ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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戦後69回目の8月15日を迎えて

 毎年のことながら今年も8月15日を迎え、テレビや新聞では戦争と平和に関連する特集企画が集中している。
 来年には戦後70年を数える年になって、あの戦争に関わる情報は知っているつもりでいたが、つい数日前に初めて知った事実もある。例えば、NHKテレビで放映された「狂気の戦場=ぺリリュー島」の記録とか、戦争終結直前の鈴木貫太郎首相が陸軍のテロ部隊に襲われ一瞬の差で脱出したドラマとか、あの太平洋戦争の膨大な数の戦死者の60%が餓死によるものであったという調査研究の発表とか、まだまだ知らない残酷非情な実態があるに違いない。

 15日の3日ほど前に全国紙大阪本社の記者から電話があり、私が管理人になっているウエブサイト<戦争を語りつぐ証言集>の中で戦争終結の時点で中国にいた元兵士に取材したいとの用件で紹介を依頼された。
 調べてみると7名ほどあったが、その中で最年長(今年98才)の証言者に取り次いだ結果、16日付の「元兵士 語り続ける戦場」特集紙面に大きく<悔恨の記録「敗残兵三百人殺す」>のタイトルで、戦場でメモした手帳を元にした証言が掲載されていた。他にも<仲間の遺体 服はぎ取った><抑留 終戦後も兵は死んだ>の記事が並んでいた。

(8/16付朝日新聞に掲載された特集記事の一部)

 13日夜にテレビで放映された前記のペリリュー島の記録映像「狂気の戦場」はショックだった。ペリリュー島という名前も初めて知った。念のためネットでウィキペディア百科事典を調べると、
<太平洋戦争末期の昭和19年11月、フィリピンの東方にあるパラオ諸島の中の一小島、南北9キロ・東西3キロのペリリュー島で、圧倒的に優勢な米軍の攻撃にさらされながら果敢に戦って玉砕した。
 パラオ諸島は、当時の日本軍にとってグアムやサイパンの後方支援基地として重要な位置を占めており、また米軍にとっても、フィリピン奪還の拠点として重要視していた島であった。
 水戸歩兵第二連隊を中核とする、中川州男(くにお)大佐率いるペリリュー島守備隊は、補給を絶たれた中での苦しい戦闘を続けておよそ2か月半、昭和19年11月24日午後、かねて打ち合わせてあった最後の電報「サクラ、サクラ、サクラ……」をパラオ地区集団司令部あてに発信した。その夜、中川地区隊長は従容として自決を遂げたという。>
 日本軍の戦死者は10.695名、捕虜202名、最後の生存者は僅か34名に対して、アメリカ軍48.000名の内、戦死者1.798名、戦傷者8.000名の他、精神に異常を来した兵士が数千名いたという。
(現地の戦争博物館前に展示されている大砲=ウィキペディア事典より転載)

<今年、アメリカで日米の熾烈な戦いを記録した113本のフィルムの存在が明らかになった。 撮影地はフィリピンの東800キロに位置するパラオ諸島の小島・ペリリュー。「地球最後の楽園」と呼ばれるサンゴ礁の美しい島だ。
 70年前、日米両軍はここで死闘を繰り広げた。米海兵隊の最精鋭部隊と言われる第1海兵師団第1連隊の死傷率は、 史上最も高い約60%。そのあまりの犠牲者の多さと過酷さから、ほとんど語られてこなかったため、「忘れられた戦場」と呼ばれている。
 ペリリュー島は、太平洋戦争の中でも特異な戦場だった。日本軍はアッツ島以降続けてきた組織的な“玉砕”を初めて禁じ、持久戦を命令。 米軍が当初「3日以内で終わる」と予想した戦闘は2カ月半に及んだ。今回発掘したフィルムには、日米双方が日増しに追い詰められていく様が克明に記録されている。
 NHKはフィルムを撮影した元米海兵隊のカメラマン(91歳)や、生き残っている日米元兵士の証言を記録。 フィルムと証言から、ひとたび戦争が始まるとそれを終結することがいかに難しいか、戦場とはどんなものなのか、その厳しい現実を伝えている。>
 実際に戦場で殺し合いするのは、敵味方いずれにせよ個人的には何の利害も怨恨もない兵隊同士であり、その兵隊を戦場に駆り出したのは横暴な政治家や高級官僚(上・高山)であり、戦争を仕掛けた権力に支配され犠牲にされたとしか言えないのだ。

 翌日の夜のテレビで初めて知った事実もある、それは69年前の首相・鈴木貫太郎海軍大将が戦争終結を決定した時、戦争終結に反対して本土決戦を主張する陸軍の反乱軍に襲われ危機一髪で脱出したドラマがあったこと。
 ポツダム宣言を受諾して早期に戦争終結を決意していた鈴木首相は、前例のない方法を天皇陛下に提案した。それは御前会議の召集および天皇自らの肉声による終戦の詔勅のラジオ放送であった。
 一方、陸軍内部で徹底抗戦を主張していたグループは鈴木首相の計画を阻止するため、8月15日の朝、ラジオ放送を阻止するため首相の私邸を襲撃し暗殺しようとしたが、間一髪の差で無事脱出した。私邸は放火され全焼した。
 その日の正午、天皇陛下自らの朗読により終戦の詔勅がラジオで放送された。もし陸軍の反逆計画が成功していたならば、なおも戦争が継続され、本土決戦によって国民の大半が死傷し、戦後の発展はあり得なかったと推測される。
 鈴木首相は軍人でありながら心ならずも政治権力のトップとなり、その責任を果たした後、直ちに天皇に辞表を提出して総辞職した。

<日中戦争や太平洋戦争で亡くなった軍人・軍属は、政府見解によると約230万人。その内訳は不明確な点が多く、「6割が餓死した」との説もある。兵站(へいたん=物資補給)を軽視した無謀な作戦がこうした惨劇を招いたとして、昭和史の著作が多い作家の半藤一利氏(84)は「軍の指導者たちは無責任と愚劣さで、兵士たちを死に追いやった」と指弾している。>(8/15付 毎日新聞)
 
 以上、私が今年になって初めて知った事実を紹介した。来年は戦後70年の節目にあたり、さらに多くの情報が公開されるに違いない。
 なお、戦争を語りつぐ私自身の証言は、10年前に次のウェブページに匿名で記録している。
 U・Y「オトナたちの変身」
 
http://www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/m-S7.html

 
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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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