ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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(メルマガ・アンコール(その5)

(15号)おやしきの記念建物   配信日:2007/11/8

 最近知り合ったばかりの知人から、私が天理市に住んでいると言ったので、メールでこんなことを書いて寄越しました。
 
「奈良へ移り住み、天理へドライブした時に天理教の建物に圧倒され、最近も京都から友人が遊びに来た時に天理ラーメンが食べたいと言うので天理教の本部?へ向かった時、またまた一段と建て直され?立派な建造物に友人と思わず車を止めて眺めていました。
 因みに友人は違う宗教に入信していますが、私は宗教にも興味はないけれど建造物には少し魅入られました。
 あの一角だけが違う世界に感じました。 失礼なことを書いて申し訳ありません。
 天理というのは不思議な街です。」
 
 なんだか建物ばかり感心しているふうですが、まだ天理教のことは何も知らないのだから仕方ないでしょう。
 私が案内役を買って出る場合、天理市を初めて訪れる人には、必ず案内する場所があります。それは、やしき内の一角にひっそりと保存されている記念建物です。
 そのわけは、およそ150年前わずか20戸ほどの村落だった頃の庄屋敷村のイメージを呼び起こしたいからです。
 修養科生は3ヵ月の間に一度は記念建物を見学する教課がありますからご承知のはずですが、一般の帰参者にはあまり知られていないようです。誰でも自由に見学できるのですが・・・。
 
『稿本教祖伝 第四章 つとめ場所』によれば、元治元年(1864)6月25日、のちの本席・飯降伊蔵夫婦が揃ってお礼参りした日が、初めておやしきの新しいふしんが始まる元一日となりました。
 産後の患いを救けられた伊蔵の妻女おさとは、お礼に何かお供えさせて頂きたいと言ったので、伊蔵は手作りのお社を献納することを思いついたのです。そこで翌26日、再びお参りして、教祖にその旨取り次いでもらったところ、御伝によれば教祖は、
 
<「社はいらぬ。小さいものでも建てかけ」
と、仰せられた。
 どれ程の大きさのものを、建てさして頂きましょうか。と、伺うと、
「一坪四方のもの建てるのやで。一坪四方のもの建家ではない」
と、仰せられ、更に、
「つぎ足しは心次第」
と、お言葉があった。(後略)>(上掲書53~54頁)

 教祖が「社はいらぬ」と答えられたのは当然です。教祖ご自身が「月日の社」つまり、生き姿のまま社となられたのですから、その他に木造の社は要らないからです。
 その代わり「小さいもの」「一坪四方のもの」を建てかけ、と仰せられていますが、常識で考えても畳2枚の家というのは、倉庫にしても小さ過ぎますから、建物の大きさを神が指示するのではないという意味でしょう。みんなが心を寄せ合うことを望まれて「つぎ足しは心次第」と仰せられたのでありましょう。
 そこで、飯降伊蔵を含めて、当時信心していた5名が相談した結果、3間半に6間(21坪=40畳)のふしんを心定めして、それぞれ大工の手間、瓦、畳などの寄進を自発的に申し出たのです。1坪から見れば、ずいぶん大きなふしんの心定めをしたものです。
 
 9月に始まったふしんは、10月26日、めでたく棟上げの日を迎えました。簡素ながら酒肴が用意されて棟上げを祝ったあと、山中忠七が、自宅へ招待したいと提案します。お祝いとはいうものの、何か浮ついた気持ちがあったように感じられます。
 翌27日になって、一同が山中宅へ向かう途中、神前を通る時は拝をするようにーーとの教祖のお言葉に従って、大和神社の前で拍子木や太鼓を力いっぱい打ち鳴らしたために、祈祷の最中であった神職たちの怒りを買い、秀司はじめ同行した13人が留置されるという事件が起こります。
 この大和神社の節によって、みんなの信心熱がいっぺんに醒めてしまい、殆ど誰もおやしきに近づかなくなり、年末が近づいても「つとめ場所」は完成できないままの状態になります。
 こかんが「行かなんだらよかったのに」とつぶやいたら、教祖は、
「不足言うのではない。後々の話の台である程に」
 と、厳しい態度でたしなめられた、と伝えられています。
 この教祖のお言葉は、節を通して人の誠真実を神が試された、と受け取ることができます。
 
 そうした状況にあって、只一人、飯降伊蔵だけは変わることなくおやしきに通いつめ、材木屋や瓦屋に頼みこんで後払いの条件で買い揃え、暮も正月もなくひのきしんに精を出して内造りを進めたのでした。
 
 完成するまでに紆余曲折はありましたが、こうして出来上がった「つとめ場所」が、今日まで記念建物として保存され展示されているのです。
「つとめ場所」は、何か立派なお社やご神体をお祀りするための神殿ではありません。月日の生きた社である教祖の御前で、生きたご神体を借りているようぼくが、陽気づくめの心を一つに揃えてつとめるための場所に他なりません。その躍動する姿を神が受け取って共に勇み、共に楽しまれるのです。

☆天刻サイトの<表紙写真選>および下記のページには、つとめ場所の写真やおやしきの見取図を保存しています。
教祖ご入嫁当時の中山家
つとめ場所ふしん当時のおやしき
教祖が御身を隠された明治20年のおやしき

