ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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1/25 月例会報告

「理の定義」と「よろづいさいのもと」の再確認

  教祖が現身を隠された明治20年から129年目の1月大祭前日の25日、真冬にしては暖かい日ざしの午後1時から19名(うち女性5名)が三島公会堂1階の東会議室に参集した。いつものように壁際に並べた補助椅子も満席になった。
 当日用意していた配布資料は「天理市民公開講座に参加して」のレポート」と、ブログの「年頭雑感=最近の新聞報道から」のコピーであった。公開講座のレポートは私が依頼を受けてまとめたものだから、タイトルをクリックして一読していただきたい。
 
 この公開講座の結論は、上記のブログ「年頭雑感=最近の新聞報道から」の末尾の結論につながっている。その結論とは、
<……幕末から明治・大正・昭和を経て平成の現代に至るまで、「一れつろくぢ」に「心すみ切り」「陽気づくめ」に立て替わる親神様の望みとはかけ離れた世界の動きが続いている。(その証拠に「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮がますますひどくなっている)
 その責任の一端は、私ども「ようぼく」にあることを反省せずにはいられない。昨年11月始めのブログで発信した通り、神一条の道は、親なる神の根本宣言というべき「よろづよ八首」の神意を実現することにある。すなわち、今まで「といてきかしたことハない」から世界の人々は「しらぬがむりではない」。その人々が「よろづいさいのもと」を「くはしくきいたことならバ いかなものでもこいしなる」そうしたら「せかい一れついさむ」と歌われている。
「一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこゝろもいさめかけ」ることを親神様は急き込まれている。そのためには原典を元として「よろづいさいのもと」を「いうてきかす」使命を「ようぼく」に託されているに違いない>

 天理教の歴史において、教祖ご在世当時から昭和20年に至るまでの半世紀以上にわたって政府権力から原典を禁止されたため自由に拝読できなかった悲劇的な史実を私は指摘してきた。しかし、そのような環境の中で教祖10年祭までに300万人を超える信者数にひろがっていったのは何故だったのか。その理由についてはHP<天理と刻限>サイトで公開している「親なる神を信じる理由」という記事その他で繰り返し述べてきた。
 というのは、原典を拝読できなくとも口を通して十柱の神様の守護の理、つまり「かしもの・かりもの」の教理を、教祖から直々に仕込まれた人々はもとより、道の初期に入信した人々には先人が取り次いでいた。それ故に、一切の身分差別や立場の上下に関係なく誰でも平等に「身の内に神が入り込んで守護されている」と聞いて驚きと感激に心を動かされ、その明らかな証拠となる不思議な身上たすけの体験から、わが身を忘れて布教せずにはいられない情熱に駆られて全国を東奔西走したのであった。

 それまで日本人は、特別の偉い人だけが死後に神社に祀られたり、奥深い山や森に神が鎮座していると信じていた。あるいは仏教では寺院に安置されている仏像を拝んでいた。加持祈祷に頼る以外に方法がないこともあった。ところが教祖は、大名であれ百姓であれ、身分の上下に関わりなく全ての人間の身の内に入り込んで、いのちを創造し守護している親なる神、すなわち元の神・実の神の親心を説き聞かされたのであった。神仏は神社や仏像の中に鎮座しているのではない、いわば自分の身の内が「御神体」に等しいとの自覚は、未だかつてない驚天動地というべき「神の認識」であったに違いない。


 その後百年を経た現在、私たちは改めて「神の再認識」をする必要に迫られている。何故ならば、昭和20年の刻限によって戦後の日本は民主化され、人間に差別はなく自由・平等な権利を与えられるのは当然の世の中に変革されたため、神の守護も身分の上下や差別がないのは当然として感激しなくなった。とはいえ明治から半世紀を超えた戦後に差別を認めない世の中に変わったのは教祖の教えが真実であったからである。
 さらに、本来「修理肥」と教えられた医薬が進歩発達した結果、神の守護よりも医薬の効能を信じる風潮が常識となった。例えば、体内を透視する医療技術(レントゲン、CT、MRI等々)で検査しても神様は映らないから、入り込んで守護されている証拠はどこにもない。「切る」理の道具と定められた神が寿命を迎え取るために「息を引き取る世話」をしようとされても、延命治療の医療技術がその守護を妨げて命を延ばすことが可能になった時代にもなっている。科学の力では一つの細胞すら創れないし「十全の守護の理」は認識されず無視されている。
 その意味で、昔の人々は教祖の教えを素直に受け入れることができる環境にあった。今は医学が万能の神に取って代わろうとしている。細胞を出発点とする唯物科学では「元の理」を認知する余地はどこにもない。それ故に、原典を元としてさらに深く「根を掘るもよう」によって「元の理」(よろづいさいのもと)を再認識することが必要となっている。

(今から40年前に刊行した原典おさしづ研究資料:全六部の表紙)
 以上の状況を前提として月例会当日の談じ合い・ねり合いを見直してみると、枝葉は繁っているように見えても肝心の根や幹が忘れられているように思えてならない。何よりも使い古した「理」という言葉の定義から再出発する必要がある。「理の定義」については今まで自著の中で繰り返し述べてきたが、改めて再確認する必要を痛感している。
 ついては『おさしづに啓示された理の研究:第一部 天の言葉』から最初の部分だけでも確認していただくことをお願いしたい。(HPサイトで活字化して無料公開中)

 また「親なる神を信じる理由」も、その1、2、3に分けてHP<天理と刻限>で公開しているので、タイトルをクリックして参考にごらん下されば幸いです。

 さらにブロマガ「よろづいさいのもと=よろづよ八首を思案する」の内、第一首 親心に満ちた世界/第二首 三才児(みつご)のごとく 以上、最初の2項目はブログから直接自由に試し読みできますので、アクセスしてお読みください。 

 来月からは、改めて原典から再出発しなければ月例会を開く目的から外れ、本来の趣旨が失われてしまいます。 

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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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