ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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1/25 月例会報告に代えて

 明治二十年陰暦正月二十六日のおやしき

 その前日の25日、いつもの通り原典研究会の月例会を三島公会堂の一室で開いた、寒さの厳しい日々が続いていたが、当日はそれほど寒さを感じなかった。他の府県からみれば珍しがられるに違いないが、天理市内は今年になってまだ雪も降らず積雪もない。
 参加者はいつも通り15名(うち女性1)で、話題もあちこちに飛び火して後を追うだけで精いっぱいであった。とても要約できそうもないので、テーマに基づいた配布資料の画像紹介と表題通り「明治二十年旧暦正月二十六日のおやしき」の歴史的な一日の記録を紹介することとしたい。

 はじめに「鏡やしき・ぢばの理」に関する原典おさしづの中から大事な節々を提示しておきたい。
(文字の上をクリックすれば拡大します)





 もう一点、近頃はやりのツイッターで「古い教会長」と名乗る人のツイートの数例を紹介したい。私自身、わが身に引き換えて身近に共感を覚える事実が記されている。


以下の文章は10年前のメルマガに投稿した「正月二十六日」と題する記事を参考に再録することをご了解ください。
 教祖が現身を隠されたのが明治20年、戦争が敗戦で終ったのが昭和20年ですから、何か偶然とはいえないものを感じます。いずれも天を揺るがすような大変動が起こった刻限だからです。
 ちなみに明治20年の前年、旧暦12月8日、教祖が風呂場からお出ましの時フトよろめかれて、
「これは、世界の動くしるしや」
と仰せられた日は、まさに太平洋戦争開戦の日と一致しています。
 あたかも今年は正月早々新しいアメリカ大統領の就任が大きな波紋を起こしています。株価が上がろうと下がろうと自分には関係ありませんが、マネーゲームに翻弄された資本主義の末期症状に違いないでしょう。
 
 今年平成29年の予測は別として、いま一度、明治20年正月26日をふりかえってみるのもムダではないでしょうから、手元にある二代真柱著『ひとことはなし・その二』を開いてみることにします。
 この著作には、二代真柱ご自身の母(玉枝様)からの聞き書きや、側近の人たちの書き残した史料にもとづいて、26日前後の様子がくわしく記述されています。
 明治16年以来、教祖が最後まで移り住まわれていた御休息所は4畳と8畳の小さな建物でした。御休息所の南に隣接して「つとめ場所」があり、北には土蔵が建っていました。
 教祖がお隠れになった明治20年に玉枝様は数え年11歳でした。二代真柱がその母/玉枝様から聞いた話が前記の『ひとことはなし』に記録されています。
(現代表記に修正の上、カッコ内は筆者による注記)

<その頃私(玉枝様)は常に八畳の間で姉やん(梶本ひさ)と一緒に寝起きしていました。教祖様はその西側の上段の間においでになっていました。傍について世話していたのは、姉やんと新建の叔母やん(教祖の長女まさ)とであった様に覚えてます。そして御気分のよい時には、”玉さん此処へ来て一緒に寝、ねむりいったらお久にそっとそっちへつれて行ってもろたげるから”
 と仰って御自分の側へ寝かされたが、何ぼ子供でも教祖様の側だし、それに長四畳の狭い部屋ですからゆっくり寝られませんでした>
 
<丁度正月二十六日の事、八畳の間に居るとお父様(初代真柱)が来られて、
”いと、今日はお前もお勤めに出よ”
 と、仰いました。そしてお琴に出して貰ったんや。誰と誰とが出たのか判然とは覚えてない。(中略)教祖様のお側には、叔母やんと姉やんと二人が付ききりでお世話申していたんや。
 お勤めはその頃はまだ家の外にあった甘露台でつとめた。十二下りもその前で、南から北向きに──丁度今の様に──勤めた>
 
