ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

Entries

天理教史の真実(その2)

 教会制度は戦争中に「革新」された
(このブログ記事末尾に参考資料の無料提供についての案内を追加しています)

「された」というよりは軍部独裁政権から強制的に「させられた」というのが実情であった。それは教会制度に現在も重大な悪影響を及ぼている大「革新」であった。しかし、その革新の実情は、私の知るかぎり、当時の「みちのとも」は別として戦後に公刊された資料には全く報じられていない。唯一の資料としては、平成10年に自費出版した自著『教祖ひながたと現代ー復元への意識革命ー』の80〜84頁に記載したことがある。この著作は自費とはいえ北海道教区内の教会長3名および古くからの教友の資金協力を得たもので、誰も知らない明治末期から大正、昭和にかけての天理教史の真実を記述している。
「革新」というものの、実質的には革新的な意味はなかったとしか言えない。しかし本部としては、宗教教団に干渉する政府の言うがままになっていることは発表できなかったのか、それを自主的な「革新」と銘打って実施したとしか思えない。その全教的な組織制度の改変について、前記の著作『教祖ひながたと現代』の内、
 戦時中の「革新」(80〜84頁)
のリンク・ファイルを是非お読みいただきたい。

(補 足)
 以上の通り昭和16年(75年ほど前)に当時の軍部独裁経験から強制された「革新」の実態は他に類例のない世にも不思議な組織制度への改変といわなければならない。戦争終結とともに崩壊した政府の指令によって人為的に急変された制度が不合理であることは否定できない。それ以前には、分教会の下には宣教所・布教所・出張所があり、実績を挙げるとともに格上げされる仕組みであった。ところが分教会は50ヵ所以上の分教会がなければ大教会には昇格できない。その望みは殆どないに等しく、上級・部内の関係は固定されたのが実情である。

 前回のブログで書いたように、明治から昭和にかけての60年間、禁圧された三原典なしで個人の難儀不自由の元となる身上たすけしかできない状況であった。にもかかわらず天理教の教勢は「おさづけ」による身上たすけのみで目覚ましい発展を遂げた。その社会的背景として、医薬が普及していない当時にあって病いは生死の分かれ道であったから、たすけを求める人々は不思議なたすけの実話を聞いて布教師に頼って集まってきた。
 原典を拝読できなかった時代に身上たすけで信者が激増した理由は、当時の男女差別や上下の格差があった時代に、人はみな同じ魂を分け与えられている故に、一切の差別なく神が平等にすべての人間の身の内に入り込んで守護されているという真実の教えに感動したからに違いない。

 ところが現在、同じ教理を説いてもなぜ信者が増えないのか、その理由は戦後の民主化によって自由平等が当たり前になったから感激しないこと。さらには唯物科学の影響に毒されていること。レントゲンやMRIで撮影しても神や守護の理は映らないし生命の元を細胞という物質に還元する科学の見方には神が入り込む余地はないからと思われる。
 しかし、決して教理が古くなったのではない。「上・高山」を「ろくぢ」に踏みならす神意は、昭和20年の刻限に民主化の大革新によって実現したのであり、「元の理」がなければ唯物科学は一つの細胞さえ創り出すことはできないからである。

 原典には個人を超えた「この世治める真実」を教えられている。個人の集まりが団体となり体制となる。「体」という字がついているように、人体は完全で精妙なシステムによって健康が保たれている。頭、内臓、手足等々、すべては十柱の神の統一的な守護によって生命が維持されている。五臓六腑がバラバラでは生命は一瞬たりとも維持できない。それ故に「人体」をモデルとしてつくられた組織システムが最も素晴らしい能力と成果を示すことができるに違いない。そのためには、脳梗塞や心臓発作を起こさないように情報や血液が滞りなく流通・循環している必要がある。

 個人と組織システムを区別しなければならない。一ようぼく・一教会が夫々バラバラにおたすけしても限界があり、10人または10ヵ所の教会が同じ地域内で力を合わせれば出来ることもある。教区単位さらには全教が力を集中しなければ実現できないこともある。あらゆる企業にせよ研究機関にせよ、その社員や研究員が個々バラバラに働いているのではない。特定の目標を実現するためにはプロジェクト・チームを結成することもある。

