ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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(再考)憲法とは何だろう?

 最近になって憲法論議がさかんになってきている。安倍政権の目玉政策「集団的自衛権」をめぐって国会が大混乱の情勢になっている。宗教と政治は次元が異なるとはいえ、やはり一国民として、また70年前までの幼少年期に軍部独裁政治の暴走による太平洋戦争に翻弄された原体験をもつ私としては無関心でいられない。
 毎年5月3日は憲法記念日に当たる。そこで6年前のブログおよび10年前のメールマガジンでも記念日に当たって「憲法とは何だろう?」というタイトルで発信した文面の一部を再読して参考にしたい。
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(2013.htt 5/03付ブログ「憲法とは何だろう?」より)
 朝日新聞紙面で憲法学者の石川健治東大教授は「勝つためのルール変更」は選手が勝手にできないという意味で、政権が国会で憲法改正権を変更することは「立憲国家への反逆」であり「真に戦慄すべき事態」との意見を寄稿している。たしかに立法権と行政権は国会および政府にあるが、憲法改正権だけは別に2/3の賛成を必要とする高いハードルが課せられている(ドイツやアメリカも同じルール)。
 政府自体がそのハードルを他の立法権と同じ1/2に下げようとするのは、例えばプロ野球で阪神タイガースの監督や選手が甲子園球場でホームランが出やすいようにルールを変えようとするに等しいということになる。サッカーの場合でも、国会議員にあたるプレーヤー自体はオフサイトのルールを変更する権利がないのと同じである、と石川教授は強く批判している──その論理的矛盾に安倍首相はじめ国会議員が誰も気づいていないとすれば、これほど戦慄すべき違法行為はない、と。
 しかも現在の国政選挙は国民一人当たりの議員定数を是正しない限り憲法違反との判決が最近になって出されている。憲法に違反している政権が憲法を改定しようとするのだから、まさに二重のルール違反に相当する重大な局面に違いない。
 じつは4年前の2009年の憲法記念日に「憲法とは何だろう?」と題して発信したことがある。それは、このブログの前身メールマガジン92号で配信した記事であった。いま読み返してみて、大事な問題点を解説していると思われるので、66回目の憲法記念日に当たり、その一部を再度ここに転載することにしたい。

 メルマガ<心のテープ>(92号)配信日:2009/5/7
 万能の学者として有名であった故・小室直樹氏の著書『痛快!憲法学』(集英社/2001)は、「第一章 日本国憲法は死んでいる」から始まっている。そのタイトルの横には、憲法の前文の一部が並べられている。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(前文)
 さて、なぜ憲法がすでに死んでいると断言できるのか。その理由について小室氏の説に耳を傾けよう。小室先生はまさに博学多識、本物の学者として信頼できるからだ。私自身、小室氏の憲法論を読んで「目からウロコ」の思いをした一人なのだ。
「第二章 誰のために憲法はある」には、やはりタイトルの横に次の条文が掲げてある。「この憲法は、国の最高法規であって、その条文に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(第98条)
 とすれば、最高法規である憲法と、その他の法律とは、どう違うのか。著者に従って、法律とは何かを確認しなければ前へ進めない。
 法律とは、国家権力による強制的な命令であると言って間違いない。それでは誰に対する命令であるかと言えば、その対象者は法律によって異なっている。

 民法は国民全体に対する命令であるが、刑法は一般国民のための法律ではなく、かと言って違反しないように犯罪者を戒めるための法律でもない。つまり刑法は、犯罪に応じて定められた刑罰を正しく判決するための裁判官を対象とする法律ということになる。例えば、裁判官が殺人罪を犯した容疑者に1年以下の懲役を宣告したり、窃盗罪に死刑の判決をすれば刑法違反ということになる。
 したがって、刑法に違反する恐れがあるのは裁判官であって、犯罪者は刑法に基づいて裁かれる対象ではあっても、刑法違反者ではない。刑法は道徳的な規範を定めるために制定されたのではない。それ故に、国民全体に共通する規範や慣習を失いつつある日本では、法律以外に歯止めがなくなって、無差別犯罪が多発する原因の一つとなっている。この状況を社会学ではアノミーと呼ぶ。

 現在の家庭崩壊、学級崩壊、無差別殺人など、すべての無規範(アノミー)状態は、憲法が死んでいることに原因があり、しかも今の日本には民主主義も根づいていないという。「まさに日本は滅びの渕に立たされていると言っても過言ではない」と著者は断言している。
 憲法は生き物だから、それが死んでしまった現状では、護憲も改憲も無意味となる。但し人間と違って、憲法は一旦死んでも、国民の自覚次第では再び生き返ることができる。そのためには、憲法は他の法律と根本的に違うことをはっきり知らなければならない。

