ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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乱高下する気温と人心

 今年、つい先頃までの気候は、たしかに異常というより調和が乱れている。暖かくなったかと思えば急に気温が下がって冷え込む日々が続いた。
 4月頃には、だんだん冬が近づいてくるような気配さえ感じたものだ。5月半ばを過ぎて、ようやく霜が降りる心配がなくなり、早朝に外へ出ても寒いと感じることはなくなった。
 COによる温暖化というより、原因の分からない気温の乱高下とう気がする。つまり、原因は物質だけにあるのではなく、世界的に人心がバランスを失って乱高下している状態が、自然環境に反映しているような気がしてならない。天地自然には人心を映す鏡の理があると信じたい。
 
 もちろん気候不順は今に始まったことではない。昔はもっと頻繁に大雨による洪水や干ばつによる農作物の不作が続き、そのために農民の生活が脅かされたものであった。
 手元にある「天理教史参考年表」(高野友治編)を広げてみると、教祖ご誕生の翌年、寛政11年(1799)は大不作の年で、反収0.5石~1.3石位と記されている。戦後の米作(反収5石以上)と比べると、1反につき1石も収穫できない状態は想像できない。
 また教祖14歳の文化8年(1811)の6月半ばの一夜、大雨のため大和一円が大洪水となり、死者数万を数え、7月下旬から10月下旬にかけて彗星が北の空に現われた、という。
 天保9年(1838)立教の年の前後にも天候不順が続き、大雨による凶作のため米価暴騰し、天保8年には大阪で大塩平八郎の乱が起こっている。(当時の反収は2石となっている)比較的温暖な大和地方でも気候不順が続いたということは、東北地方の農民はもっと難渋な生活を強いられていたに違いない。
 
 教祖の教えが世の中に受け入れられず、上・高山(権力者)が谷底(農民など)を支配していた当時、「神の残念」が積もり重なっていたに違いない。それ故に、自然の乱れも大きく、冷害・干ばつが繰り返されていたのかも知れない。
 空気はどこにでもあるから有難さが分からないように、今でこそ差別のない自由な世の中が当たり前になっている。ところが、身分や男女の差別はもちろん人権や自由もなかった封建時代に、教祖が「この身の内離れて神はなし」と説き聞かされたことは前にも紹介したが、身分や男女の分け隔てなく体内に神が入り込んで守護されているという教えに感激した道の先人たちは、わが身の内に神おわす有難さに歓喜し、わが身わが家を忘れて布教に奔走したのであった。その時代と比べると、少なくとも日本国内で戦後半世紀つづいた平和と差別のない世の中は、「神の残念」が少しは和らいだ期間であったと思われる。

 教会で十二下りのみかぐらうたを唱和しておつとめできるようになったのは、戦後になってからであった。戦時中の軍国主義政権下では、よろづよ八首をはじめ三下リ目、五下り目を歌い踊ることを禁じられていた。そう言っても戦後世代には信じられないだろうが、「よのもと」とか「もとのぢば」という歌詞は、天皇の祖先を祭る伊勢神宮こそ日本の「もと」である故に怪しからん、という理由であった。終戦前までは、日本に人権も自由も全く封殺されていた。女性には選挙権もなかった。
 ところで、戦後、毎年のように豊作が続くようになったのは、日本全国の教会で「みかぐらうた」十二下りを欠けることなくつとめることができるようになったお陰に違いないと、いつかどこかで聞いたことがある。教外者が聞けばそれこそ「我田引水」と否定するに違いないが、正直申して、そう信じたい気がする。
 
 気象衛星を使った天気予報とはいえ、数日先の天気は必ずしも当たらない。最近も雨の予報がずれて晴天が続いている。晴天を「良い天気」、雨天を「悪い天気」と予報士が何気なく口にするたびに私は抵抗を感じる。野菜を作っている者にとっては、雨天も良い天気に違いないからだ。
 霜警報というのも、夜になって「明日の朝は遅霜が降りる可能性があるので注意して下さい」と予報されても対策の立てようがない。事実、今年は4月末に霜が降りて、移植したばかりのキュウリの苗や発芽したジャガイモの葉が枯れる被害を受けた。
 
 10坪あるかないかの畑で神饌用の野菜を作っている私としては、気象情報が気になって仕方がない。初めに記したように、今年の春は気温の乱高下があったために野菜の生育が悪かった。エンドウやほうれん草の背丈が伸びずに萎縮している。
 晴雨も敏感に野菜に影響する。晴天が続けば水を欲しがっているのが分かるのだが、もう一日、もう二日の辛抱、と心を鬼にして? 水をやらずに眺めていることにする。野菜も甘やかせばロクなことはない。もし野菜に同情して一度水をやると、毎日続けて水をやらないと枯れてしまう。(本当は理屈ぬきに水やりがシンドイからサボっているのかも)
 
 リンク先の「らくだ」さんのブログ「私と天理教」では、ナス・ピーマン・プチトマトなど夏野菜を夫婦共々植付けしたとの書込みがあって、かわいい鉢植えの写真が表示されている。鉢植えの場合は気温や水のコントロールがしやすいし、お二人の心を合わせて世話すれば、すくすく育つことは間違いない。とはいえ、鉢植えは人為的な場であるから、畑に植えた野菜と同じ収量の実はつかないことは、天然自然の理として止むを得ないだろう。

 因みに原典おさしづは、天の理を諭される場合、天候・気象・季節などの自然現象、および植物系にみられる生命現象に喩えられることが多い。例えば、旬・年限・水・雨・風・種・根・芽・節・花・実・香り・匂い・味、等々。そのわけは、自然現象や植物の世界には、人間に許されている心の自由はない故に、天の理がそのまま純粋に顕現しているので、天の理を諭すために最も適しているからであろう。
 その実例として「おさしづ」を拝読してみよう。
「一粒万倍の理を聞き分け。皆 種より生えて来る。天の理に凭(もた)れてするなら、怖き危なきは無い」(23.6.20)
天然自然年限の理から出けたもの。今日種を蒔いて実がのるかのらんか。これ思やんすれば今日の思やん出ける」(31.1.12)
「無理な理は成り立たんという。今年で行かねば来年というが、天然の理という」(31.4.4)
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