ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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11/25 月例会報告

 復元と応法の二重構造

 早くも秋の終わりに近づき天理市内のイチョウが親里大路を黄金色に染めている。余談だがイチョウはもの忘れを防止する薬効があり、医薬品としてドイツに輸出されているとの情報を耳にした。またイチョウは2億数千年以前から生存している生命力の強い植物であり、おまけに銀杏の実は茶碗蒸しの料理に欠かせない食材でもある。その大樹の並木が親里大路を彩っている。
 その親里で25日の午後、三島公会堂に21名(内女性7名)が参集してねり合いに熱中した。今月のテーマは「応法と復元の二重構造」と予告した通り、15年前に出版した自著『教祖ひながたと現代ー復元への意識革命』から4章を抜粋したコピーを配布した。
 この書籍の原本は真柱宅にお届けし、前真柱様から当時の表統領に渡された。一方私の理解者だった集会員の先生(故人)を通して全国各都道府県を代表する集会員全員に配布された。ところが当時の主査室長から横ヤリが入ったため集会の動きにストップをかけられてしまったという経緯がある。その1年後に原本をもとに再編集して公刊したのが上記の書籍であった。
 教勢を数字だけで測るのは表面的で、いくら数字が増えても「よろづいさいのもと」を知らないようぼくばかりでは教祖は満足されないであろう。中には個人の身上事情以外の問題には無関心で、社会事情に対しては世間の常識に流されてしまうようぼくや教会長も多い。そこで、当日配布したテーマと同じ見出しの4章からコピー資料の一部を引用すれば、

「戦後間もなく翻訳出版され大きな反響を呼んだ書物がある。それはアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトの『菊と刀』である。その本には「日本文化の型」という副題がついているように、戦争中までの日本人特有のものの考え方をいくつかの型にわけて明瞭に分析されている。その中でベネディクトは、繰り返し日本の社会システムの特徴が階層制度による秩序と調和にあることを指摘している。
 第三章「各々ソノ所ヲ得」と題する章では、定められた階層の中で「各人が自分のふさわしい位置を占める」ことが日本人の人生観の基礎をなしているという。言い換えれば、人間は基本的に対等・平等ではなく、所属する階層によって身分や立場が異なるという差別意識(あるいは無意識)があるということになる。(中略)その原因は長期にわたる徳川幕藩体制による階層的身分制度の中で培われた心情であることは明らかである。
 各々が自分の持場・立場にふさわしい勤め方をすればよいという考え方は、上の立場にある者が何をしていようと、一ようぼく・一分教会長の分際で上級教会や教内全体のことに口を出すな、と言うに等しい。銘々の立場を守っていればよいと言うとき、「立場」は「身分」と同じ意味に転化する。教祖は中山家の主婦という立場にふさわしい道を通られたとでも言うのだろうか。
 次に「過去と世間に負い目を負う者」と題する第五章では、人は生まれつき自分より上の階層に属する人に負い目を負っている、したがって「恩を忘れない」ことが最高の規範であり、その「恩」はいくら返しても返し切れない無限の債務に等しいと説明されている。かつては領主、将軍、親に向けられていた「恩」が、戦争中は天皇に対する「皇恩」に集中し、「皇恩」に報じるためには身命を捧げることが当然の行為とされた。逆に天皇の名で兵士に配られた一本の煙草や一杯の酒が無限の「皇恩」を象徴し「大御心」(親心)を強調する小道具として使われていた。
 続いて第六章「万分の一の恩返し」には、忠(天皇)孝(親・先祖)の「恩」は「どんなに努力しても決してその全部は返し切れず、また時間的にも限りのない「義務」に等しいと記されている。(中略)
 戦前までは忠孝の義務を私心を捨てて誠実に果たすことが最高の「徳」として賞賛された。またベネディクトは日本文化を「恥の文化」と規定したことで知られている。「恥」とは自己の良心に従うのではなく「他人や世間の目」という外面的な強制力を意識し行動する倫理(規範)にほかならない。
 以上に要約した「日本文化の型」の分析を読んで「理の親」という教語を連想しない人はいないだろう。「応法の道」とは戦前の法律に応じるという意味だけではなく、「上・高山」の権力者が民衆をマインドコントロールしてきた階層社会の規範に他ならない。いわば、日本人の集合的無意識の奥底に積み重ねられてきた「いんねん」と言ってもよい。
 神と人間の次元を混同し教祖ひながたに反するこれらの規範(人間一条の理)と神一条の理の根本的な違いをはっきり見分けることが真の復元への第一歩である。(同書102~104頁)

 かつて「教会は大名の理」とか「会長は一国一城の主」という言葉が流布していたのは、明らかに幕藩体制以来の価値観が残存していたことを表している。
 それでは、今も教会の土台となっているのは何だろうか。それは戦前から今に至るまで固持され続けている応法の土台である。その土台となっている教理は、復元教理(元の理)とは異なる教会用の教理と呼ぶべきである。(106頁)

 次に「教理の二重構造」という項目では、教祖の親心とひながたに対して原典に反する教理、さらには原典に出ている教語であっても異なった意味に転用されている場合を箇条書きで要約しているが、あまり引用が長くなるので省略したい。一言で要約すれば、教会は民主化された法律に対応していない故に、戦後は「応法の道」でさえないと言わざるを得ない。
 要するに、戦後は法律の上で差別は撤廃され福祉が普及し平等と自由を尊重する法律に変革された。それは原典に予告されていた通り70年前の刻限によって「上・高山」を「一れつろくぢ」に踏みならし、差別のない「心の自由」と「たすけ合い」(福祉)を基本とする世界の「ふしん」を始めかけられた教祖ひながたに日本が近づいたことを意味している。(戦後70年に近い今も「元の理」を全く知らない世の中は「理の空白状態」にあり、再び戦前に逆戻りしかねない危機的状況にある)
 教内でも「復元」はおぢばの中だけでしか成り立たない現実がある。例えば修養科や学生生徒修養会では系統や地域に関係なく皆一れつになって修養する場で原典を基礎とする教理が教えられ受講者はみな満足して勇んで国々所々の教会へ帰っていくが、そこではヨコのつながりは失われ、相変わらず上下の人間関係の中で孤立していく場合が多いからだ。ここにも二重構造の弊害、建前と本音の矛盾があらわれている。

 以下、テーマに関連する発言の一部を記録しておきたい。
◉ここで話合いしているだけではなく具体的に意見を具申する行動をとるべきではないか。(私の過去の体験をふりかえってみても受け入れられる可能性は期待できない。10年ほど以前に教会出身の実業家(東京在住)を中心に「天理維新」の動きがあり、「天理教再生への提言」と題する冊子を同封して4000ヵ所の教会あてに発送されたことがあるが、僅かな反応しかなかったと聞いている)
◉いずれ原典しか信託できないことが証明される刻限が到来するに違いない。
◉教外の社会学専門の学者に天理教の組織制度の問題点を分析し改革の提言を委嘱すればいい。人体の病気でも検査を受け医師の診断と治療が必要な場合がある。人間の集団から構成されている組織も動脈硬化や認知症と同じような症状に陥る可能性が大きい。
◉来月はインターネットの機能と功罪、および幕藩体制と天理教体制の比較をテーマに取り上げてみたい。





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  • 2014.12/03 21:31分 
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Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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