ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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わが道を行く(その1)万物の元となる「理」

 はじめに自作文の中で、今までに一般論として「理」という語の意味について分析した文章の中から、その一部を引用して参考に供したい。(青色の表示は引用部分)
天理と刻限>(天刻)サイトに連載した「理についての対話」は、
 Q=議論好きな未信者の友人
 A=真実の理を求めるようぼく
 の2人による架空の対話を展開している。
 最初に「円の中心となる理」という項目は、次のような対話で始まっている。
 
Qー天理教の話を聞いていると、何でも分からないことは「理」のひと言で片付けてしまうような気がするね。「理」というのは天理教の中でしか通じない特殊な用語なのか、それとも一般にも通じる意味があるのか、はっきりしてもらいたいね。まさか神様しか分からないのが「理」だ、などと言わないだろうな。

Aー天理教かどうかは別として、「理」という言葉がどんな場合に使われているかを考えてみれば、その意味もわかると思うがね。

Q-話をそらすつもりじゃないだろうね。もちろん「理」という文字は、至るところに使われている。例えば、原理、理屈、理想、理由、理解、推理、摂理……など、挙げればキリがない。

Aーそう、こんなにたくさん熟語がある文字は珍しい。だから意味の幅も広いので、つかみ所がないのも「無理」はないわけだ。

Q-それでは答えにならないじゃないか。古代から中国の思想では「理」と「気」のどちらが根元的な存在であるかについて議論され、色々な説が唱えられていた。日本では二宮尊徳が「天理」という言葉をさかんに使っている。そうした過去の意味と比べて、天理教でいう「理」はどこが違うのか、誰にも「理解」できるように──ここにも「理」が付いているが──説明してほしいものだな。

Aーさすが歴史を専攻しただけあって博識だね。とにかく、物事の原因、あるいは筋道や法則のことを「理」と言うのではないだろうか。漢和辞典では「理」の語源として「玉をみがく」と出ている。玉をみがけば隠れていた本質が表に顕れてくる。そこから「理」という言葉が出来たらしい。

Q-とすれば「天理」という以上、天の筋道、天の法則または天のルールを教えているはずだが、ぼくには古くからの慣習や組織・制度を守るための接着剤として、何でも「理」のひと言を利用しているような気がしてならない。時には自分の立場を守るための楯に利用しているフシもある。それを天理と呼んで信心しているのが不思議でしかたない。

Aー教祖が説き聞かされた教えは、どこにもない宝玉のような教理であることは間違いない。天啓の教えだから、文字通り天から授けられた玉のようなものだ。ところが、後から人間が勝手に模造品の玉を混ぜたために、どれが真実の理であるのか分からなくなったのかも知れない。教祖が説き聞かされたのは「元の理」であって、「元の」を省略した意味で「理」という言葉を用いるのが本当だ。「おさしづ」という原典では「一つの理」と表現されている場合もある。人間の知恵や学問で分かる「理」なら、今さら天啓を受ける必要はない。例えば、物理、生理、心理という三つの学問については、それぞれに別々のテキストがあって、専門の教師から学べばよい。ところが、天の理だけは学校では教えられないのだ。

Q-物理は自然の法則、生理は身体のメカニズム、心理は普遍的な心の法則ということになる。例えばニュートンは万有引力の法則を発見し、ハーヴェイは血液循環を、フロイドは無意識の構造を研究した。天才たちによって発展した物理学だけを考えても、物理の法則がいろいろな器具・機械に応用されて世界中の人々が恩恵を受けている。医学が発達したのも解剖学や生理学の研究が基礎になっている。

Aー誰でも法則を発見したりビデオを発明したりできるわけではないからね。ただ、天才によって発見された原理が誤った目的に利用されることもある。原子核の物理学が核兵器に応用されて人類の不幸を招く危険もある。だからといって、原理そのものが間違っているわけではないのだ。

Q-宗教の世界でも同じことが言えるのじゃないか。教祖が真実を説いても、一部の人間が我欲のために教理を歪曲して利用する場合もあるからね。

Aーだからといって教祖に責任があるとはいえないだろう。誤って応用された結果だけに囚われて、啓示された元の理まで見失ってはいけない。核兵器があるからといって物理学まで否定するようなものだ。
 それにしても、人知で研究する学問は、それぞれ異なった分野にわかれていて、その研究対象も限られている。全体の中から部分的に対象を切り離して、一つの分野に限って法則を追究する以外に方法はない。だから、研究対象が異なれば、別の学問が必要になる。ちょうど別々の中心をもつ円をいくつも描いているようなものだ。しかし、元からいえば、自然や身心をはじめとして、すべて世界全体が一つの円に含まれる部分であり、その円には一つの中心があるはずだ。文字通り「一つの理」が根元になければならない。
 
