ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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わが人生 逆転の日

 今年の秋、初対面の読者の方から聞いたのだが、私の署名のある「復元へ更なる一歩を」という文書を読んだのが、私の名前を知った最初であったという。それを聞いて、私は急に10年前の「わが人生逆転の日」というべき日を思い出した。
 その読者は、その文書のコピーを、系統ではなく教区の関係で読んだと言われた。それもその筈、「復元へ更なる一歩を」の表題で私が書いた100頁近くの文書は、集会員を通して全教区に持ち帰られ、コピーが大量に出回ったと聞いている。
 わが人生逆転の日とは、その文書について、本部集会の席で私に説明する時間を与えられることになっていた予定の日を、本部主査室長によって妨害され、ついに闇に葬られた日であった。その日に至るまでの経緯は、以前「発信者の履歴」の後半に記したことがあるので、その一部を加筆しながら読み直してみることにしたい。

 教祖110年祭の前年(平成7年)の秋から年末にかけての3ヵ月間、私は修養科一期講師を拝命し、「教祖伝」を担当した。その年は、1月の阪神大震災に始まり、3月には地下鉄サリン事件が突発した。教内では、夏から真柱様の重篤なお身上が伝えられ、おさづけのお運びが長期にわたって中止された。
 年祭が迫る時旬に、修養科生とともに毎日「御伝」を購読しながら私は、只ならぬ神の急き込みと刻限の切迫を痛感せずにはいられなかった。と同時に、世の中に次々と起こる事情を鏡として教内の実情を省みるとき、このままでは教祖に対して申し訳が立たない思いに駆られる毎日であった。
「発信者の履歴」に記した通り、古くからこの道に先祖が引き寄せられたということは、それだけ教祖が啓かれた道に対して責任が重いのであり、天理教が神一条から外れたいんねんを果たすべき義務を負っている、と私は受け取っている。
 
 翌年1月に年祭が終わったあと、小著「原典を元とする理の研究」の読者であった北海道教区の数名の会長さんから、おぢばへ帰参した時に一緒に教理について練り合いしたいとの申し入れがあり、毎月の月次祭前後にお会いして談じ合いを重ねる機会があった。
 その頃、私は誰にも言えない一つの心定めをしていた。というのは、修養科で「教祖伝」を拝読しながら感じたことを元にして文書をまとめ、真柱(当時)と真柱後継者(善司様)に直接お届けするという常識はずれの計画であった。文書の表題は、本部から発行されていた「世界たすけへ更なる歩みを」をもじって「復元へ更なる歩みを」と付けた。「世界たすけ」を標榜する前に「復元」を徹底することが先決ではないかと主張した内容だった。その前提として、原典おさしづの啓示との関わりの中で明治以来の教団の歩みを歴史的に跡づけ、戦後の体制が神一条と隔離した二重構造になっていることを指摘したものであった。
 丁度タイミングよく、一人の知人が、必ず真柱の手に届ける方法を内緒で教えてくれた。
 
 この心定めをするに至った理由の一つは、中国の史実を参考にしたからだ。古代からの中国思想の多くは、儒者が時の皇帝に提出した意見が、受け容れられずに後世にその内容が思想として伝わったものであるという。
 時には唐の高宗のように、自分に対して厳しく諫めてくれる者を重んじて、諫める役目の公職を創設し、かつて自分を殺そうとした敵の大将を任命した名君もあったと伝えられている。八代将軍・吉宗も、目安箱を設けて広く民衆の意見を取り入れた。現代の社会でも、発展している企業のトップは例外なく、社内の意見に耳を傾け、文句をつける消費者に頭を下げて礼を言う態度を示すといわれている。

 いよいよ心定めを実行する直前になって、善司様に話しかける機会が与えられた。大学の校友会に天理支部が結成され、同じ大学卒で私の後輩に当たる善司様が総会に出席されることになり、その席で私は、近日中にぜひ読んで頂きたい文書をお届けすることを予めお伝えした。
 こうして「復元へ更なる歩みを」と題する文書が当時の真柱・善司様の目にふれることになり、それが思いがけない波紋を呼ぶことになった。その文書は真柱から当時の畑林表統領に渡され、主査室に回付された。「検討するように」との真柱の指示があったと伝え聞いている。
 
