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ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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メルマガ<心のテープ>アーカイブ 2篇

メルマガ<心のテープ>アーカイブ(76号)
ブータン国王に拍手!
配信日:2009/1/15

 民放テレビにもタマにはタメになる番組がある。先日10日の夜9時からの4ch<世界・ふしぎ発見1>で、テーマは「国民の95%が“幸せ”イケメン王子が実現する理想国家」に拍手を贈りたくなった。ブータン国王のように言行一致していれば、国民がみんな満足するのは当然だ。とはいえ、そうした社会が実現するためには幾つもの条件が前提になるのは確かだが。
 
 第一にブータンは、チベット仏教を国教とする世界で唯一の独立国ということだ。現在の王朝は約100年ほど前に成立し、現在は第5代の国王が即位したばかりで、伝統文化を重んじながら緩やかに近代化を進めているという。つまり、国民は輪廻転生を信じ、今も民族衣装をまとっていると同時に、余程のお年寄りを除いて家族全員がケイタイ電話を持っている。
 とにかく国王が国民と一体になって溶け込んでいる。何かの祭典があって広場に民衆が集まり舞台の上には王座が設けられているのに、その王座は空っぽで、王様は民衆の中に混じって一緒に坐っている。何しろ第3代目の国王は、民衆の実態を知るために頭を金髪に染め黒メガネをかけ、外国人になりすまして街の中へ変装して出掛けて行ったとか。
 
 昨年2008年には初めて憲法が制定され、二院制の議会から内閣を選出する立憲君主制の国となった。首相が言うには「幸せとは、いま自分の手にしていることで十分だと気づくことかも知れない」と。
 それに応じるように昨年王位についた第5代国王は「自分は支配者のような振舞いは絶対にしない。時には国民の親代わりになり、兄弟や息子にもなりたい」と宣言している。
 国民はみな王様や国に恩返ししたいと思っていて、農業を主とする自給自足の生活に満足している。テレビ・キャスターがホームスティしていた家族の様子からも、3世代が同居しながら和気あいあいの不自由のない生活ぶりが窺えた。
 ブータンの経済ば、ヒマラヤ山脈の斜面を利用した水力発電によって得た電力をインドに輸出することによって、国家予算がほぼ賄えるという。だから学費や医療費が全部タダというのだから羨ましい。
 ネットで検索すれば、ブータンはインドと中国に挟まれたヒマラヤ山脈の南麓に位置し、ほぼ九州と同じ面積に人口約66万人と極めて少ない。そのために余裕のある福祉予算と安定した生活が成り立っているのかも知れない。
 凡そ100年前にイギリスから独立した当時の国王が代々続いていて、国民から敬愛される善政を敷いている。議会があり内閣があっても国王の発言権が大きい場合、国政が誤った方向に進む危険を正すことができる。
 日本の場合、象徴となった天皇には政治に影響力を与える発言権はない。かつてタイ国王も同じ立場で国政をリードしていたが、今では国内の政治的混乱を収拾する力が減退したようだ。
 
 幸いにしてブータンは極めて親日的な関係にある。その原因の一つは、半世紀前からブータンに農業技術の指導に赴いた一技術者(西岡京治氏)が農業の改善に尽くした功績が高く評価されていることにある。また20年前から青年海外協力隊が派遣されている。ブータンからの要請を受けて、昨年の春から半年の契約でサッカーの代表監督を日本から派遣した。
 民族衣装は日本の着物によく似ているし、同じモンゴロイドに属するからか顔形も肌の色も日本人と見分けがつかないほどだ。
 
 なぜ私がブータン国王に拍手を贈るのかといえば、国王自身、国民の「親代わり・兄弟・息子」と明言し、言葉通り信念を実行(言行一致)しているからだ。国家に限らずあらゆる組織のトップは、ブータン国王の爪のアカでも煎じて飲むべきではないか。
 わが天理教にも「理の親」という教語がある。その真意は、上に立つ者が「親の代わり」「親の役」になる努力を望まれている神言に由来するのだが、いずれにせよ教内の実情は、ブータン国王の言動と比べて恥ずかしい限りといわざるを得ない。
 最後に念のため、道の上の親子・兄弟に関連する「おさしづ」の啓示を再確認しておきたい。(手書き原典資料 第3部 神一条の道より)
「皆、親の代わりをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。皆、満足さして、元のぢばや親里やと言うて、満足さして帰るのやで。どんな事も談示して満足さすよう」(21.7.7)
「子が満足して親と言う。どんな事も、成らん処育てるが親の役。親が腹を立ててはどうもならん」(31.11.13)
「親の役ならどんな事も被(かず)かにゃならん。善き事も被くが親の役。心の運ぶ処 優しき心を運び掛け」(補遺24.1.8)
「遠慮気兼は要らん。すっきり要らん。遠慮気兼あってはどうもならん。遠慮気兼あっては真の兄弟と言えるか」(24.11.15)
「同じ五本指の如く、兄弟の中なら、どの指 噛んでも身に応えるやろ。あちら起こしてこちらを倒そうという理あろまい」(32.12.27)

