ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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「理」とはなにか(その3)「理」の分類

 次におさしづの中で、をやの思いとして説かれている理を大別しますと、
(1)一つの理
 おさしづ全巻にわたってあちこちに表れる言葉であり、この道の根本となる理を意味しています。月日親神様が紋型ないところからこの世人間を始め出した元の理、──すなわち混沌とした「どろうみ」の中から「陽気づくめに暮らすのを見て共に楽しみたい」との思召しにより、元なる神が自然を「神のからだ」とし、人間を神みずからの子どもとして創造するために、月日がみずから入り込んで神の子となるべき種を「ひながた」に宿しこみ、生命を持続・発展させるための道具のはたらきを仕込んで、この世に産み下ろし育てられた順序と目的を説き明かされた。そして、再び「元こしらえた」親神が「元の親」として魂のいんねんある中山みき教祖を月日の社として入り込み、「ひながた」として、道具となる人間を元のぢばに引き寄せ、陽気づくめの世界を始めかけようとされた──まさに元始まりと同じ「一つの理」にほかなりません。
「一つの理」として表されている理こそは、この道がだめの教えである所以(ゆえん)を示す根本の理であり、同時にそれが当時のそばなる人々にとって最も悟り難く信じ難い理でもあったので、それ故に「分からん」「ざんねん」のお言葉をつねに伴っているのです。

(2)神一条の理、神の理、道の理
「一つの理」にもとづくこの世の再創造、陽気づくめ世界のふしんのためのようぼくの生き方、道のあり方を諭されている理であります。それは「教祖ひながた」の理はもとより、次に述べる「天然自然の理」から成ってくる道であります。道の親子・兄弟姉妹、修理肥、ふしんに関連するおさしづも、この中に含めることができるでしょう。お言葉の数も最も多数にのぼります。

(3)天の理、天然自然の理
「一つの理」によって創造され守護されている世界、すなわち「神のからだ」である自然、「神のかしもの」である身体、「神の子」である魂──に共通する理のはたらきであります。親子の理、夫婦の理、順序の理などを中心として、植物や自然現象をあらわす言葉によって諭されている場合が多いのです。何故なら、植物や自然の世界には人間のような「心の理」の自由がないだけに、すべてが「天の理」の支配のもとに成り立っていますから、最も純粋に「天の理」のはたらきを現わしているからです。

(4)心の理、心一つの理
「心一つが我がの理」(おかきさげ)として、心の自由を与えられた人間の心の世界について諭されたのが「心の理」についてのお言葉であります。「心の自由」が与えられている以上「天の理」に則するか反するか、どちらにも成り得るわけであります。
 したがって「心の理」についてのお言葉には、肯定と否定、善と悪の両面が含まれています。悪い理としては、悪いんねん、ほこり、人間心、人間思案、先案じ、勝手、義理、遠慮、ついしよう等々があり、善い理としては、誠、たんのう、つくし・はこび、たすけ一条、いさみの心などが含まれます。(「つくし・はこび」はあくまで心の理が伴って初めて善として受け取っていただける理となります)
 一般に「心の理」がさまざまな身上・事情の原因であることは申すまでもありません。天の理と心の理を一つに合わせ、さらに神一条の理にもとづく道を通り切ることによって、いんねんが果たされ、病いの根が切れ、魂が磨かれて末代つづく「陽気づくめ」の境地に達することができる、それが道の順序であることを常に諭されているのです。
 本来、心の自由を許されているということは、人間が「神の子」であることの証拠であります。何故なら生命を創造し守護されている親神の十全の守護の理と心の理は、根源において一つのはたらきであり、それ故に身心は表裏一体であるからです。
 おつとめの地歌に「地と天とをかたどりて夫婦をこしらえ」たのが人間の元始まりでありますから、私たちの魂の本性には、天地の心、火水風と同じ理の心が宿されている筈なのです。月日親神が入り込んで人間の元種を創造されたのですから、月日の心、誠一つの心、神の心が宿されている。だから「神の子」なのです。しかも元初まりの時、自然と生命を構成する道具のはたらきを仕込まれているからこそ、山から掘り出した鉱石を原料として、火水風の力を借りて金属を分離し、それをつなぎ、切り、伸ばし、組み立て……などすることによって、自動車やコンピュータをはじめあらゆる人工製品を創り出すことができるのです。これはすべて心の理の本質に自然を超えた神のはたらきを分け与えられているからに他なりません。
 ただし、人間は決して自然や生命(細胞)そのものを創り出すことはできません。種や火水風など神の創造物(神のからだ、神のかしもの)は「理」そのものであり、つねに循環して消滅することはありませんが、人間の造った人工的な建物や機械や道具は、古くなってすり減れば再び元へ戻すことはできません。こうした知恵の限界を知らず、心の自由を乱用するとき、必ず不調和と対立抗争を生み、怪物のごとく自然を破壊し、高慢と欲望の果てに自滅するでありましょう。
 ともに元の理から産み出された「同じ魂」を分け与えられている故に一れつは皆兄弟同胞であり、誠一つの理によって陽気づくめの生活を基にし得る素晴らしい可能性を与えられている「神の子」としての自覚をもち、自らの限界を知り、親なる神の教えを聞き分けない限り救いはないのです。

 原典おさしづの中で「理」という言葉で表されている神意は、前述したくつかの理のどれかに当たり、上に形容を略されているわけですから、私たちが「理」という言葉を使う場合、それが原典にもとづく道の理であるかどうかを常に見直さなければなりません。天理教と称しながら、もし「天の理」と異なる「人間勝手の理」を説いているようなことがあれば、親神様・教祖に対し、また人様に対し、重大な責任を問われても仕方ないでしょう。
 なお、おさしづの啓示内容は、当然のことながら、おふでさきみかぐらうたの内容と符合一致し、「元の理」を土台として諭されたものであります。その中に埋もれている天の言葉は時代を超えて今日の道の上に重大な示唆と警告を与えられているのです。
(以上で「理とはなにか」の連載を終ります)
(補 足)
  5年半ほど以前の2010.2.28付のブログ「わが道を行く」(その1)で、「理」についての対話、定義、特性などを詳述していますので、補足記事としてリンクしておきます。あわせて確認してください。

 
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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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