 一方、同じ文書を個人的に私を理解して下さっている先生(北海道教区の集会員でもあった)に渡したところ、その先生の肝いりで全集会員にコピーが配布され、私が集会の席上で質疑応答する機会を与えられる予定になったことは前記した通り。
 それを知った主査室主任は、直ちに異端に近いとの批判を含んだ答申を表統領はじめ集会に配布するとともに、私を集会に呼ぶことは「集会の歴史に汚点を残す」とまで言って反対の意向を表明したのであった。このままでは引き下がれないと判断した私は、主査室の批判に対する弁明書を提出し、そのコピーを再び全集会員に配布してもらった。
 主査室主任は私の所属する大教会長を呼び出して、真柱様が激怒されているからお詫びに行くようにと脅かしたので、あわてて大教会長が真柱様にお会いすると、怒るどころか検討するようにと表統領に回付されたことが判明した。
 
 その後、私には直接の干渉や呼び出しはないまま今日に至っているが、集会に配布された文書はその後も波紋を呼び、ある教区では文字が読み取れなくなるほどコピーにコピーを重ねたとも聞いた。
 教祖御生誕200年の平成10年4月18日、波紋を呼んだ上記の文書を加筆訂正した『教祖ひながたと現代』(リンク「発行図書」参照)を自費出版することになった。前記の北海道教区の教会長さん3名と和歌山の岩井猛氏が印刷費を分割して出資して下さった。本の内容は、個人の心の成人にとって必要な事柄に限定した。私の他の著書と比べても少数の読者しか得ていないけれども、その少数の読者は教内で最もレベルの高いようぼく・教人に違いないと私は信じている。
 
 10年前、5年前に比べて、内外ともに益々どうにもならない状況になり、大掃除の刻限が間近に迫っていることを予感させられる昨今である。どんな時節が来ても、慌てず恐れず、神意の実現に近づくための大節と受け取って、おたすけに勇み立つ心構えが必要とされる時代が到来するに違いない。
 HP<天理と刻限>およびブログ<心のテープ>は、その刻限に当たって参考となる情報を今後も提供したいと願っている。
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Comment

「天理教の現在を嘆く人」さんへ 

信心する者が最も自戒するべきことは、教祖を押しのけて自分が表面へシャシャリ出ることです。
あたかも人気歌手や俳優のファンのごとく、今まで有名になった天理教の先生を無条件で尊敬する人は、神と人を混同していると言わざるを得ないでしょう。そうしたようぼくがゴマンといることも事実です。
こうした現在を嘆くにしても、少なくとも自分だけは神に心を向けて通りたいと思います。
  • posted by みさと 
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  • 2010.12/31 15:17分 
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他人を助けて我が身助かると言うのは大嘘 

他人を助けて我が身助かると言うのは大嘘である、ナゼ、天理教愛光分教会の先代の会長
大野佐七が我が身殺されるの見本だからだ、財産全てを奪って夜警小屋に住まわせ
生活態度が悪いと言っては天理教的に言った「おしこみ」財産を全て奪っておしこみ
没した会長の嫁は大阪で懐石料理を息子と食っていた、愛光分教会の厨房ではミンチ入りの
冷めた、タマネギのあんかけの粗食、会長の嫁はフグ懐石。信者も減った。
  • posted by 天理教の現在を嘆く人 
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  • 2010.12/31 03:50分 
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ありがとうございます 

みさと先生、ありがとうございます。
この投稿は実は「2ちゃんねる」の「心と宗教」の中の
天理教スレッドの中で見つけたものでした。
ですから、ちょっと「ほんとかな~」と思いつつも
真実をついているので、紹介させていただきました。

いよいよ始まった沖縄戦跡めぐりのレポート、
感銘深く拝読させていただいております。
たしか毎年の戦争慰霊祭では、超宗派で
されているとも聞きました。なかでも天理教の
役割は大きいそうですね。
  • posted by 大工 
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  • 2010.02/03 20:19分 
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あと十年 

