ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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タテの伝道が進展しない理由(その2)

 例えば、大阪府内に居住している二代目のようぼくSさん(55歳)に3人の子どもがあって、上は娘、下2人は息子たちというケースを仮定してみよう。娘は縁あって新潟県内に嫁ぎ、孫にあたる女児がある。息子たちのうち長男は東京で就職し、未信者の相手と結婚したばかりで、次男は同じ大阪府内で仕事している。
 上の娘さんの嫁ぎ先は布教所で、義理の両親は他府県の所属教会につとめているが、仕事で忙しい夫はなかなか参拝できない状態にある。自分も留守番と子守りのため遠方の教会へ参拝できる状態ではない。

 2人の息子たちはそれぞれ高校生・大学生のとき、夏休みにおぢばで開催されていた学生生徒修養会に参加して親神様・教祖の教えと親心にふれて大いに感激した体験がある。しかし3日または1週間が過ぎておぢばから離れそれぞれの家へ帰ると、だんだん受講した仲間たちとの縁もうすれ、近くで集まる機会もないままに遠い記憶となってしまっている。

 まして東京へ出ている長男は実家の両親から信心の話を聞く機会もない。近くに他系統の教会があるのかどうか、修養会に参加した若者が住んでいるのかどうかもわからない。修養科修了生にしても、修了時に同期生の住所名簿は配布されない。なぜ配布されないのか尋ねたことがあるが、修了後に連絡を取り合って事情を起こしたら困るからとの返事であった。なんと信用されていないものかと首を傾げたものだ。極端な例からしれないが、一軒おいた近くにようぼくの家族が住んでいても知らないままになったり、他系統の教会に所属しているから付き合う機会がない場合も珍しくない。

 実家から通勤している次男だけは両親から信心の話を聴く機会はあるのだが、他府県にある所属教会まで参拝する時間的余裕は少ない。長年教会へ参拝していた父も、息子たちにぜひ信仰を続けてほしい気持ちはどの程度あるのか、自分から積極的に説得する気持ちを失っている。
 そのうえ教会は高齢化して若者は集まらず、後継者も教会を離れて就職している。そうしないと、上級の経済を支えるために毎月の御供金を運び、自教会の生活を維持できない実情にある。

 要するに「ようぼくは教祖の道具衆」というスローガンはあっても、直接に原典の講義を受け、現代社会にどう対応するのか、月に一回でも同じ地域で同じ世代同士が話し合う機会もなく、連絡する相手もいない。
 そういうようぼくのために「天理時報」や「大望」が発行されているといわれるかもしれないが、週刊紙や月刊誌のつなぎだけで次の世代に信仰が継承されるだろうか。組織として月々具体的に活動できる体制があってこそメディアの役割が生きてくるのではないだろうか。
 青年会にしても一人の会員が系統と教区の2つの組織に籍があって、活動の力点が分散してしまう結果となっている。むしろ青年会こそ同じ系統で他府県からの会員を集めるよりも、同じ教区内のヨコのつながりを強化する活動をするべきではないのだろうか。

 さらに教内の現状は、現代にひろがるソーシャル・ネットワーク・システム(SNS)が遅れていてほとんど普及していない。メールやコメントを発信しようにも送信先のアドレスが閉ざされている。教会しかり本部の各部署しかり、半世紀前と同じように上から下への一方通行になっている。情報自体が「ろくぢ」(平等)に踏み均されていない。
 要するに、原典を元とする教理や信心は「おぢば」に滞在している間だけは実感できても、一歩天理市を離れたようぼくは別の教会系統に組み込まれ、親にあたる人間関係以外には全く孤立してしまう。組織体制の総元締となる本部はその実情を承知しているのかどうか、とにかく「おぢば(本部)に責任はない」と知らん顔をしたまま何も組織的な対策を立てようとしない。こうした実情を変革しないかぎり、個人を対象にいくら掛け声をかけてもタテの伝道は進展しようがない。(つづく)
(追 記)
 不十分とは承知しながら発信しているのですが、なにかプラスになるコメントがありましたら投稿を期待しています。情報に対する反応が少ない教内の現状を活性化しないかぎり未来の発展は望めないと思わずにはいられないのです。
メール送信先=genten505@gmail.com(匿名可)


