ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

Entries

不思議な出会いの実話(その2)

 百済(くだらの王子を先祖にもつ大内さん

      

 やはり数年前の9月中頃のこと、電話で連絡を下さった方が「大内」と名乗られたので、すぐに思い出した。というのは、以前に本の注文を頂いたとき、私の「義弘」という名前が、その方のご先祖「大内義弘」と同名に当たるので偶然とは思えない、と聞かされたことがあったからだ。
 中世の歴史にうとい私は、あわてて「大内義弘」を検索してみたら、室町時代に栄えた西国一の守護大名とあり、南北朝の統一にも功績があったという。足利義満はその勢力の弱体化を図って大内一族を圧迫したが、義弘は堺(大阪府)で反乱を起こして立て籠り、ついに討死する。歌道にも優れ歌集を遺している、というような記事が出ていた。
 その大内家の祖は、じつは当時の朝鮮半島南西部にあった百済(くだら)の王家であった。7世紀になって新羅(しらぎ)に攻められて滅亡する直前に第二王子が一族郎党を引き連れて海を渡り、山口県の瀬戸内海側の海岸にたどり着いて上陸、当時の朝鮮で発達していた製鉄技術や北斗七星を祀る北辰妙見信仰を日本に伝えたのも同じ百済の第二王子であった。その後大内氏は製鉄技術を広めて大いに発展し、中国地方に並ぶもののない大名に発展したのであった。電話をもらった後に来訪された大内さんの家に今も伝わる古い系図の最初に記されている百済王子の名前を、私はこの目で確認している。

 じつは明治維新前の山口県は毛利氏120万石の所領に代わっていたが、関ヶ原の戦いで豊臣家の西軍に味方したため徳川家康から所領を30万石に減らされた。そのため毛利氏の家来は貧窮の底に落ち、徳川幕府に抱き続けた怨念が明治維新で爆発し倒幕に走ったとの説もある。
 もう一人、薩摩に私と同名の島津「義弘」という大名がいることは前から知っていた。義弘は秀吉が征伐に失敗した朝鮮の役で活躍し、関ヶ原の戦いでは西軍に属して退却する時、徳川家康の本陣近くを敵中突破して勇名を馳せたことで名を知られている。私が41歳でお預かりした「御里」という事情教会は元々鹿児島市で設立された名称だから、ふしぎな縁を感じたこともある。
 
 前記の大内氏は間もなくおぢばに帰参されて、夫婦お揃いで来訪された。奥様は手芸教室を開かれていて、手作りのカード入れや財布など素晴らしいお土産を頂戴した。現住所の千葉県から帰参された目的は、教人登録するために検定講習会を受講しているケニア人のようぼく達と面会するため、と聞いて二度びっくりした。
 しかもそれ以前に、修養科を終わったケニア人たちを自宅に預かって一緒に生活していたとのこと。「一れつ兄弟」の教えを実感できた楽しい日々であったと聞かされ、記念のアルバムも見せて頂いた。
 その上、その中の1人、25才になるケニアの娘さんが見合いして、山形に嫁ぐことになっていると聞いて又びっくりした。じつに明るくて人柄のいい女性だという。今までにもう1人結婚して日本で生活しているケニアの女性がいて、たいへん評判がいいので今度の話がまとまったそうだ。
 現在ケニア各地には方々の教会から布教活動が活発に行われ、実績を挙げている。何よりもケニアの人々は神の実在とおさづけの効能を無条件に信じていて、ふしぎなご守護を次々に体験しているという。
 
 大内氏は、髷(まげ)を結えば戦国の武将のような風貌で、母親の代に設立された教会に生まれ育ったが、自分は教会を継がず東京で技術的な職業に就いたことを後悔していない様子であった。青年時代には天理教校専修科を卒業し大教会にも青年として住み込んだことがあると聞いている。
 当時、私がまとめて発表したレポート「天理教の歴史と現実=信仰の自立に目覚めよう」を進呈したところ、その原稿コピーを自分で印刷・製本し表紙をつけた小冊子を持参され、専修科の同窓生にも分与しているとの話で、私の手元にも数十冊を置いて行かれた。
 しかも60半ばを過ぎた今になってケニアとの縁ができたことに何よりも満足されていて、夫婦でケニアを訪ねる予定を立てているとのこと。いずれその報告もかねて再会を約してお別れした。さすがにお道は狭いようで広いことを改めて実感した。
 
 大内氏は韓国の百済地方とは今も縁があって日韓の親善大使に迎えられ、毎年ほど夫妻揃って渡韓して大歓迎を受け、その役目を果していると聞いている。(夫妻お揃いの写真参照)
 今年いただいた年賀状には2014年にも韓国旅行の予定があったのだが、船の沈没事件のため中止したと記されていた。
 以上、大内さんの了解を得ないままプライベートな話を書いてしまったが、決して迷惑をかけることではないから承知して下さると安心している。
 もうお一人「戦争末期おぢばに駐留していた映画監督の上官」との出会いについては次号で報告することにしたい。


関連記事
スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

植田義弘

Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

『天の言葉』ダウンロード無料

『原典を元とする理の研究』から教義の基本となる序章と第一章を抜粋してまとめたpdfファイル(37頁分)を無料提供します。

ダウンロードを希望される方は下記アドレス宛にメールくだされば、折返し添付ファイルを返信します。genten505@gmail.com

ブロマガ<原典からの出発>

紹介文:このたび特定の読者のために電子書籍およびPDFファイル等を提供する企画を進めています。いずれも原典を元とする非公開の資料ばかりです。
今後の文書活動資金に役立てるため有料としますが、ご理解ご協力の程よろしくお願いします。

ブロマガ記事一覧

購入したコンテンツは、期限なしに閲覧いただけます。

(購読手続きは FC2 に無料登録して購読ご希望の資料ごとにメールアドレスとパスワードを記入するだけで個人情報は不要です)

FC2カウンター

最新更新した記事

アルバム