天理市で詰所にお勤めの大工さんの耳に入ったのですから、あながちデマとは思えません。ボクは初耳ですが、情報通の知人に確かめてみることにします。
議事録から末梢しても事実は消えないし、恐らく十年を待たずして、その通りになりそうです。
  • posted by みさと 
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  • 2010.02/03 09:18分 
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あと十年で破産 

ある掲示板にこんなことが書かれてました。
「天理教の本部員会議で新しい表統領さんが「このままだと天理教はあと十年で破産する」と発言されたそうです。 」
この発言は議事録から抹消されたそうです。

この話は事実なのでしょうか。
でも周囲の教会事情を見ていると、本当らしく聞こえる話ですね。
  • posted by 大工 
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  • 2010.02/02 21:38分 
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核爆弾 

みさとせんせい

 核廃絶のために 人間も心定めが必要だと思います。人間は知らず知らず 日常の中で 爆弾を落としております。落とされたものは散りじりに飛んで逃げしばらくは戻ってきません。腹立ちまぎれの一言です。爆弾落とせば 後遺症まで残るといわれますが、心がバラバラになるのは 間違いありませんね。また 風船でも無理に空気を閉じ込めると爆発する、ものを押し込こむとはち切れる・・・核廃絶のための理の思案も大切であると ふと思いました。不足不満も集まれば 爆弾同様 ・・ああ恐ろしいと・・たんのう 真実の受け取り方のいかに大切かを また不足させない道の大切さを 改めて 考えさせられた一日でした。 言葉で殺人を行っても 警察も来ず 救急車も来ず。知らないうちにまいた種は 時とともに 深く根を張り
ある日大きな節となりますね。極力さけたいみちですね。

真柱様 

 みさとせんせい                               
 震災から15年 今年は節目の年です。 1月17日から 約2か月後の3月20日に 現真柱様が お立ち寄りくださいました。今も感動が 蘇ります。玄関先で 真柱様がすっと足を入れられたのは一番粗末な スリッパでした。 最期の随行の先生には 一番上等のスリッパしか残りませんでした。畳のない床にお座り下さり 小さく粗末な神床に お参拝くださいました。思い返せば 涙がとまりません。あすは おやさまが扉を開かれ 御存命の理となられた日ですね。 






追伸 思春期のシナプス 

 思春期のシナプス再構築は 助け合いのある人的環境において初めて人間として必要なシナプスの再構築が行われる。助け合いがなければ 不必要なシナプスが残り 人間らしく生きるためのシナプスは まびかれる。・・・人間らしいシナプスの構築は正六角形に表わされるとかんがえます。 おつとめのかたちです。ゆがんだ六角にもならないものは ・・・・当然 本来あるべき姿に程遠い環境からうまれます。

共振 

みさとせんせい
 甘露台の六角は 非常に深い意味があると思います。六角形を麻の葉に分解し180度回転させると 六角を 無限大から無限小に展開可能です。さらに同形の重なりから 相似形の展開におよび 無限に六角が展開します。この平面を水面に置き 立体を浮き上がらせ 立体の表面に転写すると 六角を基礎とする麻の葉の数学的関係は保たれたまま 柔軟に物に添います。有機的連携のイメージにつながります。円を集めて隙間がなくなるまで押しつけると全部六角に変形することは周知のことです。勤め人衆を円で表せば当然甘露代は 六角です。
 天理王命とは 相反するものを二つ一つに結びそこから新しいものが生まれてくる その働きをいう。 十柱の神名は神様のお働き、道具衆につけられた名前ですから 多神教ではありません。
 六角の展開から 共振 共鳴 シェルドレイクの仮説まで数学的に推論できそうな気がします。目に見えない抽象論に置き換えれば どうでしょうか。 おつとめは 前後に移動しながら勤められます。みずとかみとは同じこと ・・・ おつとめは 波を立てる動きと同じです。波動は 伝わります。目に見えない 理の波動が 世界中に伝わります。一手一つは 元の理の指し示す人類全体のあるべき姿であります。 
 物質を分解し素粒子 クオーク・・・これ以上分解できない・・・科学の壁にたどり着くと そこにあるものは ただ 数学的計算によってのみ考えられる・はたらき・波動・があるだけである・・ジャン・ギトン・・神と科学より・・・もはや 証明によって積み上げられた科学は証明不可能な壁に突き当たり 見えないものが この世の元であることを認めざるを得ない立場に追い詰められた。信頼・信用・誠真実・みな見えないものだがそんざいする。見えないものがこの世を創り出していることを 認めない人間は もっとも非科学的であると言えよう。よろずよの・・手ぶりは 波を表わすとすれば 深い意味がある。・・簡単ですが みさとせんせいに シンクロします。


