ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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社会との関わりに見る教祖ひながた

 
 3月の例会の席上、次のような発言があった。教会長はじめ多くのようぼくは社会問題に無関心で、個人的なおたすけだけに専念して、社会の事情は信心とは別問題と思い込んでいる、と。本当にそうだとすれば、教祖ひながたの道を改めて見直さなければいけないと思う。

 教祖は明治7年2人の熱心な信者に「大和神社へ行き、どういう神で御座ると尋ねておいで」と言葉をかけられた。両名はさっそく由緒ある神社に行って尋ねたところ、祭神は記紀にしるされた通りと答えたが、守護の理については一言も答えられなかった。二人は持参した「おふでさき」を見せて天理王命の守護を述べ立てたところ、百姓の身分で記紀にない神名を称えるのは不都合と厳しく咎められ、折り返して大和神社や石上神宮の神職たちが問答を仕掛けにやってきた。この時『稿本教祖伝』(117頁)によると、教祖は神職に対して「学問に無い、古い9億9万6千年間のこと、世界へ教えたい」と答えられた。

 その後、皇室に縁の深い山村御殿(円照寺)から取調べのため呼出しがあった時にも教祖は響きわたるような声で「親神にとって世界中は皆わが子……」「火水風とも退くと知れ」と言い渡された、と記述されている。身分や立場をわきまえて行動する常識からいえば、教祖ひながたはまさに農家の主婦という立場を無視した非常識な言動であった。
(教会の講話で「それぞれの持場立場に応じて……」という言い方をよく耳にするが、教祖ひながたに反する説教の仕方ではないかと違和感を覚えることが多い)

 それ以来、明治15年の「かんろだい」取り壊しをはじめ、寺社や官憲の取調べ、神具の破壊没収などが繰り返された。明治18年には教派神道の一派として神道本局の傘下で六等教会として認めれたが、その条件は本局に提出した「五ヵ条の御請書」を守ることであった。その請書とは、
一、奉教主神は神道教規に依るべき事

一、創世の説は記紀の二典に依るべき事

一、人は万物の霊たり、魚介の魂と混同すべからざる事

一、神命に託して医薬を妨ぐべからざる事

一、教職は中山新治郎の見込みを以て神道管長へ具申すべき事
 これらの条文は明らかに「泥海古記」の否定であった。また教会設置の認可には初代真柱(当時は教長と呼んだ)と並んで「神道管長 稲葉正邦」の書名捺印を必要とした。
 翌年の真冬きびしい寒さのなか最後の櫟本分署で12日間に及ぶ最後のご苦労をされるまで、教祖に対する呼出し拘留は合わせて18回に及んだ。

 教祖おかくれ後も当時の官憲の嫌がらせや干渉・禁圧は尚も激しくなった。中でも明治29年の秘密訓令は大きな打撃であった。「秘密訓令」の内容は次の通り。
「近来天理教の信徒を一堂に集め、男女混交ややもすればすなわち風俗を乱れるの所為に出で、或いは神水神符を付与して愚昧を狂惑し、遂に医薬を廃せしめ、もしくはみだりに寄付を為さしむる等、その弊害漸次蔓延の傾向有り、これを今日に制圧するは最も必要の事に候条、将来は一層警察の視察を厳密にし、時宜に依っては公然会場に臨み、もしくは陰密の手段を以て非行を抉摘し、その刑法警察令に触れるものは直ちに相当の処分をなし、又そのしからざるものは、必要によりては祈祷説教を差し止め、もしくは制限する等臨機適宜の方法を用いて、その取締りを厳重にして、殊に金銭募集の方法については最も注意を周密にし、且つその状況は時々報告すべし。なお、神仏各宗派にして禁厭祈祷、風紀並びに寄付金に関し天理教会に譲らざる弊害あるものも可有り。これまた同様の取締りを為すべし。
  
  明治29年4月6日         内務大臣 芳川 顕正」



 同年5月18日、天理教本部は、内務省訓令につき連日会議し、紛糾の末次のことを決議した。

1、朝夕の勤めで「あしきをはらうて」を止め、「ちょとはなし」と「かんろだい」だけにする。(古事記にない「天理王命」の神名を繰り返し唱えることを自粛するためか)

2、かぐらづとめを自主規制する。

3、守札は神鏡に改める。

4、天理王命は天理大神と改称する。

 さらに日清戦争の時に協力が足りなかったことが訓令発令の原因になったとして、以後戦争協力の姿勢を強めることに決定した。明治36年には神道教義に則った「明治教典」を作成配布、明治41年に至って教派神道13派の一つとして天理教一派独立が認められた。認可を受けるまでに神道本局へ莫大な寄付を届けつづけたといわれている。


昭和に入ってからも右翼系の指導者・山中重太郎が入信した後に教団を裏切って本部側の要人を告訴したり、昭和13年には今井新造衆院議員が国会で天理教審判を主張、その対応策として今後は一切「泥海古記」を説いてはならないと明記した「諭達第八号」を発布した。さらに翌年、よろづよ八首、三下り、五下り目を削除した「新修御神楽歌」を刊行し「おふでさき」「おさしづ」を回収、全教会長を対象として「明治教典」にもとづく教義講習会が実施された。
 こうした迫害干渉の理由は、ひとえに「泥海古記」(元初まりの話)が、古事記を唯一の神典として民心の統一を謀った「上・高山」(横暴な権力)に反していたからであった。その結果、昭和20年の敗戦に至るまで「おさづけ」による身上たすけだけで教勢は大いに進展した。現在と違って医薬や保険が行き渡っていない当時にあっては、重病難病にかかった人々は、布教師によるおたすけの実例を見聞して熱心に救いを求めた社会環境であった。(医薬と保険で誰でも安心して治療できる現在の社会環境とは全く違っていた)

 戦前・戦中、日本人の心を支配した国家神道は、敗戦と共に憑き物が落ちたように忘れ去られた。戦後は「一れつろくぢ(平地)に踏みならす」の預言通り、日本は法律の上で大変革されて身分や差別が撤廃され、もはや教祖を誹謗する者はなくなった現在、「復元」の道は原典を中心として更なる「心の成人」をめざし、教祖ひながた通り社会や地域の問題に積極的に関わっても警察に呼び出されることはあり得ない。にもかかわらず、戦後も天理教のイメージが一新されないまま現在に至っている現実を反省するべきであろう。
 原典を棚上げせざるを得なかった戦前と同様に個人的な身上・事情のおたすけだけでは世の中は治まらない。いたずらに教会内部の人間関係に囚われて社会との接点を失い、教祖ひながたを忘れた通り方を「神一条の道」とは言えないだろう。
(追 記) 
 最近のコメントに応答している中で、教祖殿で「おさづけ」拝戴した後、それぞれに渡される「おかきさげ」こそは最も基本的な諭しとしてもっと身近に熟読することが大事ではないかと気づかされた。念のため次にその原文を「よふぼく手帳」からコピーしてリンクしておきますので、ぜひ読み返されることをおすすめしたい。
「おかきさげ」
「おかきさげ」にある最後のお言葉「家業」「互い互い孝心の道」の神意については次のコメントで応答しています。
 http://tenkoku0805.blog9.fc2.com/blog-entry-356.html#comment408
 なお「おかきさげ」とは、明治の頃、飯降本席様から「おさづけ」を戴くとき一人ひとりに下がったお言葉の要点を集約したもので、よふぼくの生涯にわたる座右の銘とするべき神言です。単に祝詞袋に入れて飾っておく物ではないことを自覚したいと思います。




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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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