ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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67年前の8月15日を顧みて

 昭和7年(1932)に生まれた私の幼少年期は、戦争に始まり戦争に終わった、と申しても過言ではない。私の生まれた年の5月には五・一五事件が突発し、帝国海軍の青年将校を中心とする反乱軍が官邸に乱入し、犬養首相を暗殺した。その4年後の二・二六事件は、今度は陸軍皇道派の青年将校ら1500名近くが昭和維新と称して閣僚らの暗殺を謀ってクーデターを起こしたが未遂に終わった。
 それ以後、政治家が軍部の暴力を恐れてもの言わなくなり、軍部の独裁による軍国主義政策を加速させることになった。
 1937年(昭和12年)には盧溝橋事件が発端となって日中戦争が始まり、同じ年の12月には南京占領と、一気に大陸へ戦線が拡大されていった。1941年(昭和16年)12月8日の真珠湾奇襲による日米開戦は、私の9歳当時で、1945年(昭和20年)敗戦の夏には中学2年生になっていた。

 とは言うものの、私は身を以て戦争の惨禍を体験したわけではない。大阪から東へ50キロほど離れた現.天理市で、大阪大空襲の夜、西の空が焼夷弾による火災で夕焼けのように真っ赤に染まるのを眺め、田んぼを潰して造成中の飛行場で、一度だけ機銃掃射を受けた程度であった。その時、私たち中学生を引率していた教師の言動が今も記憶に残っている。敵機が正面から近づいてきて機銃の音がした瞬間、その教師は「逃げろ!」と叫ぶが早いか真っ先に川へ飛び込んだのであった。

 入学した中学校は全寮制で、軍隊のミニチュアであった。食べざかりの少年たちの集団生活だから、極度の食糧不足をめぐるトラブルは避けられなかった。数百人の生徒が日々空腹を抱えて集団生活を送っていた。食事を知らせるベルが鳴ると、丼を片手に一斉に食堂めがけて走り出す。6人掛けのテーブルに殺到した生徒たちは、我勝ちに席を取る。なぜか同じ位置にある1人分の席が空いたままになっている。そのわけは、テーブルの上に僅かな分量の飯櫃(めしびつ)(殆ど麦だけの飯)が一つ置いてあって、最後に遅れてきた者が残った空席につき、6人分の丼に飯を分配する役目に担当することになっているからだ。みんなの視線が一粒の飯粒も見逃さずに分配係の手先に集中している。自分の丼に少しでも多く盛るわけにはいかない。だから、その分配作業が誰からも嫌われるのだった。

 昼の弁当は殆ど朝のうちに食べてしまい、それでようやく空腹が満たされる分量しか配給はなかった。昼食抜きの1日2食が習慣になっていた。「食べ物のうらみはこわい」というのは本当で、寮生活で何より重視されたのは、食糧を「独り占めしない掟」だった。家から送ってきた慰問品には、炒(い)り大豆や麦粉や餅などがあった。それを僅かずつ同室の仲間と分け合って食べながら、強い連帯感に満たされた記憶を今も忘れることはできない。鶏の餌にすると偽(いつわ)って米屋から分けて貰った米ヌカを火鉢で炒って、仲間とともに飢えを凌いだこともあった。同じ苦難を共有した体験は、自分だけ独り占めする満足とは比べものにならない連帯感にめざめる原体験となった。
 8月15日になって天皇の玉音放送がラジオから流れ、それが終戦(じつは敗戦)の日となるのだが、その直前まで戦争に負けるとは誰一人として予想していなかった。オトナ達も「必勝」という言葉以外は発言しなかった。
 広島・長崎の被爆者には申し訳ないが、原爆によって終戦が決定的となり、防空のため窓ガラスに暗幕を掛けなくて済むようになってホッとしたことを覚えている。