質問されました 

みさとせんせい
 毎日 コメントを 書かせていただいて 感謝しています。
きょう お助け先の方から 質問されました。どうして助かっていく教会と 助からない教会とがあるのでしょうかと。以下1000文字ほど書きたいのですが たぶん書いているうちに怒りが爆発しそうですから ここでやめます。

船井氏 

みさとせんせい
 船井氏は どんなお話をされるのか楽しみです 
人間の歴史を振り返れば 循環することから 未来の出来事を予測でき 回避の道も天理から悟れるはずです。 これが信じられる日が必ず来ます。 事実なら人々が得心しますから。
 個人の節目も繰り返します 次の節に備えて通ることができます。
人類の 転換期を大いに喜びたいものです。確か 中野孝次氏も 世間から無視されました  タゴールの警告も戦争前の日本の癖性分に無視されました 浮いたかちょうちんで 波の上ばかりで ざわめいていると 百尺下の水を忘れがちです。人個人の癖性分 国家の癖性分 思考バイアスが 真理を見誤らせ自ら滅ぶもとになると考えます。

うその道 

みさとせんせい
 信仰の入口は 自分が恥ずかしいと思うことだと聞かせていただきました。自分の周りにうそがあるというなら 自分の日々にうそがあるということですからあらためなくては ならないと反省します。 信仰者の集まりの組織はなおさら これでいいかと 改めるべきですね。うそでたらめばかり 世上にうつります。

そのとうりです 

みさとせんせい

 そのとおりです。 元の理に示される助け合いの姿は 究極のシステム工学です。組織全体のレベルが下がっております。神様のフィルターを欲は通過しません。・・澄んだ心の者が 一手一つになり勤めるとき 甘露が降る・・このよたてかえのおつとめです。一つの形の場が出来上がると 世界中に伝わります。理にかなわない場ができるとこれも世界に伝わります。組織を構成する者の過半数がどちらを向くかで 方向がきまります。背中あわせか助け合いか。(日本は 組織論が遅れています。)
道の邪魔になるものは 後から通る者の きれいな真実の理が天に届けば 神様が 引き上げると 教えてくださいました。これを知らないから 平気でのさばるのではありませんか。  
管理不行き届き 見て見ぬふり 世間なら訴えられることも 不法地帯では まさに 世間以下ですね。その立場にありながら 果たすべきことをしなければ そこにいられなくなるのは 当然です。 たとえば足場がなければ落ちると言いますが 足場は部下教会でもなければ 飼い犬の信者でもありません。取り違えも甚だしいことですね。理の仕込みが足りないのではありませんか。うっとうしいことですね。このうっとうしいことを 発散させるには 真実の祈りの結集がひつようです。欲の祈りは神様のフィルターを通過しません。全体を変えるには全体が動くよりほかに道がないと思います。いかに上級といえども してはならんことをし言ってはならんことを言えば 必ず身に返ります。この数年来 数々その結果を見ていますから間違いありません。 無理に閉じ込めると爆発する。自爆テロがあるのも 当たり前です。助かる理を流すどころか 腐ったような理を流してくれるなと 憤慨する人が沢山いることを ・・・・おやさまはごぞんじです。地震 津波 テロ 不況 ・・・なさけない どのよにしあんしたとても ひとをたすけるこころないので・・・教内全体の 道一条の者に対する教育が 足りないのではありませんか。道の教義書は今やあふれています。 しかし じっくりと 思案する暇もなければ その気もない人が多いのでしょうか。つずきはまた出かけます。失礼いたします。
 










