢば」の近くに住まいしているという意味でしかない。おぢばの公式情報は「天理時報」で十分だし、裏情報のプライベートなスキャンダルに興味はない。
 誤解を招いてはいけないので、途中で「天理市から発信する」のフレーズを削除しようと思ったのだが、Yahooのメルマガはタイトルを変更できないシステムになっている。以上、念のため了解をお願いしたい。
 参考までに記せば、現在の登録読者数は76名と公表されているが、「発行者用ページ」には読者数ランキングが出ていて、<心のテープ>の順位は、カテゴリー(生活と文化→コミュニケーション)内では発行中の1286誌の内で43位、全体では 8432誌内で458位になっている。
 殆どの読者の氏名・住所は不明で、登録されている数しか分からないが、遠く海外のブラジル、カナダ、ニューヨークからメールを送受信している読者もあり、距離を超えたネットの有難さを痛感している。
 なお、mixi に「天理教原典を学ぼう」コミュをつくったところ、海外を含めて58名のメンバーが参加して下さっている。天刻サイトやメルマガのPRしかできずに申し訳なく思っている。

 今週の「人間心」というタイトルは、6月25日に行なった「第3回おさしづ研究会」のテーマでもあり、その報告をかねている。「人間心」または「人間一条の心」の反対は「神一条の心」に違いない。
 会合では、最初に「人間心」を超越した実在の人物として尊敬するN先生(88歳)をお訪ねした報告をした。N先生は天理市内にある教会の現職会長であり、若い頃から「おさしづ」の拝読に徹して身上を克服するとともに、原典を元としたエッセイを「陽気」誌上に発表されている。何度か懸賞に当選されたこともあるので、氏名を明かせばご存知の読者もあるだろうが、ご本人の承認を得ていないので、ここでは匿名とする。
 最近も前栽(天理の一つ手前の駅)にある教会から本部まで自転車で参拝に通われるお元気な姿を拝見したことがある。そのN先生の信条とは「日々心を澄まして百歳まで元気で通らせて頂くこと」とお聞きした。百歳まで元気でいれば、自分の言葉を信用して聞いてもらえるようになる、と。人から聞いた教理を繰り返して言うだけでなく、原典おさしづを拝読し実行すること、日々胸の掃除をして心澄み切って、神にもたれることが大事と言っても、80代の今ではまだ聞いてくれる者はない。自分の言葉を信用してもらえるようになるには、百歳まで元気でいなけれ、と心定めされている。
 10歳以上も年下で、100m歩くだけで足がだるい状態の私としてはお恥ずかしい次第で、改めて教祖ひながたを思い起こさずにいられなかった。教祖の道すがらで「上・高山」への匂いがけとともに踏み込んできた官憲による18回に及ぶ拘留は、殆ど80代以後のことであった。

 人間だから人間心を遣うのは当然ではないのか。そう言ってしまえば元も子もない。原典に示されている人間心とは、神のさしづに心を向けずに、人間だけに目線をおいた考え方、いわば既成の権威や常識に従う心を意味する。そうした見方からすると、秀司様やこかん様が教祖のさしづ通りにできなかったのも人間として当然ということになる。
 この世・人間を創造され守護されている親なる神の実在を信じるか否かで、考え方が180度転換するのが本当だ。自然も生命も神の守護なし一刻も成り立たない真実を前提とするか、人間は地球上で勝手に生まれ偶然に進化したと考えるか、それが神一条と人間一条の違いでもある。

 宗教に深い関心をもつ文化人類学者・上田紀行氏の著書に『覚醒のネットワーク』という名著がある。「覚醒」とは、目を覚まして何かに気づくことだが、上田氏によれば、自分の外側から内側へ心を転換することだという。
 自分の外側とは、いわば「卵の殻」のようなもので、次のような考え方で固められている。つまり「言葉のレッテルを貼る」「他人との違いを気にする」「ひとのせいにする」。地位・肩書・財産・名誉など外側の情報で「卵の殻」は出来ている。その殻を自分と錯覚して執着する心からは、不足不満や無力感しか生まれない。上田氏の指摘する「卵の殻」は「人間心」と共通する意味がある。

