ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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わが道を行く(その3)身心一元の理

 おさづけを拝戴したあとの後席で、一人ひとりに「おかきさげ」を手渡される。この「おかきさげ」は申すまでもなく、かつて飯降本席ご在世の頃、おさづけを拝戴した一人ひとりに対して諭された数々の神言を要約されたものであり、決して人間の頭で考えて書いたものではない。その中に、
「それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、たヾ一つ自由(じゅうよう)という一つの理。自由という理は何処にあるとは思うなよ。たヾめん/\精神一つの理にある。日々という常という、日々常に誠一つという。・・・」
 この重要な「おかきさげ」の中で「身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理」という一節を、身心は別の理であるかのように二元的に受け取ることがないとは言えない。元一つの理である以上、「心一つが我がの理」という神意は、心の自由を人間に許している故に心の使い方は自分自身に責任があるという意味であり、心身が別々の理で成り立っているということではない。心身が元一つの理で成り立っているからには、健康も身上(病気)も共通の理が原因になっていることは当然ということになる。
 
 じつは17世紀に活躍したフランスの哲学者デカルトは心身二元論の祖とされていて、身体と精神を切り離すことによって西洋医学を初めとする自然科学が誕生したといわれている。「われ思う、故にわれあり」と結論したデカルトは、いわば、心で「思う」こと以外はすべて「われ」ではなく「神のかりもの」に他ならない、と(自分では気づかないで)結論したと解釈することもできる。
 ところが人体解剖から始まった西洋医学は、細胞や臓器など特殊な物質の構造によって各種の生命機能(呼吸・消化・排泄など)が発生するという前提から出発している。しかも、その実験研究は、命も心もなくなった死体解剖から始まっている。
 一方、東洋医学をはじめとする東洋の思想は、心身一元の観点に基づき、「気」の循環を生命の根元としている。中国漢方の人体解剖図には、気の流れを示す経絡(けいらく)は詳しく描かれているが、胃や心臓などの内臓は、単に位置を表わす程度に省略されて示されているに過ぎない。「気」とは、理と物質を媒介する中間的な存在(エネルギー)と仮定することができる。
 じつは「陽気」というのは物質ではなく、心身の躍動をあらわす根元的な「気」分に違いない。親鶏が卵を「暖める」だけでヒヨコに変身する不思議な現象をみても、「陽気」が生命現象に不可欠であることを示している。
  
 ところで、人体は単なる物質ではなく、神が入り込んで守護されている「ご神体」であることは、この道を信じる者にとって改めて申すまでもない。その真実は、わが道を行く(その2)「神人一体の道」でも「この身の内離れて神はなし」という教祖直々のお言葉をもとに確認したところであった。
 とすれば、心のホコリを掃除して無私・無欲になりさえすれば、本来は心もご神体と同じ理から成り立っているはずである。上記の「おかきさげ」の続きに「誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理」と諭されている。従って、ご神体にふさわしい心になりさえすれば、心身一体となり、自由自在に理の世界に参入することができ、神のご守護を戴けるに違いない。
 
「みかぐらうた」五下り目三ツに「みづとかみとはおなじこと こゝろのよごれをあらひきる」十下り目四ツにも「よくにきりないどろみづや こゝろすみきれごくらくや」と歌われている。
 心のよごれを洗い、心すみきるためには、健康な人体の生理機能を手本とすればよい。健康を維持するためには、体内の老廃物を常に仕分けして排泄することが第一条件である。その体内の働きは、肝臓・腎臓の、文字通り肝腎かなめの機能として守護されている。もし老廃物が糞尿として排泄されず、体内の掃除がストップすれば、生命は数日さえも保てない。私たちのご神体は、この有難い機能によって一刻の休みもなく守護されているのだ。
 
 とすれば、心は「我がの理」である以上、神の守護による体内の掃除を手本として、自分でほこりを払い、胸の掃除をしなければ健康を保てないのは当然であろう。そのためには、毎日入力される情報をチェックして、心の栄養になるかどうか、必要か不要かを見分けして、老廃物に当たる情報を忘れてしまう、あるいは気にしないで無視することが胸の掃除となるに違いない。人工の機械でも、ゴミが詰まれば動かなくなるのだから。
 
 何故ホコリとなるような心が発生し拡大するかは、小著『元の神・実の神』一章「いのちの不思議」(21~22頁)で分析している。その一節を読み返すと、
「人間は常に感覚を超えた世界を意識して生きています。
 空間的には家庭を超えて地域、府県、地方、国、外国、世界にまで広がっています。時には、テレビを通して宇宙空間を意識することもあります。(中略)
 要するに人間の意識は、無限の時間・空間にまで拡大できるのです。それ故に、宇宙や地球はどのようにして出来たのか、人間はいつ・どこで発生し、どんな生物から進化したのか、未来の自然環境はどうなるのか、などの問題を解決しようとします。ここから必然的に科学・思想・宗教が発生し進歩するのです。
 個人的には、自分はいつ死ぬのか、死後どうなるのかと心配し不安を覚えることになります。ここから他の動物にはあり得ない問題が発生します。前に犬や猫は自然のままに現在の感覚と本能だけに依存して生きていると言いましたが、人間は超感覚的な意識があるために、厄介な問題を抱え込んでいます。
 というのは、意識の拡大とともに本能も拡大するからです。所有欲、名誉欲、支配欲、権力欲、等々の欲望は、感覚を超えた時間・空間を意識しなければあり得ないからです。(後略)」

 
 話が理屈っぽくなったけれども、要は「おかきさげ」の神示を正しく受け取って身につけること、体内のご守護を手本として心の掃除を怠らないことが、心身ともに健康を保持する道であることを改めて確認したい。
 次にリンクした2篇のエッセイは、これまでにまとめた「心身一元の理」と密接に関連しているので一読をおすすめしたい。
「私たちのくらしと情報化=情報は心の健康食」
「肝腎かなめの健康法」

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訂正と補足 

(その3)に引用しました「おかきさげ」の一部に脱落していた個所がありましたので訂正しました。更新直後の28日午前中にアクセスして頂いた方は、再度確認して下さるようお願いします。

(その3)の主旨は「おかきさげ」の中で「心一つが我がの理」の意味を思案することにありましたが、この機会に全文を拝読されることをおすすめしたいと思います。

 以上お詫びして訂正と補足します。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.04/29 07:41分 
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  • posted by  
  •  
  • 2010.04/28 17:19分 
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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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