ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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2/25月例会報告

 世界70カ国を旅した青年の参加

 2月の25・26両日は珍しく好天に恵まれ、土・日と重なったこともあっておぢばの賑わいは格別であった。その代わり、絶好の参拝日和のためか三島公会堂の参加者は一ケタの8人に留まった。
 しかし天から見忘れられているはずはなく、世界70カ国をめぐる一人旅を終えて帰国した31歳の青年Nさんが、知合いのすすめで初めて参加してくれた。彼は分教会後継者だが、世界を周り、現在は月刊誌「陽気」に2年間にわたって連載した「外から日本を見てみれば(天理青年世界一周)」が3月号で完結したばかり。

 必然的に話題はN青年に集中したのだが、その前に原典研究会のテーマとして「明治37年の日露戦争当時のおさしづ拝読」だけはパスすることはできない。
 原典の資料として小著『原典を元とする理の研究』52〜55頁のコピーを拝読した。日露戦争以来の日本軍部による武力行使が、韓国併合、満州事変からついに日中戦争、太平洋戦争へ拡大した末に、昭和20年8月の原爆投下によって敗戦に至る「泥水の時代」(おさしづ)を、すでに明治の頃に先を見通された啓示として記録されていることが明らかとなる。その数例を挙げれば、
「敵と言うて、睨み合い/\という。一時の処旨(うま)いように思う。旨い事やない。何でも彼でもという。これまで残し置いたる理は、仮名な柔らかい中に、要々の言葉残してある。・・・大き事すっきり、これではどうもならんという処まで行ってみよ。これではならんといいう処まで行かにゃ、分からせんで」(明治37.8.23)
「こちらが(神一条の道にとって)妨害、あちらが邪魔になる処は、皆神が引き払うてしまうで」(明治21.12.12)
「長らくやないで/\そこで世界の道理上の理(民主主義)を以て、世界どんな事でも、皆んなどんな事してもよいように成るで。暫くの処やで」(明治22.6. )
「高い所はすっきり取ってしまう。すれば低い所は均れるであろう。変な話と思うやろう。世界すっきり均す」(明治23.9.2)(注=戦後の差別撤廃、自由平等)
「これから先は自由の道を付ける。・・・さあ、思わく通りにする」(明治23.9.11)
「日が経つ月が経つ、ほんに見えたなあ、ほんに早かったなあと言う日がある。前々ほのかにさしづも聞いたなあ、さしづ通りに成りたなあと言う」(明治29.12.18)
「何程高い所に居ても、何時落ちるやら分からん。一夜の間にもどういう事出けるやら分からん。どんな事出けても、(高山が心の自由を抑圧したためだから)神の怨みとは思うてくれなよ」(明治31.12.30)
「もう敵(かな)わんかいなあと、(日本国内の)隅から隅まで涙を流し、涙を流すは一日の日(刻限)と言うたる(言うてある)」(明治36.5.20)
 要するに、人間は先が見えない故に必勝を叫んで戦争し敗北したが、親なる神は半世紀以前から日本の敗戦を見抜き見通されていたことを、神の啓示として証明されているのである。

 いま一度、世界を旅したN青年に話題を戻せば、彼に集中した質問に対して、まことに落ち着いた態度で、みんなが納得できる応答を聞かしてくれた。その数例だけ要約しておけば、
*教祖の教えは、とくに日本的に色づけされた解釈をしない限り、世界に堂々と通用するが、天理教の組織は通用しない。
*現実として世界の人々は、今でも天理教のテの字も知らない状態にある。
*西欧と違って日本人には歴史的に「個人」という考え方はなかった。つねに「世間」「集団」としての考え方・生き方が優先された。
*「自分が嬉しいことを人にもしなさい」(外国人=積極的)
 「自分のイヤなことを人にするな」(日本人=消極的)
*世界を「国」の違いで観るのではなく「文明」の違いで分類する傾向が強くなっている。
*一神教と親神の関係、さらに「生まれ替わり」の教理を信じない宗教に対してどのように説けばよいかが難問となる。
*教祖ひながたは「親になる道」だから、ようぼくは「いい子」になるのではなく「どんな親になるか」を教えなければ一人前にはなれない。
*その他は省略。とりあえず「陽気」3月号の連載で最終回の記事を読まれることをおすすめしたい・・・

 要するに、戦後70年の歴史をふりかえるとき、天理教自体、親神様が先を見通された通りの戦後社会の大変化に対応しているのかどうか、復元教理が組織の中に生かされているのかどうか、深く反省し自覚するべき刻限が到来していることを痛感させられた(すでに遅いと言われるかもしれないが)。「ようぼく」がいつまでも子どものままでいいわけはなく、親に成人するための覚醒を教祖は待ちかねておられるに違いないのだ。(文責・植田)


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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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