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メルマガ<心のテープ>アーカイブ(80号)
スギ花粉とエリート官僚
配信日:2009/2/12

 今年もまた花粉症の季節がやって来た。風と共にスギ花粉がまるで噴煙のように飛び散るテレビ画面を観るたびに恐ろしくなるほどだ。
 東京では例年より10日早く花粉の飛散が始まっている。花粉症の季節が巡ってくるごとに悩んでいる身内の者もいる。私はアレルギーには弱いほうだが、幸い花粉症はない。やはり杉の樹木の多少による地域的な要因もあるのだろうか。大都会に住んでいても花粉症に罹るのだから、スギ花粉はよほど遠くまで飛散するのに違いない。
 
 じつはスギ花粉がなぜ被害をもたらすことになったのか。それは自然にそうなったのではなく、人為的に招き寄せた災害であることを知ったのは、『クマと森と人』と題する日本熊森協会のパンフを読んだのがきっかけだった。そのパンフについては、小著『元の神・実の神』24~25ページに紹介している。
<林野庁による国有天然林破壊の歴史と現状」と題する資料によれば、1950年代、日本国内の森林面積のうち原生林は38%を占めていたが、戦後復興期の木材需要をまかなうため、林野庁の主導でスギ・ヒノキの人工林に改造され、2002年には11%まで減少し、原生林の71%が失われたという恐るべき統計が示されています>
 
 つまり、原生林をスギとヒノキだけの人工林に改造したために、多種多様の木の実や葉っぱや昆虫などの餌場を失った野生動物が森に住めなくなった。餌を求めて畑へ出て来て射殺されるツキノワグマは、人間から餌を奪われて被害を受けた側なのだ。熊森協会というのは、クマが畑を荒らすようになった原因は人間の勝手な自然改造によることを告発し、クマを保護するための団体である。
 
 上記のように、建材の需要を予測し原生林を伐採してスギとヒノキだけの人工林に改造するという大掛かりな林野庁の計画は、結局、安い外材の輸入によって全く採算が取れず失敗に終わった。その赤字を埋めるために、さらに事業を拡大するという悪循環が続いている。
 要は、目先しか見えない人間の浅はかな知恵によって自然を改造すれば、いかに厳しいしっぺ返しがあるかを、スギ花粉症の蔓延によって思い知らされているのだ。
 
 そうした人工林改造計画を立案したのは誰かといえば、当時の農林省から天下った林野庁のエリート官僚に違いない。しかし、官僚は誰も失敗の責任を取らない。最近になって表面化した年金問題然り。一昨年の建築基準法の改正によって確認申請が滞り、着工が大幅に遅れたため建築会社の倒産が増加しても知らぬ顔であった。
 官僚制度の特徴を挙げると、
1)一旦決定されたことは、途中で現実にマッチしないと分かっても変更したり中止しない。前例のないことには手をつけない。
2)結果については一切責任を負わない。
3)タテ割り行政で、省庁間の連絡がなく、効率が悪い。別の省庁にまたがる問題は放置されるか、いつまで経っても解決しない。
4)書類さえ整っていれば、すべて良しとする形式主義。
5)明治以来「お上」と呼ばれ、大衆を差別する特権意識で固まっている。

 問題は、他の集団組織にもこのようなエリート官僚に類似した階層が、官僚制度を手本として形成されることにある。その構造としては、学歴が高く、秀才で、何らかの由緒のある家柄とか学閥・閨閥・姻戚関係で繋がっている人間関係が背後にあることが多い。
 そうしたエリート階層の唯一の目的は立身出世であり、そのためには他人を蹴落としたり、お世辞、追従、嘘は常套手段になっている。
 そうした人間関係を戒められた「おさしづ」が数々ある中で、次のお諭しは問題の核心を突いている。このさしづを下された対象は世間ではなく鏡やしきの内部に籍を置く人々への諭しであることを忘れてはならない。
「互いに遠慮は要らん。遠慮は追しょう(ついしょう)になる。追しょうは嘘になる。嘘に追しょうは大ぼこりの台」(31.5.9)

 さらに次のおさしづには「追しょう」(ついしょう)という言葉が10回も繰り返して出ている。本部や教会の内部にあって、この厳しい諭しが過去のものであれば幸いだが、そう言える人はいるだろうか。おさしづに反する言動は、あらゆる事情の元となることは間違いない。

「追しょうは濁りの台である。これをよく聞き分け。しっかり聞き分け。どうなりこうなりと、だん/\年限(経ったと)思う中に、もう(どうなる)やろうか、追しょう/\(という人間思案の)理(が)重なる。めん/\心から(ほこりが)出る。めん/\心から出るから、めん/\に(自分で)仕末せにゃならんで。このやしきは一つも(人間思案は)要らん。追しょうは騒動の元、追しょうあればどうもならん/\。追しょうの中に濁り心の迷わす理。めん/\潰れる台してるようなもの。追しょうはその場のもの。良い顔して追しょうから追しょう出る。皆(追しょうを)してる。息してる間は皆(追しょうを)してる」(31.4.20)



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植田義弘

Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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