ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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「点と線」のナゾ解き

 私たちの個人的意識は、ふつう地面に密着していて、狭い現実の枠を出ることはない。だから空から現実を眺めるような視点をもつことはできない。しかし、時には天空から地球表面を俯瞰するような意識で現実を確かめることも必要と思われる。
 ただし、航空機のように高速で動いていれば地上も移動するから、ゆっくり確かめることは難しい。やはり空中に停止している状態で地面を眺めるためには、UFOのように自由に停止・移動ができる条件か、高次元の神様の目が必要となる故に、地上の人間世界を一望するのは容易ではない。

 なぜこんな空想をしたかと言えば、地上の空間に居住するようぼく個人を「点」として、他のようぼく同士のつながり(絆)を「線」として上空から眺めた場合、ある任意の地域にようぼくが点在していても、点と点が線でつながっている場合は少なく、バラバラに散在している状態が観察されるにちがいないからだ。
 時に近くの教会に所属しているようぼく同士は「線」でつながっているとしても、所属する教会が遠く県外にある場合など、線は途中で切れていて孤立した「点」になっている。しかも、その「点」には系統ごとに違った色がついている。天の理は、清水のごとく無色透明であるはずなのに。

 ヨコ組織としての教区は支部を通して教会・布教所の連絡機関としての役目を果たしているとしても、ようぼくのレベルまでは手が届かない。遅まきながら「天理時報の手配り」でつながりをつくろうと試みられているが、時報をポストに入れるだけで絆はつくれるのだろうか。ひのきしんで遠方から手配りされていると聞いた時報の購読者が、気の毒だから購読を中止したという笑えぬ話もある。
 一方、地域を超えた系統に所属する教会同士のつながりが強いことは確かである。しかし、個々の教会につながるようぼく・信者は、同じ地域に生活していて線でつながっている場合を除いて教会との縁は切れかかっている。ふと気がつくと、会長や役員の後ろには誰もつながっていない現状になりつつある。

 皮肉なことに、本部の方針に反して部内教会を一切設立しなかった愛町だけは、例外的に他系統のようぼく信者に信頼され、同じ居住地域にある連絡所や布教所は参拝者で賑わっている。そうした実情を本部は黙認している。まさにイビツな組織の実情という他はない。
 愛町を除いて教区単位で見れば、事ほど左様にようぼくのレベルでは、教内組織は散在する「点」と切れぎれの「線」の状態で、一列兄弟(姉妹)のつながり(絆)があると言えないことは明らかであろう。
 今は家族の絆も弱まっているといわれるが、血縁の絆があればよいのなら、信心による一列きょうだいのつながりは要らないことになる。東日本大震災の結果は、信心していると否にかかわらず人々の絆が強くなった状況が広がっている。

 ここで視点を変えて、組織を生きている人体として観察することにしたい。手足や内臓に当たる地方組織や内部の役職者には、全体の状態を知ることはできない。全体の動きや健康状態を判断しコントロールするのは本部という頭脳以外にはない。目や耳などの器官もすべて顔についているから、顕微鏡など検査機器の道具で観察し測定することができる。つなぎの理があってこそ皮膚は構成されている。内臓の機能は互いにひのきしんしながら生命を維持している。神経や血管が詰まったり切れたりしていれば由々しき問題となる。
 その場合、身体検査に相当するのが組織を構成する単位(細胞)を対象とするアンケート調査である。が、数十年来このかた、直接に全ようぼくの実態を調査した結果が発表されたことはない。例えばその調査内容は、個々のようぼくの教会や祭典への参拝回数、同じ地域のようぼくと交際している人数、同じ地域で住所氏名を知っているようぼくの人数などの実態を確認すれば、散在する点や線のまま絆の切れた組織の実態を認識し、改革の必要性を確認することができるだろう。
 にもかかわらず、頭脳中枢が全身の機能不全や病的状態を把握していない危機的状況にあることは明らかであろう。

 以上の前提に立って、前回のブログの最後に指摘したおぢばのおつとめの理と教会の理がつながっていない現実を思案して頂きたい。とは申しても、鏡やしきとも呼ばれる本部は、タテ系統の組織に依存して、過去・現在にわたり運営されてきた事実を認めざるを得ない。まことに現実は複雑怪奇であり、謎解きは困難を極めている。
 問題解決の一つとして、県内の誰もが自由に参加できる教区や支部主催のおつとめを月に一度つとめることしか思いつかない。そのつとめの目的は、本来の神意に則してそれぞれがお借りしている有難い「ご神体」を共々に「てをどり」し、神人ともに勇む陽気づくめの空間を創り出すことにある。
 点と線の謎解きをするために、もっと有効な方法を提案して下さる方があれば、遠慮なくコメントをいただきたい。
 最後に「一列兄弟(姉妹)」に関する「おさしづ」の一節を謹写しておきたい。
「遠慮気兼ねは要らん。すっきり要らん。遠慮気兼ねあっては真の兄弟と言えるか」(明治24.11.15)
「同じ兄弟互い/\深きいんねん、皆兄弟この理聞き分け」(明治24.11.15)
「神が表へ出て珍しいたすけをする。皆他人と言う。他人を寄せて兄弟一つの理」(明治27.3.5)
「これより艱難の道を通したる。どんな日もあったやろ。何でもというは、世界国々それ/\多く道が付いて、一つ/\兄弟の元を拵え掛けたる。兄弟という理を聞き分け。人間という、元々一つの理より始めたる。兄弟なら兄弟という意味が無くばならん」明治28.5.19)
「同じ五本指の如く、兄弟の中なら、どの指噛んでも身に応えるやろ」(明治32.12.27)

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Comment

案山子さんへ 

なーるほど、名案ですね。もともと教区はタテの系統とは無関係な本部の出先機関ですから、本部と同様に系統・所属に関係なく参拝できるわけですから。
ところが教区長は殆ど全部、同じ府県にある大教会長の回り持ちになっているのが現実ですが、ヨコの組織には違いないので、教区、支部が主体になってつとめることはできるはずです。

とはいえ、ようぼくの意識変革、そう簡単に成功するかどうか、他にもご意見あればお聞かせ下さい。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2012.11/27 20:42分 
  • [Edit]
  • [Res]

三年千日のロードマップ 

 植田先生 重版おめでとうございます。諭達第三号が発布となりました。「教会の使命であるおつとめをつとめる」ためには、まず初めに本部の祭典日と重ならない土日に、だれでも参加できますと宣言したうえで、教務支庁で、教区長先生夫妻や各支部長先生夫妻をつとめ人衆として、つとめるのがよいと思います。その日に、つとめ人衆やおつとめ奉仕者の教会の祭典日が重なるようなら、教務支庁で合同してつとめるというのはどうでしょう。次のステップとして各支部で、そして各教会でという具合にすると、三年千日が意義あるものとなると思います。これで先生のご著書がますます売れますよ(笑)!
  • posted by 案山子 
  • URL 
  • 2012.11/24 21:56分 
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