ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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人生の原点に立ち戻って

 新年の挨拶に書いたとおり、私は今年7回目の当たり年を迎えた。そこで改めて自分の原点となった過去をふりかえり、以前に書いた文章を読み返してみた。
 昭和1ケタ生まれの世代が人生の出発点でいかに特異な体験をさせられたか、その原体験が一生を支配するに至ったかを知ってもらうために、次にその一節を再録することにしたい。

オトナたちの変身
 再確認すれば昭和20(1945)年8月15日、戦争が日本の敗戦で終った時、私は中学2年生の少年だった。B29の大空襲や悲惨な原爆を直接体験したわけではないが、心の奥に被爆したようなものであった。つまり、敗戦によって善悪の判断が破壊されてしまった私たちの世代は、その後遺症が後々まで消えないで残っている。私の生まれた昭和7年には犬養首相が暗殺され、その前年には満州事変が始まり、挙国一致の非常時体制による15年戦争に急傾斜していった。その結果、私にとって何よりショックだったのは、聖戦必勝と教え込まれていた戦争が無条件降伏に終わり、小学校に入ってから習ってきた歴史がすべて虚偽とされ、鬼畜と呼ばれた米英が自由と民主主義をもたらす使者に逆転したことであった。事実、同じ顔ぶれの教師は180度ちがった思想を口にしはじめた。戦争中の書物や教科書がバイ菌で汚染された危険物のように火の中へ投げ込まれるか墨で塗りつぶされた。
 こうしたオトナたちの変身ぶりを目のあたりにして私は人間の信念や言葉がすべて信じられなくなった。つまり「何でも疑いたくなる」放射能を浴びたようなものであった。オトナたちが昨日まで身命を賭していた信念をあっさり捨て去った変身ぶりに不信感を後々まで拭えなかった。さらにいえば人間はいかに偏狭な観念に支配され、そのために命まで犠牲にして顧みないか、その恐れと疑いを抱かされた。さらに過去に築き上げてきた組織や権力、そのために費やすエネルギーがいかに虚しく信頼できないかを心の奥底に焼きつけられたのであった。
 自由や言論の抑圧といっても、法律や暴力による強制だけとは限らない。大衆の意識に固定観念を吹き込んで「疑う」自由を奪う心理操作もできる。自由そのものは真空のようなものだから、意識の空間を何らかの観念で満たさなければ安定できない。それ故、意識を満たすための情報を与えつづければ大衆は喜んで自由を捨てる場合もあり得るのだ。とにかく何でも疑う種を心底に植えつけられた私は、戦後の民主主義も単純に信じられなかった。
 民主主義のお手本であるべき米国は、8月に入って広島・長崎に原爆を投下しポツダム宣言受諾が既成事実となっていた8月14日にも大阪大空襲で多数の市民を殺傷したことを後で知った。民主主義だけで悪が滅びるほど人間は単純ではない。基本的人権の尊重というが、その人権の中にはさまざまな欲望が含まれている。物欲、所有欲、名誉欲、権力欲まで人権として尊重すれば、世の中はエゴの対立と抗争に明け暮れるばかりになる。政治や法律だけで社会の規範を保つことはできない。
 しかも、外から強制的に与えられた思想では、日本人の内面的な意識や悪の構造は変わりようがない。自分の欲望を満足させるだけの人生では情けない。

疑いの種
 戦争の連続であった時代に少年期を過ごし、中学生になって敗戦を迎えたという事実は、私の心の深層に一切の思想や観念を疑う種を植えつけられたような原体験となった。
 戦後の日本は、私自身の成長と並行して、経済の成長発展に向かってやみくもに走り出していた。戦争中の食糧難や物資不足を取り返そうとするかのように、所得倍増やGNPが最大の目標となった。しかし、昨日までの全体主義が民主主義体制に一変したからといって、春になって衣替えするように日本人の本性まで変わるはずはなかった。
 8月15日を境に一夜の間に戦時中の言動と正反対の言葉を口にする大人たちを私は信じることができなかった。180度異なった主義の教育を始めたことも教師への不信感を抱くもととなった。今さら勉強する気になれなかった私はスポーツに熱中した。
 心とはいかに変わりやすいものか。最後に信じ得るものは何か。私の内心には、間違った信念によって多くの青年の命まで犠牲にさせて省みない人間への恐れと疑いの種が宿されていた。
 数多くの命が失われた戦争の時代に生まれたためか、私は生きることの意味にこだわり、世の中の風潮に背を向けて文学や思想に興味をもった。思想といっても観念的な思弁を好んだのではない。生命の価値を確かめたいという欲求がすべてであり、いのちと一体になる生き方を模索した。
 かつてのジャーナリズムは太平洋戦争を賛美し煽動することに懸命であったが、戦後は一転して経済の成長発展に方向転換していた。購読者を拡大するために大衆社会の時流に乗るほかにないとはいえ、情報の偏向や操作だけはするべきではない。
 しかし、いまや矛盾が累積しつつあるのは誰の目にも明らかだ。自然環境の破壊と資源の浪費、実体経済より金融緩和による数字だけの虚構、生産の空洞化と不正規就職の不安、金融の悪化と財政赤字、職業や所得の格差拡大、難病や認知症のまん延と国民医療費の上昇、等々挙げればキリがない。私個人の身のまわりでも何人かの親族・知人が癌のために入院して命を失ったり認知症で介護される身になっている。グルメ料理や銀行預金は、かけがえのない生命や精神の健康に比べると、アテにならない虚妄に過ぎないことを思い知らされる昨今でもある。
(1/22=以下、補足を追加します)
 要するに根本的な価値観が変わらないかぎり何ともしようがない。大量生産の機械文明や唯物的医療を生まなかった4千年の歴史をもつ東洋思想に解決のヒントはないのか。ただ、部分的な改革で問題は解決しないことだけは確かだろう。
 人間に対する不信感は、高校時代にも消えることなく、教科書を開くかわりにラケットを握って走り回っていた。地方の大学には入学できたものの、卒論を提出する気にならず、家出同然に一年近く放浪の旅に出て、一ヵ月2千円の生活費で最低生活に耐え、一日に40キロの道のりを歩き通した。それは中学時代の生活の再現でもあったが、仲間と生活を共にする悦びは味わえなかった。但し、その一ヵ月2千円で生活した当時が最も健康に恵まれていた。(現在の物価は、品目によって異なるが当時のほぼ10倍と見積もることができる)
 街角で出会った予科練の若者たちのいのちの輝きを忘れることはできなかった。自分も肉体を鍛えるために田畑で鍬をふるい、力仕事に精を出した。その間も、人間の限界を超えて未来を見通すことのできる神秘の存在を求めつづけていた。
 一方、日本は高度成長期を迎え、武器の代わりに商品を手にした企業戦士が、経済戦略の尖峰となって世界中に進出していた。その結果、日本は確かに豊かになったが、その代償として世界各地の自然環境が破壊され、環境汚染が表面化しはじめた。経済成長や貿易黒字の増大は、石油エネルギーの大量消費とともに、日本人の莫大なエネルギーがGNPのために消費されたことを意味している。


(以上の文面は、教外に向けて発表したいと準備している「未来をひらく生命の哲学」シリーズにも収録している)

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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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