ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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4/25 月例会報告

「里の仙人」として通る道すじ

 18日に教祖誕生祭がつとめられた影響もあって、25日の例会への参加者は14名(うち女性3名)に留まった。そのため用意した資料(4枚セット)や天然水のボトルもだいぶん余ったが、18日に帰参した人が欠席になるのはやむを得ない。急に暖かくなり晴天つづきの日が続いたのが何よりだった。

 当日の配布資料「平和の会チラシ」および来る6月25日に天理市内で開催される「公開講座の案内」は4/14付のブログでリンクした。ブログのコメントに添付されていた「なかにし礼:平和の申し子たちへ」の詩は4月の例会案内からリンクしたので確認していただきたい。少年期の原体験記「オトナたちの変身」も4/05付ブログで紹介した。当日はそれぞれの資料について簡単に説明した。

 その後、先月の例会で話題になった「教会長・ようぼくの社会問題に対する無関心」のテーマで「社会の事情は信心とは別問題」と思い込んでいる現状について、その原因を確かめたいとの思いで発言した。
 ところが政治や経済の問題は、信者さんの職業や立場によって利害関係の違いがあるため、教会が一律に是非を決めることは難しいとの意見が出た。しかし、常識や人間関係を重んじるあまり、神一条よりも人間一条に陥る危険もあり得る。教会長の内心に教内の人間関係ではなく教祖のイメージが大きなウエイトを占めているかどうか、が問題となる。(教祖ひながたは明治の頃にはいかに非常識であったかについて、いずれ日を改めて確かめることにしたい)

 戦後70年の歴史についても世代の差によって受け取り方が異なることを改めて思い知らされた。最近評判になっている現代史の書物によれば、日本人は「敗戦」を「終戦」と言い換えてごまかし、戦時中の責任を認めないまま現在に至っている。いわば「敗戦の否認」というべき状態が続いているわけは、戦争を指導していた保守勢力が戦後も再び支配的な地位に留まり続けるためであり、アメリカも日本の安定のために権力の温存を望んでいた。与えられた民主主義や独立は本物ではなく、アメリカとの属国的な同盟関係をずっと続けることで政府やエリート官僚は権力を維持している。
 一方、中国に対して日本は敗けていなかった、日清戦争に勝って一等国になったのだから五分五分だ、という思い込みがある。中国戦線に出征した軍人はどんなにひどい蔑視や残虐な行為をしたか話そうとしない。日本が仮想敵国扱いすれば中国は益々反発して敵意を抱く結果になる。日本から仲良く話し合いの態度を示せば、過去に侵略されたと日本を批判している国が同じ行動を起こすことはないだろう。その点で安倍政権の「積極的平和主義」には疑問を感じざるを得ない。
 
 恒例によって書き残した当日の発言要旨をまとめて報告しておきたい。
1)「一銭二銭でたすけする」(九下り目一ツ)と「みかぐらうた」に歌われているように、僅かの御供を受け取ってたすけするのは、教会を通して社会へ寄進(奉仕)するためであり、上級へ御供を運ぶのが本来の目的ではない。
2)物事を一律に規定するのではなく信心にも多様性が必要ではないかとの意見あり。ただし、枝葉や花の多様性だけを求めるのではなく、根幹となる元の理があるからこそ、無限の多様性を以て応用・展開し実を結ぶことが真実の道であると信じたい。
3)「里の仙人」と教えられる以上、地域との関わりが大事であり、教内の当番や行事のために地域から遊離した「山の俗人」にならないことが大事。教会の上下関係や固定制度が「山」となって世間との障壁になるとの意見もあった。  

 最後に84歳になる岩井顧問が発言を求めて、20代の入信以来生涯をかけた信仰信念を語った。武力で裏づけられた法律で成り立っている現在までの社会が「天理の世」となる未来の「立て替え立て直し」の順序と様相についての熱弁であった。
 たしかに世界は政治も金融も益々混乱と崩壊の様相を呈してきている。今後さらに地球の大変動にも等しい災害や戦乱が起こっても、決してあわてず恐れず神にもたれてたすけ一条に通れば必ず守られる、と「とめふで」の啓示にも伝えられている。その預言を信じている者は暗闇の中の灯となって人々の進む道を照らす者とならねばならぬ。人々もきっとつき従ってくるであろう。恐ろしいことだが、その刻限が到来するのは遠い先ではない。
 くわしくは岩井顧問のHP三千世界の立て直しプログラムを訪ねて確認していただきたい。
(注 記)
 上記太字の文節は、岩井顧問本人から報告文の表現の一部に抗議の電話があって訂正したことを了解ねがいます。

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Comment

ついでに補足させてください。 

「みかぐらうた」について説明するのを忘れました。
十二下りのお歌に振り付けられた「てをどり」は、世界最初に発明された手話になっていると或る人から聞かされて、成る程と納得したことがあります。

坐りつとめの地歌も同様に手話になっています。最初の「あしきをはろうて……」から「ちょとはなし……」も「一れつすまして……」もすべて手話に違いありませんが、とくに最後の「かんろだい」の手ぶりは、平らに均した「ぢば」の中心に「かんろだい」の土台となる石を据え(しっかり両手を下に向かって抑える手)その石を段々と積み上げていき(掌を返して真っ直ぐ上へ動かし)最後に平鉢を載せる(両方の掌をひろげて平鉢の形をつくる)のが正しい手ぶりです。

しかし、今では人によって様々に手ぶりが違っていて「かんろだい」が空中に浮いたり傾いたりしている状態になっている場合が多いようです。これでは「つとめの理」を立てているとは言えないでしょう。
  • posted by みさと 
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  • 2015.05/03 20:08分 
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NoTitle 