 

takenoaki さんへ 

切実な体験からの発想をコメントして下さり、有難く拝読しました。
しかし、個人レベルだけではなく、組織レベルでも元の理に適ったシステムが必要ではないかと思います。
システム等という用語を使うと問題を難しくするように受け取られるかも知れませんが、十柱の神様をシステムとして教えられたのは教祖が最初で最後なのです。
一つの細胞、一つの内臓は、全身の内で別々に働いているのではなく、互いに「ひのきしん」しているからこそ「いのち」が守護されているのです。
かりものの身体をモデルとすれば、理想の組織づくりができる、と私は信じています。
逆に現在の教内を人体として見れば、頭脳が認知症になり、目も見えず耳も聞こえず、手足がマヒしていることも感じない末期症状を呈していると言わざるを得ないのです。
  • posted by みさと 
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  • 2010.01/20 15:35分 
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おやのさとりに 

  みさとせんせい

 私の 改革案は よろずいさいをとききかすことのできる人材の育成を 系統を越えて 全力で行うことだと思います。 
 深いさとりは 道の財産であり 世界の財産です。  現実の社会で 身上 事情 は 複雑になっております 先人の悟りを台にして さらに 現代のおたすけに当たる者のヒントになるような 展開ができれば 素晴らしいと思いますが。
 道の濁りは 本当の理がわからないからというだけのことではないでしょうか。 
 たがいに 悪因縁に悪因縁を持ち寄り 花を咲かせていては 濁るばかりです。おやさまに申し訳ありません。
 お助けに出なければ 自分の因縁も家柄の因縁も 悟れず 果しもできません。行事や 事務に追われて 経営者になっていると 安泰かもしれませんが 後ろから追いかけてくる因縁に追いつかれ まけやすく いさめません。悪循環です。
 なるほどと 得心する話は 誰かに伝えたくなるのが 人間です。
私も聞きたい 私も聞きたいと人が集まるはずです。 こうして私は 心改めました。 その結果 こう成りましたと。 
  
 教師は 悟り方については 大変敏感なはずです。悟り方のベー スが必要ではないかとかんじます。。
 お助けの基本姿勢とは何か。これが 滅茶苦茶です。
  要するにこの二つが あやふやなために 自分も相手も すっき りしない。 
  助かる道を歩かせられないから 切れる。誤解もでると思いま  す。
  

  元の理は 道の 柱ですね。すべてを解くマスターキーではない  でしょうか。
  毎月の神楽勤めにより引き出される理が 世界をかけめぐるとお  もいます。このよを変えるチャンスは 毎月毎月 やってくる。     大勢の名もない人々の 純粋な祈りが一点に集中するとき 
  この世建て替えのエネルギーが 神苑にあふれ せかいの果て  まで瞬時に届く。 それが地場の理ではないかと 思います。




なるほど 

みさと先生へ

  はい  なるほど そうですね  失礼いたしました
 
 昨日 やっと天理時報が届きました。
 
 教会制度の現実はご指摘のメールに少しばかり 遠まわしに書きました。 15年以上 一度もお助け先に親が運ばず お尽くし ひのきしん 信者登録だけは 自教会に。  現実の世話どり お助けは 他系統に任せっぱなし   と言いたかったのですが。理に目覚めさせなければ 助からない。それをおこたり 情もかけず 親とはいえない。それをたんのうする 信者は おや不孝の理が消える・・ですか。しかし・・・・
 ほかに 沢山 実のおやに丹精してもらえず 綱の切れた状態で 籍だけは そのまま 切れていく家 教理が分からず めちゃくちゃな解釈を独自にする方  まさしく山の中状態です たぶん おやさまは ざんねんむねんの 思いでおられると思います 

