ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

Entries

12/25 月例会報告

 儒教的組織が解体する必然的なプロセス

 12月は師匠も走り出すほど忙しいから「師走」と名づけられたと聞くが、その中で今月も22名の参加者を数えた。内女性5名、初参加の男性2名で、ブログで発表したテーマに関心を抱いて初めて参加したとの自己紹介があった。
 テーマその一「インターネットの機能と功罪」については、当日配布した資料として12年前に書いた同じタイトルの文章と、その3年後に書いた「インターネット再考」を補足したPDFファイルをリンクしてあるので確認してくださることを願っている。その趣旨は例会案内にも書いたように、ネットは世界一れつの頭の中を「ろくじ」(平等)に踏みならすために役立つ情報を提供する道具であり、使い方次第で善悪どちらにもなるから道具に違いない。

 しかも情報の流れは過去の社会のように上から下への一方通行ではなく、ヨコからヨコへの双方向通信となり、その意味でも「上・高山」(権力階層)が勝手に情報を操作できず一れつ平等に同じ情報が伝達される世界が実現しつつある。
 その中で、天理教内は世の中の変化に最も遅れていて古い体制が保持されたままになっているのが現実である。

  続いて第二のテーマ「幕藩体制と天理教の比較」については資料を配布せず、両者を比較することが適切とは言えない理由を口頭で説明した。つまり、天理教は他に比べる体制があり得ないほどリスクの大きい不合理な体制に違いないからである。次に補足説明を述べることとする。
 例えば幕藩体制は、幕府(将軍)と藩(大名)という封建的主従関係を基軸とする歴史学上の呼び方だが、その基礎は所領(土地)の領有権と密接に繋がっている。所領のない大名(領主)は存在しないし、将軍は大名に所領を与えたり取り上げたりする権限によって支配している。
 ところが、天理教の教会制度は土地に関係なく国内国外を問わずバラバラに設立された教会が系統に所属している。出発点において地域に限定しない対象を管轄することほど非能率的でリスクの大きい組織制度はないと断言できる。例えば北海道教区の場合、ほとんどすべての系統が設立した部内教会が入り組んで散在している。そのわけは、明治・大正の頃、本州で非難攻撃を受けて布教が困難になったため西部開拓のごとく未開の北海道へ競って熱心な布教師が進出した結果であった。
 地域を管轄するために教区制度が設けられているが、それは事務処理と連絡が主であって、予算面でも人事面でも本部は地域の管轄権を放棄しているとしか思えない現状になっている。

 大教会長と分教会長は主従関係ではなく、教理としては「一れつ兄弟姉妹」の関係である筈だが、じつは教内では「理の親子」と呼ばれてきた。この場合に使われる「理」の意味は「天の理」とは言えない。何故なら金銭関係で成り立たないのが親子関係であるが、教会関係には明らかに金銭が介在している。また幕藩のように主従関係ならば、主にあたる上級は従にあたる部内に何らかの報酬(家禄)を与えなければ成り立たない。そのいずれでもないのが教会制度であって、そこに介在する「理」は、いわば教内だけに通用する贋通貨のごときものとしか言えない。先日お出直しされた三代真柱様はこの矛盾に気づかれて「理の親」という言葉は教祖以外に使ってはいけないと重ね重ね注意を促されていたが、全く馬耳東風で聞き流されたままであった。
 
 あえて幕藩制度に似ているとすれば、体制を支えている信条が、両者とも儒教の影響によって成り立っていることにある。その主要点を挙げれば、
1)儒教の自然観
 もともと儒教は「天道」「天地の道」「天理」等々の言葉で自然界の秩序を表し、自然と社会の秩序の間には密接な関係があり、互いに感応し合っていると教えている。また儒教で用いる「理:という言葉は、本質的に天の法則を意味している。また「理」の根源を「太極」と呼び「理」は陰陽五行によって万物を生成化育する働きと考えた。すなわち「理」は万物の根元的同一性、「気」はその差別性を表している。
「理」は人間に宿って「本然の性」となるが、「気」が濁ると理の発現を妨げる結果となる。それ故に「気」の濁り(八つのほこり)を取り払えば天理に帰一し同化することができる。そのためには心を澄まして宇宙根源の理を体現した「聖人君子」が「王」となって世の中を治めることが理想となる。
 したがって儒教で説く「理」はあくまで人間関係に介在するのではなく、「天理」を表している。一方、教内で安易に説き古されている「理の親」が、低次元の人間関係を表す言葉に過ぎないことは明白であろう。

2)儒教の秩序観
 自然が不変の秩序をもって運行しているように、人間社会にも同様に不変の秩序がなければならない。その基本は「五倫」すなわち君臣、父子、夫婦、長幼(兄弟)、朋友の秩序にある。天地が万物の母であるように、君主は天理を体現して初めて人民の父母となる資格を与えられる。祭政一致の「王道」によってのみ秩序が保たれ、君臣関係の「忠」と父子関係の「孝」が絶対の規範となる。自然の秩序に順応するのが道であるように、自分の立場・身分を自覚して上に順応するのが絶対の秩序となる。
 このように儒教ではもともと体制秩序は自然と同じように不変とされる故に、秩序が乱れる原因は組織体制にあるのではなく、すべて個人の責任に還元される。ところがこの思想には、普遍的な天道天理と血統や義理など差別的な人間関係を同一視する矛盾を含んでいる。しかも体制を絶対化する儒教は権力に利用され保守主義に転化してしまう。徳川幕藩体制はまさにそうした秩序で固められ260年間の長期にわたって安定していたといえる。それは前述した通り天理教とは異なり土地領有と主従関係による封建制度であった。