そうですね。どうもありがとうございました。
  • posted by 通りすがり 
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  • 2015.05/03 17:38分 
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大事な点に気づいた適切な質問ですよ。 

おかきさげにある「家業」とは、広い意味での「職業一般」を意味しています。当時の明治時代には会社員はほとんどいなかったので、農業と家内工業が普通であったのです。

それから「内々互い互い孝心の道」の意味ですが、孝行が子どもから親に対して一方的な態度と考えるのが常識ですが、親神様からみれば「親」に当たる人間も「子ども」に違いないわけですから、人間同士は一れつ「互い互い」の連帯関係にあることを望まれていると受け取ることができます。また「孝行」ではなく「孝心」という言葉を使われているのは「行ない」以前に「心をこめる」大切さを望まれているからと受け取ることができます。
最近の親子関係の乱れをみても、親のほうが子どもを虐待するケースが多いので、親子関係は「内々互い互い」であるのが真実といえます。この道の教えは道徳や常識ではなく時代を超えた真実誠の道である証拠です。

なお「おかきさげ」とは、明治の頃、飯降本席様から「おさづけ」を戴くとき一人ひとりに下がったお言葉の要点を集約したもので、よふぼくの生涯にわたる座右の銘とするべき神言です。単に祝詞袋に入れて飾っておく物ではないことを自覚したいと思います。
  • posted by みさと 
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  • 2015.05/03 10:19分 
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お答えどうもありがとうございます 

解りましたありがとうございます。
ちなみに、おかきさげの終わりの方に、諭すには日々仕事と親孝行が基本であると言う意味なんでしょうか?
その中の家業というのは自営業の事なのでしょうか?
「内々互い/\孝心」親孝行は、一方通行であるのに、なぜ互い/\孝心なのでしょうか?浅はかな質問でありますがどうかお許しください。
  • posted by 通りすがり 
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  • 2015.05/03 00:16分 
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通りすがりさんへの答え 

「成ってくるのが天の理」「因縁の自覚」は、いずれも原典おさしづの原文にはなく、不正確に要約された言葉が通用したものです。
正しくは「しようと思うて成るやない。しょうまいと思うでも成って来るのが、いんねんの理という」(明治27.5.31)
「たんのうは前生いんねんのさんげ」
明治三十九年五月三日 北部内豊岡支教会長妻木岡りゑ五十九才身上願
以上二つの諭しが出ています。
ちなみに「天の理」という教語は「おさしづ」全巻6331頁の中で唯一度次のさしづの中で出ているだけです。(これはネットで公開されている全巻のファイルを検索した結果ですから間違いありません)
「誠が天の理や。天の理にさえ叶えば、何処に居ても道が付くで」(明治27年7月 大阪近藤政慶若狭行きの伺)
要するに「理」という教語には是非善悪の二面があるので「いんねんの理」で成ってくるのは「天の理」とはいえないのです。詳細はおさしづ資料「第一部 天の言葉」のサイトにアクセスして初めに記してある「理について」「理の構造」を確認してください。
http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/ten-index.htm

次に「あげ下ろし」のお言葉の件ですが、これは「人間のあげ下ろしと同義語」と受け取ればよいと思います。続いて「肉が下るように成る程に」と譬えられていますから、当時の群衆心理を憂えて、代わりに真実の「みかぐらうた」を教えられたのです。

なお親神様は決して後ろ向きの「いんねん」を強調されたのではなく「いんねん」で最も大事なのは「元のいんねん」つまり「一れつ兄弟姉妹の理」の自覚から出発することです。その意味で、最も基本的な諭しとして「おかきさげ」をもっと身近に熟読することが大事ではないでしょうか。念のため次にその原文を「よふぼく手帳」からコピーしておきますので、ぜひ読み返されることをおすすめします。
「おかきさげ」
 http://www.geocities.jp/shougen60/bromaga/okakisage.jpg





  • posted by みさと 
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  • 2015.05/02 17:16分 
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教えてください 

初歩的な質問ですいませんが、「成ってくるのが天の理」「因縁の自覚」の出典元を教えてください。
それと、明治維新の時代、教祖が「あげ下しも念入ったら肉が下るように成る程に。」の意味は、お祓いさんが降る状況を人間のあげ下しと同義語として捉えたのでしょうか?それとも人間思案による思想の上げ下げに年季が入ると言う意味なんでしょうか?それとも別の意味なんでしょうか?お忙しいところ恐縮ですがどうぞよろしくお願いいたします。
  • posted by 通りすがり 
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  • 2015.05/02 00:29分 
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水素分子さんへ 

はじめてコメントを寄せてくださったと思いますが、今後も例会で感じたことを率直に知らせてくださることを期待しています。

「まるで居酒屋で会社の愚痴を言ってるサラリーマンの様」とは手厳しいですが、気づいていない盲点を突かれた思いがします。
月例会報告にはそんな愚痴っぽい話はカットしていますが、会場ではそんな会話が多いことは確かで、今後は自戒してもらうように気をつけます。貴重な時間をさいて参加してくださっているメンバーにとってムダな時間にならないように司会進行することが大事ですから。

教会自体や教会長に失望して天理教から離れようとするようぼく・信者の人々に、真実の教祖の実像と原典を知らせなければ親神様に申しわけないという思いが私の出発点になっていることは常々口にしているところです。
  • posted by みさと 
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  • 2015.04/30 08:38分 
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月例会に思うこと 

先生、いつも有り難うございます。
月例会でたまに思う事ですが、それは一般信者の立場で此所に居て良いのかと。教会長の都合の話ばかりで、まるで居酒屋で会社の愚痴を言ってるサラリーマンの様です。オフ会のイメージですからあれで良いのでしょうが、信者の立場では口を挿みにくいです。
  • posted by 水素分子 
  • URL 
  • 2015.04/29 23:25分 
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Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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