 とりあえずの結論を出すならば、神一条の道は、親なる神の根本宣言というべき「よろづよ八首」の神意を実現することにある。すなわち、今まで「といてきかしたことハない」から「しらぬがむりではない」人々は「よろづいさいのもと」を「くはしくきいたことならバ いかなものでもこいしなる」のであり「せかい一れついさむ」のである。
 それ故に「一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこゝろもいさめかけ」なければならない。そのためには申すまでもなく「よろづいさいのもと」を「いうてきかす」ことを望まれている。こんな重大な役目を一人ひとりバラバラの「ようぼく」が実現できるはずはない。


 
関連記事
スポンサーサイト

Comment

同感 

まったく同感です

自律信仰を実践中
  • posted by hachi 
  • URL 
  • 2014.11/18 14:33分 
  • [Edit]
  • [Res]

自立人生さんへ 

主として経済的・数量的な統計を提示しながらの主張には説得力があり、誰も異論を唱えることはできないでしょう。

あえて申せば統計数字は結果ですから、そのような結果を生んだ原因は、やはり歴史と現実を無視した不合理な組織制度にあります。ところが古くから日本人は組織は天然自然と同じく改革できないものと受け取ってきたので、その古い慣習が今でも教内では「成ってくるのは天の理」という言葉で正当化しているのです。
たしかに現在まで教勢が衰退するように「成ってきた」のは天の理に反したからに違いありません。あるいは「天の理」を「人の理」を混同したからと言えるでしょう。

参考までに次のレポートを一徳してくだされば幸いです。
「天理教の歴史と現実ー信仰の自立に目覚めよう」
 http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/repo-mattan.htm

立派なやかたで信者は激減 

<やかた普請はカネ集め>:
6月に出直された三代真柱が52歳であった30年前、「四方正面」の立派な神殿建築は完成し、現在おやさとやかたも26棟出来た。
おぢばには天理教教団始まって以来最大の教団建築が林立している。
その一方、信者の数は教祖80年祭をピークにこの50年間、年々減少を続け戦後最低の水準となり、今も減少が続いている。
布教や「心のふしん」は後まわしで、やかた普請とカネ集めに全精力を注いだ結果の衰退50年である。
形の普請を行えば、心の普請、布教もそれについて来ると考えた歴代真柱を筆頭とする教団本部の甘い思惑は見事に外れた。

巨大な建築には莫大なカネがかかる。
そのカネは全て信者のお供えである。
教会本部が次々に「形の普請」を行うので、大教会や有力分教会もそれにならい立派な「形の普請」を次々に行った。
その結果、末端教会や一般信者は中山ミキの教えには無い、あまりのカネ集めに教団組織への不信をつのらせ、多くの信者が離れた。それが50年にわたる衰退の歴史である。

とにかく天理教はカネがかかりすぎる。
昭和20年終戦の当時、天理教は公称220万人の信者を抱える日本最大の新興宗教教団であった。
昭和41年(1966年)教祖80年祭参拝者200万人。
数字だけ見ると天理教は戦後教勢が伸びて発展している様に思えるが、実際には終戦直後から一貫して教勢の衰退は始まっており、終戦時壊滅状態であった創価学会に信者数において、昭和41年教祖80年祭の時点で完璧に追い抜かれてしまったのが実態である。