 その殻を破って自分の内側に心を向けるとき、初めて「いのち」の神秘に目覚めることができる。もともと卵には、中身に「いのち」がいっぱい詰まっている。卵を一定の温度で一定の期間続けて暖めさえすれば、ヒヨコになって動き回る生きものが産まれるのだ。卵を暖める温度とは、まさに陽気に他ならない。いのちが活性化するには、陽気になりさえすればいいのだ。
 しかも自分の内側で火水風によって守護されている「いのち」は、万人共通の神様からの「かりもの」なのだ。自分の内側とは、魂であると同時に体内でもある。体内では、一刻も休みなく心臓が鼓動し、血液が全身に隈なく循環している。五臓六腑の「ひのきしん」の働きでいのちが守られている。まさに人体は、神の守護による「ご神体」に他ならない。
 自分の内面を意識して、すべての人間は同じいのちを親神様からお借りしていることに目覚めるとき、他人との違いを気にしたり、嫌なことを他人のせいにしたり、他人に言葉のレッテルを貼ったりすることが、いかに間違った考え方であるかに覚醒することができる。
 すべてを「自分のせいにする」こと、「ポストが赤いのも自分のせいだ」と思うことに信心の出発点がある、という受け取り方は真理の一面を衝いている。

『覚醒のネットワーク』を書いた上田氏は、若い頃に2年余り、スリランカの現地調査に携わり、原住民と生活を共にして、「悪魔払いの儀式」について報告している。
 スリランカでは、病気は悪魔が憑いた状態だが、その悪魔は孤独な人を選んで近づいてくると信じている。だから悪魔を追い払うには、みんなが病人を中心に集まって陽気に歌い踊り、病人が孤独から解放されて、みんなと一緒に「わくわくする気持ち」になれば病気は治るという。「わくわくする気持ち」こそは「陽気づくめ」の原点でもある。独りではその気持ちにはなれないので、連帯と協力、つまり「ひのきしん」が大事であり、それこそが「覚醒のネットワーク」といえるだろう。

 ここで、改めて原典を拝読することにしたい。
◎「おふでさき」にしるされた「人間心」
 いまゝでハなにかよろづがハからいで
   みなにんけんの心ばかりで      三ー80
 月日よりをしゑる事ハみなけして
   あとハにんけん心ばかりで     六ー123
 月日にハこのしんぢつをせかへぢうゑ
   どふしてなりとをしへたいから  十三ー33
 それしらず月日ゆう事みなけして
   あとわにんけん心はびかる     十三ー34

◎「おさしづ」に出てくる「人間心」を表す言葉
 ほこり/先案じ/遠慮気兼/嘘・追従・陰口/疑い心/義理、人間の情に流れる/いずむ/我(が)/不足/大層/金銭の心/勝手気侭

◎「人間心」という言葉の出ている「さしづ」の一例
 明治22年3月10日 松村吉太郎3月6日のおさしづに「生涯の理も諭そ」との事に付伺
「さあ/\五十年以前からの道すがら。元(初まりの)泥水(の話だけ)やない。(この道の)元初まりの理を聞き分け。理を見よ。(この道は)人間心で始めたのではない。拵えたのやない。誰に談じてしたのやない。今日は晴天、今日は雨かと、この(天然自然の)理を分かれば、理は鮮やか分かる。さあ/\最初 初めというものは、難し(い)処より始め掛け。さあ/\世界ではもう取払いや/\と言うた日も、幾度も/\ある。又取り消した、又差し止めた事もある。さあ/\正月二十六日と筆に付けて置いて、始め掛けた理を見よ。さあ/\又正月二十六日より、やしろの扉を開き、世界ろくぢに踏み均しに出て始め掛けた理と、さあ/\取り払うと言われて(官憲が邪魔)した理と、二つ合わせて理を聞き分けば、さあ/\理は鮮やかと分かるやろ、と。よく聞き分けて(思案)すれば、分からんやあろうまい。世界ろくぢに踏み均しに出て居る。疑いもあろうまい。なれど疑い粉があるなれば、尋ねて見よ。神は幽冥と思うやろ。幽冥と思うなよ。五十年以前の道の理を思案して見よ。神は嘘と追従これ嫌い」

 
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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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