 ここで、法律的に警察や検察の立場はどこにあるのかということが重要な問題になる。間違ってはならないのは、裁判官は司法権に属しているが、検察官は行政権、つまり政府・官僚の一員であり、両者の立場は全く違うということだ。検察は決して中立ではなく、政府側の立場になるのだ。
 ところが日本の新聞・テレビなどのマスコミは、昔も今も、政府権力の代理という立場にある検察を無条件に信頼し、検察官の調査や発表の正当性を無条件に認める傾向がある。最近も野党に対して不公平な検察の動きがあっても、マスコミは検察の発表を批判しようとしなかった。戦争中の新聞・ラジオは、軍部官僚の言いなりになっていた。一つ間違えば、今でもマスコミは権力の手先になってしまう危険があることを忘れてはならない。
 
 さて、憲法という法律は上記の民法や刑法とどう違うのだろうか。憲法は成文法ではなく慣習法であると定義づけられている。成文法と慣習法の違いは何かと問われても簡単に答えられないのだが、この違いが憲法の生き死にと深い関係があるという。憲法の条文が国民の間で慣習として定着していない限り、その憲法はただの「紙切れ」になってしまう、それが成文法との違いになるという。つまり、憲法を生かすも殺すも国民の自覚次第だということになる。
 
 前述の通り民法や刑法は、国民または裁判官や検察官を対象に定められたものであった。それらの法律は、国会の決議や最高裁で廃止の決定がなされない限り、いつまで経っても生きつづけている。
 ところが憲法だけは、国民を対象として書かれたものではない。では誰を対象に定められたのかと言えば、国家権力のすべてを監視し束縛するためにあるのが憲法だ、と著者は明言する。国家権力には、司法、行政、立法のすべてが含まれる。公務員つまり警察や官僚も権力の一部に他ならない。「したがって、憲法に違反することができるのは国家だけ」と著者は言う。「これが日本人には全く理解できていない」と。

 ここで、最初に掲げた憲法の前文を、もう一度読み返してみる必要がある。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(前文)
 言論の自由をはじめ、人権や生存権などを保障する義務は、すべて政府権力に課せられている。自由とは、権力からの自由に他ならない。国家だけが、法律を定めて言論の自由を侵す危険性があるからだ。
 実際、国家には警察や自衛隊という、武装した暴力による強制力がある。法律一つで財産を丸ごと取り上げたり、否応なしに徴兵することもできる。これらは前の戦争中に、当然のごとく行われたところである。日本国民が目覚めるべきは、国家権力を「お上」と尊敬したり「善なる力」と錯覚しないことである、と小室氏は重ねて警告している。国家は恐ろしい怪物あるいは怪獣に似ていることを忘れてはならない、と。

 日本だけではなくアメリカ合衆国も、1776年独立宣言した当時から南北戦争を経て、凡そ40〜50年前までは黒人差別があった。デモクラシーや人権尊重どころか、奴隷制度や原住民への仕打ちなど、120年前までは無法状態に等しく、実情はひどいものであった。
 ただ日本と違って、独立宣言や合衆国憲法の精神は死に絶えることなく、人種差別も次第に撤廃され、このたび初の黒人オバマ大統領を選出した。こうしたアメリカ国民の自覚と努力に敬意を表したい。