 わからん子供がわからんのやない おやのこころが とどかんのや  です 何ほど丹精しようとおもたて かみのてばなれ これはかなわん  かみのてばなれを 作らんよう・ 改革を試みるものは
より一層 かみいちじょうの精神を 練り上げなくてはならないと感じています。

ところで やまず死なずに弱りなきよう となるのは 当然だと 先生の論文から 導き出せますね。



 
 

takenoaki さんへ 

度々コメントを頂き恐縮しています。
takenoaki さんは口先だけではなく身を以ておたすけされていることは承知していますが、コメントとしては、今後は記事のタイトルに関係ある感想を書き込んで下さいますよう、よろしくお願いします。
勝手な注文をつけて申し訳ありません。
  • posted by みさと 
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  • 2010.01/16 16:07分 
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おやさま 

 みさと先生

  昨日朝 15年ぶりに お助け先に関わる他系統のお宅を探し 何度も街中をめぐりましたが 親戚に問い合わせても分からず あきらめその方の 会社に伺いました。 元旦から この話を取り次がねばと 思いつめてやっとのことで 訪問。すると 納品書を届けに来た人と一緒になり 事務の人と話しているところへ 当のご本人が入ってこられました。 ああ おやさまだ、 無駄ではなかったと 感激しました。 難病の弟さんが 元旦から危篤です 本来の教会から ただの一度も 来られません。向かう途中霊柩車 葬式 毎日見ます。 長生きさせていただき とおり返しをさせていただいたお礼と 来性 難病をいただかないよう願い 後は お任せしますのおさずけです。 大きな心得違いに 回りみんなが気付き こころ が あらわれるのは素晴らしいです。互いにお礼をいう心になられたら 後は神様が よきように 計らってくださるに違いない そう信じます。この方は ずっと年上の方ですが ないておられました。
  ああ 私は どうなんだ・・・・ です 問題は。 







すみやか 

 みさと先生へ

にくい かわい うらみ はらだち が 一緒になり 放火 殺人 暴動 破壊 つまり 戦争に 突入となりますね
 欲 高慢を たすと よくぼけ 知恵のゆき詰まり つまり 人間並みの 知恵や こころの働きを失わせると教えていただきました 

頭をやられ 子孫の行き詰りとなる
 三代続き 脳の欠陥者がでるとあれば まともな 国家指導者をいただく道も 戦争を 回避する道も 天理に照らして おしはかれます   
 
 中川庫吉先生の すみやかに 第二集 あしきはらいに 神一条につながった勤めに踏ん張っていると 不思議に片付いていく
 じぶんから 片付けないでも 向こうから 片付いてくる 実に不思議な理を 見せていただく。
 難しい事情でも 神様の御用に 没入しているうちに だんだんに難解な事情がほぐれてきて すっぱりと解決する。 どうしても神様と 絶えずつながり通しでなければいけない。神様とつながりとおしーーーーこれが万事を解決する根本である。
 
 たまたま 昨夜 開いてみたところに このお話が ありました
改めて こころを引き締め 勇気をもいただきました。






No title 

竹の秋 より  みさと先生へ 

 重いジェット機も 風の働きなくしては 飛べません 
  本来のあるべき姿に向かう者への 抵抗は また神様からの
賜物かもしれません  
 理違いは気違いとは よく言われますが  本来あるべき姿ではないことを 理違いという  と  教えていただきました

 親が親らしくない 子が子らしくない 嫁が嫁らしくない
 先生が  経営者が 官僚が  数え上げればきりがない

一手一つに結ぶべきところ 相争う姿では 情けない限りです
 人間思案が 曇りを呼び もつれを呼び 理違いをよぶように思われます。復元の 純粋な おやの思いに戻らねばなりません。

 ところで 日本は 企業なら はるか昔に倒産のはずですが それは 昔々 世界一列助けたいと にんげんの親が直々この世にあらわれてくだされたにも関わらず 浅はかな 低能と言いますか 内務省秘密訓令なるほんの一時の法律により 徹底的に 世界助けの邪魔をした 恩知らずの種まきがあるからだと 思案します
 恩を知り 恩に報い 恩を返す者は 困らないはずです。