<天理教が創価学会に追い抜かれた理由>:
昭和18年7月、牧口常三郎初代会長、戸田城聖理事長ら幹部21人、治安維持法、不敬罪で逮捕、投獄。
昭和19年11月、牧口会長、獄死(73歳)。
昭和20年7月、戸田理事長出獄時、創価教育学会の信者は離散、組織壊滅。
昭和20年(1945年)8月15日、組織壊滅状態。
創価学会は戦後再興された時から会費は一切徴収せず、賽銭箱が置いてない金のかからない宗教が第一のうたい文句であった。
折伏布教する相手は地方から大都会へでてきた貧困層が中心で、実際彼らは宗教に献金するようなカネの余裕は無かった。
それら地方から大都会へでてきた貧困層は、本来天理教が取り込むべき人々であった。
しかし天理教は二代真柱の方針で神殿や建物が大きくなることが本部の正しさ、教理の正しさを証明するという方針を取り、神殿・やかた建設に精力の大部分を注ぎ、憲法により信教の自由が保障されているにも関わらず、新たな信者獲得への努力を怠った。
その結果、建物が次々に出来上がる中、信者は減り出し、戦後ゼロから出発した創価学会に十数年の短期間で追い抜かれ、極端な衰退の中に落ち込んでしまった。
戦後の20年間は教理の優劣は別にして、創価学会のやり方が成功し、天理教は失敗したのである。
この失敗を真柱を始めとする天理教本部は一切認めておらず、方向の転換、教団としての心の切り替えを行う意思は今もって全くない。
従って、衰退はとことん行くところまで、具体的には真柱、本部員、大教会長とその家族が今日食べるコメが無くなるところまでいかざるを得ない。

戦後、昭和52年頃まで会費や献金を取らなかった創価学会の収入源は出版物(聖教新聞、書籍)であった。
「財務」称するカネ集め力を入れ始めるのは信者が1、000万人を超え教団が巨大化した昭和52年以降のことである。
<創価学会教勢>:
昭和20年8月終戦時、信者離散、組織壊滅。
昭和24年(1949年)300世帯(500人)。
昭和26年(1951年)5、700世帯(9、500人)。
昭和27年(1952年)2万2千世帯(3万7千人)。
昭和29年(1954年)16万4千世帯(27万人)。
昭和30年(1955年)30万世帯(50万人)。
昭和32年(1957年)75万世帯(125万人)。
昭和33年(1958年)130万世帯(216万人)。
昭和35年(1960年)172万世帯(286万人)。
昭和37年(1962年)300万世帯(500万人)。
昭和41年(1966年)公称600万世帯(1、000万人)。
昭和44年(1969年)公称700万世帯(1、160万人)。
<創価学会教団巨大化、組織とカネ、衰退開始>:
創価学会は昭和52年(1977年)以降「財務」(献金)に力を入れ始め、巨大な建築物を建てることに熱中し始めると信者数が減り出し、衰退を始め、天理教と同じ衰退の道をたどり始める。
平成元年(1989年)実働300万世帯(500万人)。
平成20年(2008年)実働150万世帯(250万人)。

天理教、普請が進み信者が減る衰退データー:
<おさづけの理拝戴人数(年間)>:
昭和25年(1950年)天理ブール竣工。
昭和30年(1955年)おやさとやかた別席場竣工。
昭和41年(1966年)教祖80年祭、おさずけの理拝戴人数(年間)37、681人。
昭和41年(1966年)4月、いこいの家病院竣工。
昭和51年(1976年)教祖90年祭の年、約34、000人。
昭和59年(1984年)10月東西礼拝場普請竣工、ぢばを囲む「四方正面」完成(30年前、三代真柱52歳)。
この年、昭和59年(1984年)26、237人。
昭和61年(1986年)教祖100年祭の年、約23、000人。
平成8年(1996年)110年祭の年、約14、000人。
平成18年(2006年)120年の年祭、9、991人。
昨年平成25年(2013年)、5、541人。
48年間で年間おさずけの理拝戴人数は32、140人減少(85.3%減少)。
巨大なやかたの建設を行い、カネ集めに熱心になればなるほど信者が減る。

<教会系統は利権>:
50年前の東京オリンピック開催前から始まった高度経済成長の中、地方から大都会、大工業地帯に人口の大移動が始まり、信者が所属教会の近くにいなくなってしまった。
一般信者にとっては、信仰初代が入信時に所属した教会に80年―100年後の子孫も所属しなければならず、新幹線や飛行機に乗らないと所属教会の月次祭にも参拝できない。
教会長も遠くに離れた信者の丹精が出来ず、いつしか途切れてしまう。
おまけに50年間、布教活動に大きな支障がでる普請とカネ集めに全力を挙げ、また天理教を職業にする人たち(真柱、本部員、大教会、分教会)の生活のためのカネが集められた。
戦後の混乱期から高度経済成長の期間、日本全国で信仰を求める人の数は最高潮に達していたのに、やかた建築のため莫大なカネを必要とした天理教はそれら信仰を求める人々を信者として獲得できず、他の新興宗教教団が急激に発展した。
教会系統は教会の近くに住む信者には少しは通用しても、遠方の大都会に移住した信者に通用せず、天理教は多くの既存信者まで失った。
居住地域の教会に所属変更可能な制度に改めるべきである。
それが出来ないのは、お供え金を出す信者を教団や教会の所有物と考えるからで、利権である。