 さかのぼれば、日本にも大正デモクラシーと呼ばれた時代があった。もちろん 私の生まれる前だから 体験したわけではないが、 昭和11年(1936)に起こった2・26事件をきっかけとして軍部によるテロが横行し、民主主義が崩壊して軍部独裁に移行してゆくことになる。
 それ以前から第一次大戦後の世界的大恐慌があり、不況の波が押し寄せて、国民は失業と貧困に陥った。そうした100年近く前の様相が、現代と二重写しに見えてくる。ということは、このままでは政府権力やマスコミが、知らぬ間に憲法を無視して日本を危険な方向に引きずっていく可能性があるということだ。
 かつて大正デモクラシーが崩壊していった1930年代と現代の状況を重ね合わせて、憲法を生き返らせるために目覚める必要がある。……
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 以上、過去の情報が長くなって恐縮ながら参考になれば幸いです。
 10年後のいま再読してみると、何か予想が的中したようで怖くなってくる。あたかもつい最近の6月9日、衆院憲法審査会に参考人として出席した憲法学者3人がそろって安倍政権の目玉政策となっている集団的自衛権の行使容認を「憲法違反」と明言して国会は大混乱の最中になっている。
 下記は最近の高知新聞WEB版に発信された記事で、タイトルは次の通り。
「集団的自衛権丸ごと違憲 高知新聞が長谷部・早稲田大学教授にインタビュー」http://www.kochinews.co.jp/?nwSrl=339110&nwIW=1&nwVt=knd
 まさか政府の圧力で記事が削除されることはあり得ないと思いたいが、万一のこともあるので、その要点を次に引用しておきたい。
 インタビューの中で長谷部教授は、安全保障関連法案の成立を目指す自民党の推薦ながら国会で「違憲」と述べた理由について「聞かれたから、自分が思う通りに話した。集団的自衛権に関しては丸ごと違憲だ」と語った。
「安全保障環境が以前より危険だというなら、日本の限られた防衛力を地球全体に拡大するのは愚の骨頂だ」
 解釈変更で事実上の憲法改正を進める現政権の動きを「異常だ。変な国になる」と強く反発。仮に集団的自衛権が行使可能になったとしても、「イスラム国の掃討作戦には参加しない」とした首相発言に対し、「今の首相がそう言っただけ、という話になる」とし、時の権力者によって解釈変更が拡大する懸念を示した。
 ホルムズ海峡にイランが機雷を敷設するという想定も「考えられない。全くのファンタジーだ」と述べた。
 さらに長谷部教授は次のように応答した。
「憲法が再び根本的に変われば大戦争が起きる可能性は常にある」
「憲法のことを日々考えずに済む国民は大変ハッピーだが、今回は根幹を変える話。いずれ日々考えるようになるかもしれない」
「サッカーで自陣のゴールが危ないのに選手を敵サイドに分散させるチームがありますか?」
「米国に軍事協力をすれば、日本の安全保障にも参加してくれると希望的観測を抱く人もいるようだけど、それは甘い。米国は自分の国のためにしか軍隊を動かしません。どこの国もそうです。さらに米国は本格的な軍事行動に連邦議会の承認が必要で、大統領制下では議会が政府の言うことを聞くとは限らない。日本の国会承認とは全く違うものです」
「与党の方々は『抑止力を高める』とおっしゃるが、こちらが高めると、向こうはさらに軍備を増強するかもしれない。第1次世界大戦も第2次世界大戦も、抑止力競争の結果として始まりました。『抑止力を高めれば平和になる』というのも希望的観測です」
「抑止力を高めても安全になる可能性はない、とは申しません。より危険になる可能性も少なくとも同じ程度あるということです。日本周辺の安全保障環境はそんなに変わっていないはずですがね」
「憲法とは、そのときたまたま首相になった人の考えで、やたら動かしてはいけない。そのための憲法です。だから、なかなか変えにくくしているのです。安倍首相は今のサミット(先進7カ国首脳会議、ドイツ)で『人権、民主主義、法の支配を守る』とおっしゃったけど、法の支配を守るなら、今の憲法を守るべきです。自分で破っておいて『守る』とは。言ってることと、やってることが違います」

  ついでながら、情報ファイルをもう1件リンクしておきたい。
 安保法制 私はこう考える/米追従せず「太陽」に
 ジャーナリスト西谷文和さん(54)毎日新聞記事より
 http://www.geocities.jp/shougen60/bromaga/nishitani-kiji.jpg

(大事なお知らせ)
 今月25日の月例会は、以前から提案しておりますように、同日同時刻に開催される公開講座に合流して、その講演会の会場に席を移すことになっていますので、ご了承ください。詳しい日時・会場・講師・演題については添付のチラシをクリックして確認してくださるようお願いします。
 公開講座 第四回「原発問題」を考える市民の集い
 日本をとりまく現今の国際状況と原発問題


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Comment

誤解を解くために 

 このブログは教団とは関係なく、中山みき教祖を信じる一個人として発信しているものです。
 個人としては、選挙権のある一国民として発言する自由は認められるはずです。政治権力に影響されない日本人は誰一人として生存していないのです。
 もし戦争の実態を知らない若い世代の方なら、参考までにぜひ下記サイトを訪ねてみてくださることをおすすめします。
「孫崎享のつぶやき」
 http://ch.nicovideo.jp/magosaki?
「戦争を語りつぐ証言集」
 http://www.geocities.jp/shougen60/

  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2015.07/07 09:04分 
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  • [Res]

 

集団的自衛権行使は、主に今の中国に対して備えようとしております。尖閣諸島や南沙諸島付近に進出しようとしてる中国に対して、国益を守るために集団的自衛権行使は当然です。傍若無人な国家に対しては、徹底的にぶちのめすべきです。
天理教に限らず、各新興宗教は理想を述べてますが、『おつとめ』などネンブツ唱えて理想が実現できるはずはありません。
ましてや、宗教団体が政治に対して意見を述べることは行うべきでないです。二代真柱も政治的な活動を控えておりました。
  • posted by 匿名 
  • URL 
  • 2015.07/06 23:39分 
  • [Edit]
  • [Res]

サカさんへ返信 

「義務」を「権利」と錯覚しているのか、民主主義とは言えない現実ですね。

一方、憲法に気をとられて原発のほうがお留守になっている間に再稼働していまいそうです。次のブログ更新では、福島原発事故の半年前に出版された廣瀬隆氏の「原子炉時限爆弾」を紹介したいと思っています。この本を読んで、なんと自分が無知だったのかと反省しています。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2015.06/19 07:47分 
  • [Edit]
  • [Res]

NoTitle 

関連して。
日本国憲法第10章最高法規第99条[憲法尊重擁護の義務]
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
「義務」なんですよね!!
私たち国民は憲法に守られる権利があるですよね!(97条[基本的人権の本質]
  • posted by サカ 
  • URL 
  • 2015.06/17 21:29分 
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  • [Res]

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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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