 かつて 欲 高慢で 世界に戦争を仕掛け 軍人が生き残るために 職場として 戦場を確保した影の道は やがて 表に現れ 多勢の人々の 軽蔑と批判 恨みを買うこととなりました
 まいた種は自業自得の道になり 確実にその子孫に返るであろうと思われるのです 
世界中の国家が健全であってこその世界平和であり 世界平和あってこそ 各国の平和と自立があるはずです 一国を おろそかにして 自国の自立も平和もありえません 世界の恩を知り 恩を返す心なら 互いに繁栄が約束されるはずですね 人の尊厳を守り 国家の尊厳を守り 地球そのものに感謝することが 神への感謝 恩返しにつながることでしょう 恩返しの上手なものは行き詰らないのが天理です  恩が重なり 理の借金が重なり いずれ牛馬と落ちることのないように 人も 国家も 通り間違いのないように したいものです  
 どれほど経済が発展していても その国の 事件事故を見れば 道の教師ならば 過去も未来も レントゲン写真を見るように 悟れるのではありませんか





 

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  • 2010.01/11 22:41分 
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復元とは明治20年に戻って「ろくぢ」に 

以前のコメントで私が「教会を離れていく人に教祖は残念の思いを抱かれる」と書いたのは言葉足らずでした。
教会を離れても神一条の信仰を失わない人もあるし、そうであってほしいと願います。いずれにせよ離れていく人に責任はないことは確かです。

詰所は宗教法人(教会本部)の信者修行施設として登記されているから固定資産税が免除になっているので、会長宅が立派すぎる場合、明らかに法律に違反しているのです。にもかかわらず、ふしんの前に「お運び」で許されているのは不可解です。
会長宅が実際に出来上がってから真柱が視察に行かれて、立派すぎると機嫌を損ねられたと聞いたことはありますが、後の祭りです。
もっとも観光寺院でも宗教法人だから拝観料は無税なので、税務署も大目に見ているのでしょう。

昨年、35年前に制作された教祖伝映画「扉はひらかれた」のDVDを入手して観たのですが、つくづく「ろくぢ」に踏み均されていない教内の現状は、教祖のお言葉に背いていると思い知らされました。もう一度、明治20年に戻って再出発する以外に復元はないと思わずにいられません。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.01/11 16:41分 
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詰所での格差 

みさと先生、親心あふれるコメントありがとうございました。
詰所暮らしをしていると、教内のいろんな姿を見ることができます。
自殺者やその未遂もありました。一度や二度ではありません。
当初はとても衝撃を受けました。が、今では、現状の教えでは
救われないという姿を身をもって示した尊い例だと思っています。

それにしても…。
いつも思うのはどうして大教会長宅だけ特別仕立てで、
あんなに立派なのかということです。どこの詰所もそう。
部内が次々と事情教会になるものだから、若い大教会長も子作りに励んでいます。
今までもそうしてきたため、大教会長の身内の部内教会がやたらと増えています。
みな一族で固めた大教会長のイエスマン、ロボットです。
確実に大教会の教勢は衰え、士気も下がりました。

私と同年輩で若いのに、もう上から目線の大教会長。
格差社会といいながら、お道の中は究極の格差社会。
陽気暮らしは世界にこそあります。
私も教会の外で生き生きと陽気暮らしをしていきたいと思っています。
  • posted by 大工 
  • URL 
  • 2010.01/10 13:32分 
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凧に抵抗する風 

takenoaokiさん  

たいへん個性的なコメントを拝見しました。
私にはおおよそ本名はわかっていますが、
第三者には知らさないことにしますので、
また気が向けば書き込んで下さい。

ところで、自分は凧なのか風なのか、
どちらのはたらきをしているのか、
よく考えてみたいと思います。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.01/08 19:54分 
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凧揚げ 