 戦後の日本は、私自身の成長と並行して、経済の成長発展に向かってやみくもに走り出していた。戦争中の食糧難や物資不足を取り返そうとするかのように、所得倍増やGNPが唯一の目標となった。しかし、春になって衣替えするように、昨日までの軍国主義が民主主義体制に一変したからといって、日本人の内心まで変わるはずはなかった。
 戦時中の言動と矛盾した正反対の思想を口にする大人たちを私は信じることができなかった。同じ教師が180度違った教育を始めたこともオトナへの不信感を抱く原因となった。今さら勉強する気になれなかった私はスポーツに熱中した。
 人間の心とはいかに変わりやすいものか。最後に信じ得るものは何か。私の内心には、間違った信念や名誉のために自他のいのちまで棄てて省みない人間への恐れと疑いの種が宿されていた。
 数多くのいのちが失われた戦争の時代に生まれたためか、私は生きることの意味にこだわり、世の中の風潮に背を向けて文学や哲学に興味をもった。哲学といっても観念的な思弁を好んだのではない。いのちの価値を確かめたいという欲求がすべてであり、いのちと一体になる生き方を模索した。
 オトナに対する不信感を抱いていた私は、最後に信じ得るものが存在するとすれば、人知を超えた「神」と呼ぶ存在しかないと思った。人間の言動は一切信じることができなかった。そこで、教祖の
 最後の遺言というべきみきの啓示に「一列ろくぢ(平らな地)に踏みならす」とあるように、民衆を抑圧する「上・高山」(横暴な権力者)を真っ向から否定する教えを見出した。
 もし真実の「神」が実在するとすれば、先の見えない人間とは異なる次元から、未来のすべてを見抜き見通すことができるに違いない。それこそが万能の神の実在証明となる。事実、明治2年の昔に72歳の教祖が天啓を受けて筆をとり始めた「おふでさき」には、日本の危険な未来が暗示されている。例えば、第四号─105に、
 だん〳〵とみゑん事をばゆてをいて
 
 さきでみゑたらこれが神やで

 さらに第七号7~9のおうたには
 月日にハたん/\みへるみちすぢに
 
 こわきあふなきみちがあるので

 
 月日よりそのみちはやくしらそふと
 
 をもてしんバいしているとこそ

 
 にんけんのわが子をもうもをなぢ事
 
 こわきあふなきみちをあんぢる

 終戦当時、私の周囲は天理教に縁のある人達ばかりであったが、教会長であれ信者であれ、他の日本人と同様に、勝利を口にして戦争に協力していた点で、信じるに足りなかった。
 しかし教祖・中山みきは別であった。教祖は信者集団として「講を結ぶ」ことをすすめ、信心することを「道を通る」と表現していた。しかも在世中、官憲からの迫害干渉を受け、18回にわたって警察や監獄に拘留されながら権力と妥協することなく最後まで神一条の道を貫き通した。

 一方、天理教は、教祖なきあと神道の一派として公認されるために作られた組織であった。その教会組織は、教祖の後継者・飯降伊蔵の啓示によれば、
「世界の運び、一寸気休みだけに許してある」(明治21・6・15)
「今一時影だけのものと言うて居るだけではならんから、万分の一を以て、世界ほんの一寸細道を付け掛けた。(中略)天理教会と言うて、国々所々印を下ろしたる。年限経つばかりでは楽しみ無いから、一時道を初め掛けたる。神一条の道からは、万分の一の道を付けたのやで」(30・7・14)
「応法というは、どういう事と思うやろ。この道という元々願うてどうするのやない、頼んでするのやない、と、古い諭にもしてある。成らん処、余儀無くほんの腰掛けという理に許したる。これから思やん(案)すれば、応法という理は分かるやろう」(32・7・7)

 以上のように、教会自体は一時的な組織として認められている。
「応法」という言葉の意味は「時の法律に応じること」と解することができる。これはまた「世上の理」という言葉でも示されているように、世俗の常識、慣習、政策、思想、権威、等々に従うことをも意味している。

 幕末から明治へかけて、日本は大きく変動し、さらに明治以後は、富国強兵による軍国主義、超国家主義が台頭し、国家神道を軸として戦争の泥沼へと突入してゆく過程で、日本を支配した政治権力による法律の改変はめまぐるしいものがあった。とくに、思想統制の一環として、天皇を神格化した国家神道以外の神仏信仰に対する官憲の迫害干渉が始まり、教祖が18回にわたって警察や監獄に拘留あるいは投獄されたことは周知の事実である。
原典「おふでさき」には、こうした「上・高山」の横暴に対する残念・立腹がくり返し記録され、「かやし」と「大掃除」が予告されている。

 ここで留意しなければならないのは、昭和20年以前の「応法」と戦後の「応法」の意味は全く異なっていることである。戦後に大改革された法律は、個人の人権や自由を平等に保障している点で「ろくぢに踏みならす」神意に適っている故に、戦後の法律に応じないのは、神一条でないのはもちろん、応法でさえないということになる。昭和20年の刻限によって「応法」の意味が逆転したことを認識する必要がある。
(この一文は、著書の一部として、後日に読んでいただける時を予定しています)






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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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