<おつとめを終わってから、よしゑさん(飯降本席長女)に手をひかれて勤場所の上段に祭ってある神床に参拝した。
”教祖様(おばあさま)はもうようなって下さったやろか、御飯も上がって下さるやろな”
と話しかけると、よしゑさんも、
”そうでしょうとも”
と言っていられた。
 そして八畳間の入口まで送ってもらってよしゑさんは帰った。
 私は八畳の間へ入ったが誰も居なかったので北へ廻って、いつもの様にこわごわソッと障子から中を覗いた・・・>
<ソッと覗くと、いつの間に来て居られたのかお父様はもう来て居られて、真赤な顔をして、
”いと、早よ来い”
 と大声に言われたのや。教祖様が寝て居られるのにあんな大きな声を出してとちょっと変には思ったが、それでもまさか御昇天になっているのだとは思わなかった。
”いとちゃん、教祖様がこんなになられた”
 と姉やんが私の手を教祖様の顔にもって行ったが、それでもまだ息が引き取ったとは思わなかったが、
“冷たいんやな、教祖様はもの言わはらへんねがな”
と言われて初めてそれと知って、
”わァ”
 と大声で泣いたので、
”泣くな”
 とお父様に叱られたのを覚えている。それからお父様は、
”皆に話して来るから、いと、教祖様のそばを離れてはいかんで”
と出て行かれたが、その時には叔母やんも居たように覚えている……>

<後になってから姉やんに聞いた話やが、皆がお勤めに出たあとで、叔母やんと姉やんと二人でお側に居たんやが、陽気なおつとめの声を聞いて教祖様は心地よさそうにすやすやとおやすみになった。そこでその時まで始終お側に居た叔母やんが、
”お久そこに居て、わしは一寸拝んでくるから”
 と言って、十二下り目にかかったと思われる時に出て行かれた。丁度”大工の人も揃い来た”という最後のお歌が終わる頃、教祖様は一寸変なそぶりをされたので、
”お水ですか”
 と言ったが何とも御返事がない、それでも水を差し上げた処、三口召し上がった。
”教祖様(おばあさま)”
 と重ねてお呼び申したが、何とも御返事がないので、大いに驚いて、”誰か居ませんか、早く真之亮さんを呼んで来て下され”
 と大声で呼んだが、そこに誰か居ったか居なかったか知らんが、やがて叔母やんも真之亮さんも来たのや。(中略)教祖様の御昇天になる時にお側に居ったのは私(おひさ)一人だったとの話や”>

 26日前後のおやしき内外の状況は『稿本教祖伝』の巻末に詳しく記されていますから省略します。この日、教祖の望まれる「つとめ」に踏み切るためには、それまでに真之亮との神人問答が重ねられたのですが、いざ我が身どうなってもという心を定めてつとめ終わるまで、誰一人警官が現れなかったのは不思議としか言いようがありません。
 当日の記録では、参拝者はおやしきの庭にあふれ結界も壊れるほどで、無慮数千人といわれています。
 
 明治20年1月9日(旧19年12月26日)の教祖のお言葉として、
「さあ/\年取って弱ったか、病で難しいと思うか、病でもない、弱ったでもないで。だん/\説き尽してあるで。よう思やんせよ」
 と記録されています。しかし側近人々にとっては、教祖のご気分が優れず何も召し上がらない状態が心配で、上田嘉助(上田奈良糸実父)の親戚にあたる西村勝次という医師の診察を受けたところ、老衰という診断でした。
 
 当時、道の教えが広まれば広まるほど「医薬妨害」と誤解され、おぢば近辺の医者が談合して、信者の診療を拒否し死亡診断書を出さないと取り決めていました。もしこの取り決めを守らない場合は違約金を課していたのです。
 西村医師はこの取り決めを無視して教祖の死亡診断書を書いたことが知れて、違約金どころか医者仲間から除外すると言われて診断書を取り戻しに来たため、大阪の森孫平という医師に依頼して役場へ死亡届を出したということです。
 
『教祖伝』には、ご葬儀について何も触れられていませんが、二代真柱著『ひとことはなし』には詳しく葬祭について記されています。埋葬の場所、火葬の是非についても村の世話役や側近の間でさまざまな議論でもめたようです。中にはおやしき内に埋葬すべしとの意見もありましたが、それは法律の上から不可能でした。
 結局、頭光寺の中山家の墓地に一時的に埋葬し、葬儀は神式で執り行われました。
 そうと意見がまとまるまでの間に、飯降伊蔵様に下がったおさしづがあります。側近の増野正兵衛の日記に残されている神言の大意は『ひとことはなし』にも記されていますが、原文がないためか、公刊された『おさしづ』7巻本には掲載されていないのです。最後にその要点を引用させて頂きます。

「身はかくすが、たましいは此のやしきに留まって生前同様、万(よろず)助けをする。此の身体は丁度身につけてある衣服の様なもの、古くなったから脱ぎすてたまでの事、捨てた衣服には何の理もないのだから、
何処へすててもよい」





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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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