 これらの見取図を改めて眺めるとき、いかにおやしきの建物が簡素で手狭あったかを再確認することができます。
 なお、現在の雛型かんろ台が建立されているぢばの地点が、つとめ場所その他が建てられていた地点であり、ぢばの一点こそは中山家の一室で教祖に天啓が下った場所と一致するのです。



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Comment

龍さんへ 「神がかり」について 

「神がかり」すなわち啓示現象については、この欄で簡単に答えることはできませんので、天理刻限サイトの下記ページを参照してほしいと思います。
「あらきとうりょう」210号の特集「教理勉強」を解読する(7)啓示継承の問題
http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/benkyo7.htm
上の内容をごらんの上で疑問・不明の点あれば、改めて問題点を指摘して下さるようお願いします。

なお「神がかり」の問題は、おさしづ資料:第6部 身上・事情 の内「上田ナライト事情ー天啓継承の問題」にも関連しています。

  • posted by みさと 
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  • 2010.10/05 08:55分 
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No title 

何時も拝見させていただいています。
「神がかり」の問題について質問させてください。
神屋敷としての地場屋敷という問題にも関連しますが、有名無名多数輩出されている、教会本部からは異端分派とされる啓示霊能者について、先生のご所見をお聞かせ下さい。
  • posted by 龍 
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  • 2010.10/04 01:02分 
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よう木さんへ 

コメント有難く拝見しました。
たしかにリンクして下さった書物に「しゅんこくげんの到来により教祖に神懸かりありし所」とありますね。
それにしても現在、あまり「保存建物」について知られていないことが不思議なくらいです。
今後とも気がつかれた点があれば、コメントを期待しています。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.06/02 11:47分 
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地場の意義について 

いつも楽しみに拝読しています。

先生ご指摘の「ぢば」について
大正10年発行の「天理教地場案内」に記述がありますので、
ご参照ください。URL参照
  • posted by よう木" 
  • URL 
  • 2010.06/02 10:35分 
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「ぢば」の地点と「ふしん」の変質 

「ぢば」が中山家の一室(教祖が天啓を受けた場所)と一致することが余り知られていないのは、次の理由にあると思います。
「稿本教祖伝」の「第六章ぢば定め」には側にいた数人に目隠しをして歩かされたところ、皆、同じ地点に立ち止まった、その地点を「ぢば」と定められた経緯が記されています(128~9頁)
その地点が、教祖の天啓を受けた中山家の一室であったことは誰も気づかなかったでしょう。最初からそう書いたら神秘性が薄れるからでしょうが、本当は天啓を受けた地点と一致していることこそ最高の神秘に違いないと思います。

「ふしん」のことですが、「おさしづ」には一貫して「大層なふしん」「外の飾り」は要らん、「仮家ふしん」でよい、と諭されているにもかかわらず、教会の目標が立派な神殿ふしんに変質した原因は、小著『教祖ひながと現代』でも分析したところです。
何よりも「おさしづ」の神意を無視した人間心が大勢を占めたからで、伽藍を建てた宗教の歴史と同じ経過を辿っただけの話です。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.05/05 16:24分 
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No title 

先生のご説明はいつも大変わかりやすく有り難いです。
その出発点(両方の地点の一致)がなぜもっと知られていないのか疑問に思うのです。たとえば「ぢば」の地点についての説明は多くの場合「人間宿しこみの場所」「かんろだいのすえられる場所」で済まされることが多いので、このことを加えればもっとこの道の出発点について踏み込んで考えるきっかけを作れると思うのです。

記事の主題から話がかなりそれて申し訳ありません。
つい最近「ふしん」についてちょっと考える機会があったので最初のふしんである「つとめ場所」の記事を読ませて頂くことが偶然とも思えずにいます。先生が仰るようにそれぞれの体が「ご神体」なので必要以上に立派ないれものは必要ないのだなあと、個人的にはそう思いますが現実には・・・どうなんでしょうね。

  • posted by らくだ 
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  • 2010.05/04 10:37分 
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ぢばの地点 

見取図で中山家の一室のある地点と「かんろだい」と定められた地点を重ね合わせると、一致することは一目瞭然です。
このことは私だけでなく、一部の本部員先生も認めておられます。

両方の地点が一致することこそ、この道が元初まりの再現である証拠なのです。つまり、元初まりに母のいんねんある教祖の体内に、同じ地点(ぢば)において、再び親神が入り込んで「ひながた」と見定められたのが、この道の出発点だからです。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.05/03 20:58分 
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No title 

つとめ場所の記念建物は確かに修養科のときに見学した覚えがありますが、自分で行くとなると場所がわかりません。調べて今度訪ねてみたいと思います。
「ぢば」の地点と、「教祖に天啓が下った場所」が一致することは私は先生のサイトで知ったのですが、意外と知られていないことではないですか?先日とある天理大学宗教学科卒の人に話したところ「聞いたことがない」と言ってました。こちらは知っているものと思い込んでたので驚きました。
  • posted by らくだ 
  • URL 
  • 2010.05/03 20:05分 
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Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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