<世襲制度は諸悪の根源>:
天理教を職業とする人たちにあっても、真柱の息子が真柱、本部員の息子が本部員、大教会長の息子が大教会長、上級教会の息子が上級教会長、末端教会の息子はどこまで行っても末端教会長と、生まれたその日に50年後の本人の立場が決まっている教団組織の中では、末端に行けばいくほどやる気を持てないのは当然である。
末端教会の後継者が教会及び教団組織を飛び出し、職業を持ち世間の人々の中で働きながら中山ミキの教えを実践する道を選ぶのは全く正しい選択である。
教団の上層部にあって、勇気が無く不平不満を持ち、本音と建て前を使い分けながら、生活のために教団組織にとどまる人間は、一般信者の敵である。

衰退を示す追加データー。
<天理教信者数>:
10年前、120年祭「地方講習会」参加者: 34万3千人。
本年、130年祭「ようぼくの集い」参加者: 27万1千人。
前回比、7万2千人減少(20.9%減少)。
天理教信者数は、ようぼくの集い参加者人数である27万人程度。

<天理時報手配り>:
7前半前、2007年2月25日決起大会時、発行部数15万5千部(手配率6.9%)。
2014年9月25日、全国社友大会時、13万部(手配率48.3%)。
7年半で、手配り率は48.3%になったが、部数は2万5千部減少(16.1%減少)。
7前半前、2007年2月25日決起大会時、○降政彦表統領(当時)談「手配率を50%まで高めていけばお道全体はかなり活性化していく」と信者にハッパをかけていた。
今、手配率は50%に迫ったが部数は2万5千部減少し、6年の間におさずけの理拝戴者数(年間)は、9991人(2006年)から5541人(2013年)へと4450人(44.5%)減少。
○降政彦表統領は発言の責任を取らず天理大学学長へ横滑り、そんな事で良いのか!
<最近のデーター>:
年祭活動2年目の本年、平成26年1月―9月(9か月間)おさずけの理拝戴人数は前年同期間比、289名減少(7.2%減少)。
130年祭に向け信者の数は減少を続ける。

結論:
天理教を職業とする人たちは、教えより生活が第一、メシを食っていける間は今のやり方を変える気は全くない。
<一般信者の道>:
天理教を職業としない一般信者は、本部や教会、他人に頼らず中山ミキの教えを自力で学び、日々の社会生活、家庭生活の中、人々や先祖家族に感謝しながら信仰活動を実践しよう。
失敗しても良いではないか、身上事情が起こればその都度心のそうじを行い心を切り替え前進するのだ。
ひのきしんの精神で日々働き、世の中に通用する知識や技術を身に着け職業を修行として世の中に貢献出来るよう努力を続けよう。
  • posted by 自立人生 
  • URL 
  • 2014.11/16 17:01分 
  • [Edit]
  • [Res]

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

プロフィール

植田義弘

Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

『天の言葉』ダウンロード無料

『原典を元とする理の研究』から教義の基本となる序章と第一章を抜粋してまとめたpdfファイル(37頁分)を無料提供します。

ダウンロードを希望される方は下記アドレス宛にメールくだされば、折返し添付ファイルを返信します。genten505@gmail.com

ブロマガ<原典からの出発>

紹介文:このたび特定の読者のために電子書籍およびPDFファイル等を提供する企画を進めています。いずれも原典を元とする非公開の資料ばかりです。
今後の文書活動資金に役立てるため有料としますが、ご理解ご協力の程よろしくお願いします。

ブロマガ記事一覧

購入したコンテンツは、期限なしに閲覧いただけます。

(購読手続きは FC2 に無料登録して購読ご希望の資料ごとにメールアドレスとパスワードを記入するだけで個人情報は不要です)

FC2カウンター

最新更新した記事

アルバム