 
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Comment

ひのきさんへ 

教団組織を人体組織に見立てたのは単なる比喩ではありません。明らかに人体は最も完全な有機的組織に違いないので、末端の細胞の役割に対して少々軽視あるいは矮小化されているのではないかと思います。
例えばガン細胞は最初体内のどこかで一つの細胞がガン化することによって全身にひろがり生命まで支配する結果となります。
今年のノーベル生理学賞は細胞内部の酵母菌の働きを実証した研究が評価されて日本の大隅氏が受賞しました。共産党が末端組織を細胞と呼んでいた時代と違って、今は細胞一つひとつに共通の遺伝子があり重要な役目をもつ生命の単位であることが明らかになっています。
しかし、生命全体は、やはり神経や血管によって統合され動かされていることは否定できません。いくら民主主義でも一市民が国の政策を決めることは不可能です。しかし一つ一つの細胞を無視するような組織はやがて不健康になったあげく死に至ることも事実です。
だから、ひのきさんも私も一つの細胞として中枢神経に情報を送ることが大事ではないでしょうか。
  • posted by みさと 
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  • 2016.12/05 14:48分 
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人体組織という比喩に違和感ありますが 

天理教の組織制度を人体に例えらるみさと先生の比喩はとてもおもしろいと思います。
でも、その一方で違和感があります。
それは、末端教会や末端信者を手や足に例えて、龍頭である教会本部や教会長の指図通りにコントロールされるというイメージを感じるからです。
手先や足先からのフィードバックと言っても、しょせん脳から出される指令は、「おまえは手の役割を果たせ」「足の役割を果たせ」ではないのでしょうか。
昔の共産党の組織では、末端組織やその構成者のことを「細胞」と言っていたそうですが、人間性を感じさせない言い方です。
それから、ハッキリ言って、人間を「用木」というふうに、役立つ樹木のように例える教祖の言い方も好きになれません。
「おふでさき」を読んでいて、「ひねた木をこかす」などという表現に出くわし、がっかりしたことを思い出します。
一寸の虫にも五分の魂、末端の人間にも自由な信仰、主体的な信仰があります。
  • posted by ひのき 
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  • 2016.11/28 17:25分 
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まおさんへ 

教内組織制度を人体の構造に対比すれば、手足や内臓の痛みやマヒを脳中枢が全く感知できない異常な状態に似ています。さらには外界を認識するための目や耳などの感覚器官も殆ど閉じたままといえるでしょう。
そうした指摘を批判として拒否するのであれば、どんなにひどい症状でも精密検査や治療を拒否して症状を悪化させているに等しいのです。
「世上は鏡」のさしづによれば安部政権と「鏡やしき・ぢば」が似ていることもうなづけます。しかし、情けないことに天理教がどうなろうと日本全「体」の「体」制に何の影響も及ぼさないでしょう。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2016.05/15 11:17分 
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まお 

できるできないは抜きにしてせめて末端教会から一信者に至るまで感じることを聞き入れる部署は必要だと思っています.この古い体質なんとかならないのだろうかといつも思います.先生の言葉をお借りすれば,本部を脳とするなら教会や信者は手先・指先.その感覚からのフィードバックなしにして良い体の循環は作れない.教団組織も然り.ということになると思います.

とりあえず期待したいのは教会長検定講習を3-4期に分けてほしいです.休むのが困難で受講できません.
  • posted by 匿名 
  • URL 
  • 2016.05/13 12:45分 
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NoTitle 

天理教の現状では、私個人としては、多くのようぼくが教会を離れても教祖だけは心から離さないようにーと願うしかないと思っています。たとえ不完全な部分はあるとしても3原典まで疑って異端に走る人には味方できません。
これまで半世紀近く私が文書伝道をつづけているのも、以上の願いによるものです。それにしても組織的な権威や立場による固定観念がいかに堅固で崩れ難いかを思い知らされている現在です。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2016.05/02 08:16分 
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  • [Res]

よろしくお願いします 

先生、久しぶりにコメントさして頂きます。
タテの伝道で、幼少期から青年期にかけて、天理教に対して良い体験がなく、独立して天理教を離れ、坊主憎ければ袈裟まで憎いみたいな感情で、天理教を全否定していらっしゃる方ですとか、こちらも良い体験がなく、天理教を信仰して、教祖は信じているが、本部を否定され、本部が関わった教典、教祖伝、教祖伝逸話編(教組伝と教祖伝逸話編の稿本はなぜなんでしょうか)、しまいめには3原典まで手を加えているのではないかと疑い、異端説に傾倒して、最終的には離れてしまう方、教会に一切関わらずに地道に信仰されている方、色々な人がいらっしゃいます。これもタテの伝道がうまく行ってないのですね。
  • posted by 通りすがり 
  • URL 
  • 2016.04/30 13:10分 
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