3)徳川幕藩体制における社会秩序
 徳川幕府は上下貴賎の身分差別によって秩序を保っていた。百姓の身分だけでも5つの階層に分かれていた。さらに知足安分(身の程を知れ)、徒党の禁止、祖法厳守・新議停止(保守主義)、職分(分限)思想(それぞれの立場に応じた言動)

4)儒教に対する批判および結論
 儒教的秩序の基本自体が人間の上下関係と血縁関係を基軸とする秩序であって、そうした差別的な人間観が前提となっている。しかし儒教の人間関係以外にも、平等と友愛を基軸とするもっと普遍的な秩序が形成できる。親子関係の秩序だけがすべてではないから儒教は普遍的倫理とはなり得ない。
 結論として、もともと教祖の教えは、親神のもとに同じ魂を分有する人間はすべて一れつ兄弟であり平等であることを前提としている。その意味で、相反する儒教的秩序を守っている天理教は教祖の教えに反しているのではないか。とくに秩序が乱れる原因は組織体制にあるのではなく、すべて個人の責任に帰することは正しくない。何故ならば、自然の山川草木や動植物の秩序が不変に保たれているのは人間のような所有欲、支配欲、名誉欲、権力欲など際限なく拡大する欲望はないからであって、そうした私欲がある限り人間の組織や秩序は天地自然と同様に不変とはいえない。
 
5)運命共同体としての教団組織 
 運命共同体には善悪両面の意味がある。悪い実例はオウム真理教であった。共同体の内外は隔絶され内部だけで通用する観念で束縛されるようになっていく。その結果、共同体は衰退し最後にどんな結末を迎えるか。そうした運命共同体の社会学については「立て替えの必然的な道すじ」に詳しく記述しているので、関心をもたれる方は次にリンクする論考「立替えの必然的な道すじ」に目を通して頂きたい。「目からウロコ」の思いをされることを請け合っておきたい。


 25日当日の自己紹介やねり合いでは、個人的な体験や感想が主であったが、最後に記憶に留まった発言の要点を記しておくことにする。
*末期の膵臓ガンをご守護いただいた私は、朝になって目が開くのも不思議でならない。命あってのもの種と実感する毎日で、自分が喜べない状態の時には、人様の喜ぶことを一回でもさせてもらえば自分も喜べるようになる。特別な修業をしているわけではないが、朝昼夕晩・就寝前と一日5回おつとめを続けている。他宗教の信者から「天理教はご守護ばかり説くが、死んだらご守護はなくなるのか」と訊かれるから、いや出直すために息を引き取るのも神様のご守護と答えたら納得していた。
*キリスト教では右の頬を叩かれたら左の頬を差し出せと教えられるが、「叩いたあなたの手が痛くないですか」と尋ねるのが天理教ではないか。
*天理教は教会長から信者に至るまで間違った教祖の固定観念に縛られて自分が人間らしく生きていないから好きになれない。
*自分は幼い時に掌から気が放散していることに気づいて、今も身上の方に全身の血流を整えるための手当とマッサージひのきしんをして喜んでもらっている。会社の経営を息子に譲ったので、掌から気を放射して体調を回復して喜んでもらうことに専念したいと思っている。(以上文責・植田)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
関連記事
スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

植田義弘

Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

『天の言葉』ダウンロード無料

『原典を元とする理の研究』から教義の基本となる序章と第一章を抜粋してまとめたpdfファイル(37頁分)を無料提供します。

ダウンロードを希望される方は下記アドレス宛にメールくだされば、折返し添付ファイルを返信します。genten505@gmail.com

ブロマガ<原典からの出発>

紹介文:このたび特定の読者のために電子書籍およびPDFファイル等を提供する企画を進めています。いずれも原典を元とする非公開の資料ばかりです。
今後の文書活動資金に役立てるため有料としますが、ご理解ご協力の程よろしくお願いします。

ブロマガ記事一覧

購入したコンテンツは、期限なしに閲覧いただけます。

(購読手続きは FC2 に無料登録して購読ご希望の資料ごとにメールアドレスとパスワードを記入するだけで個人情報は不要です)

FC2カウンター

最新更新した記事

最新記事

最新記事

最新記事

プロフィール

植田義弘

Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

フリーエリア

フリーエリア

daiyogen.jpg

右サイドメニュー

検索フォーム

最新刊のお知らせ

*カラーチラシと挨拶文をリンクからごらん下さい。

QRコード

QRコード

ご案内

画面をクリックしてくだされば詳しい案内が出ます。

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

最新記事