ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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10/25月例会報告

「応法の道」についての再認識

 10月の例会では「応法の道」に関連する資料を作成して配布した。参加者は予想通り先月より少なく16名であった。さわやかな秋晴れの上に日曜が重なったこともあって、秋季大祭当日はひさしぶりに会場の外は大賑わいであった。天理市内の道路は車の行列で埋まり、アーケード商店街も帰参者の波で賑わった。
 とはいえ、26日昼のテレビニュースでは石川県にある分教会が燃え上がる炎に包まれている映像が放映され、おぢばへ帰参した会長の留守に幼児2人を含めて後継者の家族4人が焼死したとの悲報が全国に伝えられた。私はそのニュースが目に焼きついて、たくさんの帰参者で賑わったと浮かれた気分ではいられなかった。

 天理教は今も「応法の道」なのか、そうでないのか。とても「神一条の道」とは言えないし「応法」とも言えないのではないか。そのことを思案する前に原典に基づいて「応法の道」についての神意を明確にしなければならない。
「おさしづ」の中には、「神一条の道」と「応法の道」を対比させて諭されているところが無数にある。
「神一条の道」は、心の誠の道、胸の道、裏の道、刻限の道とも呼ばれ、天然自然の理にもとづいて成程の理をもって皆んなの満足集まる道、と諭されている。
 これに対して「応法の道」は、世上一寸始め掛けた道、一寸楽々の道、一寸許した道、世上道理上の道、世界の道、上の道、世上の道、表の道…等等の言葉であらわされ、さらに「一時の学びの道」「神一条からは万分の一の道」とも呼ばれている。
「応法の理」とは、単に当時の法(律)に順応するという意味ばかりでなく、その背景には封建的な身分制社会の基盤となっていた儒教や国家神道的な道徳・慣習も含まれている。それらの"世上の理”は、日本人の心の深層にこびりついているいんねんである。従って、戦後法律の大改革によって民主化・自由化がなされたとはいえ、私たちの心に潜んでいる応法の理は決して過去の問題ではない。原典にもとづいて神一条の信念を確立する心定めと絶えざる努力がない限り、この全体的ないんねんは自然になくなるものではないからである。このことは現実の道の様相をみれば、言わずとも明らかであろう。
 ここで25日の参加者に配布した「応法」について諭されている原典「おさしづ」を、ごく数例に限って謹写したファイルをリンクしたので是非とも拝読して頂きたい。
「応法の理」について諭されている原典おさしづの実例

 明治20年から昭和20年(教祖の昇天から敗戦に至るまで)の60年間、天理教は明らかに「応法の道」であった。原典「みかぐらうた」の内よろづよ八首をはじめ三下り目、五下り目を政府当局の強制によって削除された。「よろづいさいのもと」や「ひのもと」という歌詞があるのは許せないという理由からであった。日本の「もと」は天皇ー天照大神ー伊勢神宮の他にあり得ないとされていたからである。
「おふでさき」「おさしづ」は、一旦印刷・配布されたものの、年月を経ずに禁書に指定され回収・焼却された。「泥海古記」に至っては一切の内容を否定され破棄することを強制された。その執拗な迫害干渉の経過は次のリンク・ファイルに詳しく記録してあるので参考に一読されたい。
 泥海古記(元初まりの話)をめぐる弾圧の歴史

 したがって明治から昭和にかけての60年間、天理教の教勢は棚上げされた三原典を必要としない「おさづけ」による身上たすけのみで目覚ましい発展を遂げた。つまり、個人の難儀不自由の元となる身上たすけしかできない状況であった。医薬が普及していない当時にあって病いは生死の分かれ道であったから、不思議なたすけを求める人々は布教師に頼って集まってきた。一人が救われたら大勢の病人が救いを求めて集まってきた。教祖10年祭の年までに百万人を超えた信者数は、その後も10年ごとの年祭には倍々ゲームのように増えていった。

 今回の例会報告は、ここで止めておきたい。昭和20年を境として「復元」が声高に強調され、3原典が印刷公刊された。しかし原典は教内全般で拝読され定着し活用されたかどうかは別の問題である。それから戦後70年に近い年月を経て今日に至る道の現実については改めて後日くわしく記録することにしたい。
 ただ「応法」にせよ「復元」にせよ個人の信心を超えた道全体のあり方に関わる問題である。いわば個人レベルでの一人ひとりの「道」の通り方ではなく、「道」全体の方向づけ、組織・制度の問題でもある。個人と全体のレベルを混同してはならない。個人々々が神一条・誠一つの心で通っていても、全体が同じ道筋になっているとは限らない。方向が定まらない道を通っていれば、最後の正しい目標に到達することはできない。それ故にここでは個人レベルの問題は重視しないこととする。

 終わりに、例会のねり合いの中で心に残った発言を報告しておきたい。
☀応法か神一条かの分別は組織の問題に関わっている。人間一条の道は下から崩れていく。
☀私有財産、土地など目に見えるものはすべて武力に裏づけられた法律によって守られている。いずれ法律がなくなる世の中になれば、応法の道は成り立たなくなる。
☀自分の所属する支部には40ヵ所以上の教会があるけれども、元気のない教会が大半を占めている。その原因は上意下達で決められるお供金の負担にあるとしか思えない。教会そのものに上下の差別がある一方、信者数の多い教会も末端の教会も同額の義務を負わされる場合が多い。
☀上下の人間関係に囚われることは最も避けるべきで、それこそ応法どころか人間思案の道に堕してしまう。




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Comment

No title 

有意義な会だったろうことが想像できます.
こんな普通に考えればアタリマエのことを共有したいのに,教内では自由に共有できない空気があることを残念に思います.
また機会あれば参加させていただきたいです.
  • posted by まお 
  • URL 
  • 2014.10/29 17:22分 
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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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