世界に道あり 道に世界あり
  さあ ひのきしんだ お尽くしだ お助けだ おつとめだ さんぱいもしてます あれもこれも してます
 と言いながら 神様の前で 自分のよくなりたいことを 朝から晩まで 願っているようでは 
 どこにも道はない  欲があるならやめてくれ 神のうけとりでけんから    道の中の世界だ

  かみさまなんか 信じないよと言いながら その人のすることなすこと 天理にかなっていたら 
 その人はおみちの 人である    世界に道有りだ

  ひのきしんとは 尽くしたものがうしろにさがって お礼をいう道だ

  お助け先は 恩人だ わがみの ほこりを 払わせてもらうための かがみである
  反省のための 鏡である 自分に その埃がなければ 相手は 理が変わる
  おたすけさきから お供えされたものを 自分勝手に使うことが 相手の因縁もらい教師因縁を積む
  相手は助かり 自分は いずれ倒れる 
  取り込んではならない 汚いものが入ると 狂う
  汚いものを みにつけては お助けはできない 汚いものを身につけたくないというのが 教師の気分  だ ものが集まり 自分に とくがあるなどと  うぬぼれ錯覚しないほうがよい 
  おやさまが お連れとおり下さってこその 日々である
  お助け先に 見る理を 自ら 払い 助かっていただく理を作り 運ばせていただくから ともに 理が
  変わる おやなら なおさら 枝葉に見る理の思案をせねばならない 枝葉は 自分の行く末ではな   いか 天地が五分五分であるなら 上にも理はある 下にも理はある
  理を 立てるとは 下の理も 立ててこそ 立つ理ができるのである 理を踏みにじることは怖い
  
  かんろだいが たおれ 前真柱さまが バイパス手術をされ 道全体の行く末 現状が 映し出されて  いると悟ることができる 

   だいは 地の理である。 世の中すべての 地の理である 婦人 生徒 患者 消費者 大地    
   バイパス すなわち 本来の組織の筋道からは 理が流れない状態であるから バイパスで 
   かろうじて 元の理につながる姿である     
   
   かぜのなかで 子供が 二人 凧揚げをしていた
   風の抵抗の エネルギーが 高く高く 凧を まいあがらせる
   風の 抵抗で 重いジェット機が 世界中を飛び回る
    抵抗は 飛躍の エネルギー となる   

 

励ましのコメントに感謝します 

と同時に、教会のために悩むようぼくの身につまされて涙が出そうになりました。
一方、天理教の現状に愛想をつかして何も言わず去っていく人に、教祖はどれほど残念の思いを抱かれることでしょう。

大工さんのような理解者の応援がある限り、一人でも多くのようぼくが原典の神意を知り、自立した信仰に目覚めることを願って、これからも情報を発信していきたいと、大いに励まされました。

まずはお礼までに。今後ともよろしくお願いします。


  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.01/06 11:07分 
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渾身の文章でした 

ときどきHPを訪問させていただいています。
「わが人生、逆転の日」、とても感銘深く読ませていただきました。
『教祖ひながたと現代』は私も購入いたしました。
この本ができるまで、こんな波乱万丈ないきさつがあったのですね。
真柱様はよく理解されているのに、統領以下の教団幹部の情けないこと!
こんな連中が本部、いや天理教全体をどうにもならなくしてきたのです。

心ある人で比較的自由な立場の人は何も言わず、天理教を去っていきました。
教会制度の中にいる人で、如才のきく人は面従腹背の日々です。
まじめに求める人はノイローゼになったり、うつ病になったり、ときには自ら死を選んだ人もいます。
自殺者は毎年3万人を越えていますが、私の知り合いで自殺した人は世間ではなく、みな教会関係者です。
これではおそろくしくて、人は教会に近づきません。

天理時報の記事がいいことを書けば書くほど、教内者の私でさえ不信の念がわいてきます。

大教会も含めて今の教会は事情だらけ。
もう恐ろしいくらい、みさと先生の予言はあたってきています。
みさと先生は語るべき言葉を原典(原点)から説き起こすことができる、本当に天理教の良心です。
蔭ながら応援しています。
  • posted by 大工 
  • URL 
  • 2010.01/05 22:39分 
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植田義弘

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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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