ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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122年前から見た現在の天理教

 古い話になるが、明治24(1891)年10月28日の朝、岐阜県美濃地方、愛知県尾張地方が猛烈な地震に襲われた。マグニチュード8.0、最大級といえる内陸直下型の濃美大地震であった。その烈震で岐阜地方気象台の地震計の針が振り切れてしまうくらいで、同月31日までの3日間に、烈震4回、強震40回、弱震660回、等々を合わせて720回を数えたと記録されている。地震を感じた範囲は東は東北地方から西は九州全土に及び、全国で死者は7,273人、全壊・焼失家屋は142,000戸に達した。
 とくに震源地に近い岐阜市周辺では、倒壊した家屋は全戸数の62%、西濃地方の大垣では93%を超え、市内各所で燃え広がった火事で市街地の大半が焼き尽くされた。(以上、岐阜県公式サイトの記録による)

 こんな古い記録を紹介したわけは、天理教とも深い関係があるからだ。濃美大地震があった明治24年は教祖五年祭が執行され、全国各地に教会が設立され教勢が大いに伸展しはじめた時期であった。3年後の明治27年には日清戦争が始まり、日本が富国強兵へ向けて国策を進めていく時代でもあった。
 その頃、岐阜・愛知地方で熱心におたすけを続けていた布教師は、おぢばで説き聞かされた「泥海古記」を「にをいがけ」していた。「元初まりは泥海であった」という話がどこをどう間違って伝わったのか「いずれ日本は泥海のように混沌とした状態に戻る」という噂がひろがり、そのため天理教に対する警戒感が強まるとともに布教師が流言飛語をまき散らしたカドで警察に逮捕され留置される事件が起こった。ただ独りの「にをいがけ」が地方に影響を及ぼすとは信じられないから、複数の布教師が同じように「元初まりの話」を説いていたとしか思えない。とにかく警察に逮捕、監禁された布教師があり、恐らく当時の新聞は興味半分にその事件を報道したに違いない。

 その直後、上記の濃美大地震が突発したから、形勢が逆転した。先に天理さんが話していた通りに街や田畑が「泥海」さながらの状態になった。さあ大変、天理教に助けてもらうしかないというわけで、お寺の坊さんまで教会へ駆け込んできたと伝えられている。これは大げさな話ではなく、大地震の直後に美濃地方(岐阜.愛知)に天理教がいっぺんに広がったのは事実であった。(公刊された教史にも記録されている)この大地震は布教師の逮捕と偶然に時期が一致したのか、布教師の名誉を救うための天の計らいであったのか、それは不明としか言えない。
 もちろん大地震だけが教勢伸展の原因ではない。当時、美濃地方だけではなく全国に教勢が拡大していたからである。その99%の原因は不思議な身上たすけにあった。

 因みに濃美大地震から2年後の明治26年2月20日付で神道天理教会本部から各分教会・支教会・出張所・布教事務取扱所(当時の制度では大教会はなく4段階に分かれていた)あてに通達された「設置請願手続」の書類には、各段階ごとに等級別の条件が明記されている。参考までに次頁にその数字を転記しておく。但し、最高・最低の等級のみを記し、中間の数字は省略する。現在とは格段の差が見られる。
 名称   等級   信徒数   改式数   教職者数
◎分教会 1等級 25000戸以上 5000戸以上  800人以上
     7等級  2000戸以上  350戸以上   60人以上   
◎支教会 1等級  1500戸以上  300戸以上   50人以上
     5等級   600戸以上  120戸以上   20人以上

◎出張所 1等級   500戸以上  100戸以上   16人以上
     3等級   300戸以上  60戸以上    10人以上 

布教事務取扱所   150戸以上  30戸以上  5人以上
(付記)「改式」とは家にお社を祭ること。
(『教祖ひながたと現代』75頁/中和大教会史資料集 Ⅰ 参照)

(参考)
 以上の通達から3年後の明治29年末の教勢一覧によれば、
 信徒数=313万7千113人/教師(教職者)数=1万9千061人に対して、
 分教会=17ヵ所/支教会=185ヵ所/出張所=484ヵ所/布教所=392ヵ所 と記録されている。ということは、上記の設置基準に見られる通り、1ヵ所あたりの信徒数・教師数がいかに多かったかを示している。
 
 明治時代には西洋医学が輸入されたとはいえ、まだ医薬は普及せず診療は高価であったから、庶民は神霊に頼るほかになかった。東洋(日本)では、自然環境に順応した生活で、今のように自然を利用し環境を汚染するほど科学技術による工業生産も発達していなかった。
 医薬(医者くすり)が進歩した現在の日本で、病気を神霊の力に頼って助けてほしいと望んでいる患者はほとんどいないであろう。その証拠に、よろづ相談所病院「憩の家」は毎日大入り満員の盛況である。医薬は修理肥というより主役となり、おさづけを取次いで頂いて身上が回復したからといって入信する人がいればお目にかかりたい。
 教祖は病い救けのためにこの道をひらかれたのではないのだから、おさづけの効能に頼らない現代人は、それ以上の教理を求めている面では進歩しているのかも知れない。信心のおかげで病気が治癒したからといって世界の立て替えができるわけではない。その意味で、100年以前の過去の時代における成功体験は、現代では通用しないことを自覚しなければならない。

 私が申したいのは「たすけ」にもいろいろな種類や次元があり、ようぼく個人の力ではどうにもならない、ということだ。かつて環境汚染や原発がなかった明治時代と違って、天の理に反する社会的、政治的、組織的な身上事情の「たすけ」は、やはり全教の組織的な力で取り組まなければ対応することはできない。今の天理教では「たすけ」という言葉を繰り返すだけで具体的な目的は提示されないために、すべて個々の「ようぼく」の行動に任されている。
「よろづいさいのもと」を説き明かされているからには、現代の課題(ニーズ)に応じて根本の教理を展開し応用さえすれば、すべての課題を解決する答えは含まれているのだ。長くなるので、次回にその実例を提示してみたい。(つづく)

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  • 2013.02/05 19:03分 
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同感です 

現代は、おさづけの効能に頼らないで済む時代になった代わりに、環境汚染や原発などの大きな課題を天理教者につきつける時代になったという、みさと先生の提言にはまったく同感です。
むかしながらの身上の個人だすけより、世界の事情への社会だすけこそ、いまの天理教に求められていると思います。

部内教会長ようぼくに対して、おさづけで助かった回数を競わせるならともかく(これも変ですが)、単におさづけ取り次ぎ回数だけを競わせる大教会がありますが、こんな愚かなことはもうやめにしてほしい。

次回のよろづたすけの「実例」のご提示に期待しております。
  • posted by 愛読者 
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  • 2013.02/05 12:55分 
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