Q-もちろん自然・生命・精神を別々に切り離して、中心がバラバラのままでは生きていくことは出来ない。すべてが同じ円に含まれているのが自分であり人間だ。とすれば、すべてを根元において支配している理が円の中心にあるということになるが……。

Aーそれが天の理であり元の理なのだ。人知で発見できないのは当然だから、この世・人間を創造された元の神・実の神が教祖に入り込んで、初めて説き聞かされたのだ。

Q-しょせん人間の頭で考え出した科学では、部分しか分からないということか。しかし、人間の頭が進化発達していなかったら、真実の理を聞き分けることはできない。「猫に小判」という譬えもあるからね。

Aーだからこそ親神様は、人間だけに知恵や文字の仕込みをしたと教えられている。そして今、ようやく人類は「元の理」を探し求め、理解できる次元まで成人している。「元の理」に基づかない限り、あらゆる物事が分裂し解体してしまう危機に直面している状況ともいえる。

Q-本当にそうなら、ぜひ詳しく聞かせてほしいものだ。

Aーその気になってくれるなら、これからゆっくり話し合うことにしようじゃないか。

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 この辺で架空対話を中断させてもらい、次に同サイトで連載した「よろづいさいのもと」から、「第六首 理で成り立つ世界」の一節を引用したい。
(以下、引用した原文は、各々の表題をクリックして頂けば表示されます)
 
理の定義
 ここで、「よろづいさいのもと」となる「理」の定義と特性をまとめておきたいと思います。すこし難しい点があるかも知れませんが、辛抱して読んでくだされば幸いです。
 あらゆる物事の「元となる理」は、次のように定義することができます。即ち「自然と心身に共通する法則性と多様性の秩序をもって作用する根源的なエネルギー・システムである」と。
「自然と心身に共通する」という意味は、「元となる理」は、人間が知恵でつくった学問や理論ではないということです。学問というものは、その対象とする自然、身体、精神をバラバラに分割して初めて成り立つものであり、別々の理論で組み立てられているものですから、そこには元となる理はないのです。
 その証拠に、いくら宇宙船を造りコンピューターや人工臓器を造ることができても、元の理によって創造された生命そのものを人工的に造ることはできません。それは自然や生命の一部を代用するものでしかないからです。一方、私たちの体内で は、食物を分解して栄養物だけを選び出して血肉化し、またホルモンや遺伝子を合成し、老廃物を排泄するはたらきが一刻も休みなく繰り返されているのです。草食動物である牛や馬は、食べた草が肉になります。その草や木は、火水風で花や実をつくります。「理」は、単純な無機物をもとに高度に秩序のある有機物質(高分子化合物)から成る生体を創造する力なのです。
「理」に「法則性や多様性の秩序」があるという意味は、思いつきや気まぐれではなく、さまざまな力が一つになって休みなく体内にはたらきかけているということです。「十全の守護」と呼ばれるのはそのためです。例えば「切る」「つなぐ」という二つの力は、あらゆる分子の分解と化合、細胞の分裂と接合、原料の切断と溶接、数学のマイナスとプラスにみられる法則性にほかなりません。この二つの相反するはたらきこそは、新しい物事を創造するための基礎となるのです。

◆理の特性
 次に「理」の特性について述べますと、第一に「理」は無限であります。(ここで言う「理」は、すべて「元となる理」を指しています)
 地球の創世以来、無生物から生物へ、原始的な細菌から人間へ進化したのも、理が無限に存続してきたからです。しかも現在・未来にかけて、私たちの心身には、変わることなく同じ理がはたらいているからこそ生きていけるのです。いくら使っても無くならないのが理であります。自然の根元としての火(太陽)水・風(空気)も無限であり、理から成り立っているのです。あらゆる物質は火水風を元として創造された結果にほかなりません。
 第二に「理」そのものを人間の力で創り出すことはできません。人間が創造できるのは、すでに理によって創造された物質を原料とする場合に限られています。火水風と生物を除く物質は使えば必ず減っていくのです。何故なら、生命のない物質 の中には創造の力はないからです。
 第三に「理」は時間・空間を超えた次元の存在です。言い換えると、理はあらゆる時間・空間に充満しているのです。それ故に、理は時間・空間に制約されず、どこでもいつでもはたらくことができます。つまり、理は物理的な次元を超えた未知のエネルギーといえます。それ故に、理は神の属性、神の力であり、神の守護にほかなりません。
 第四に、心身は同じ理によって活動している故に、相互に影響し合う関係にあります。人間の心だけが理を用いて創造する自由を許されています。そのかわり、理の世界から足を踏み外す危険性もあります。他の生物は心の自由がないために、すべて理のままに生きています。意識が及ばない体内の生理機能もまた理のままに生命の営みを続けています。その精妙な神の守護を妨げるのが、理に反した心遣いです。それは必要以上に過去や未来に執着する心です。理によって支配されている体の健康が循環や排泄によって守られているように、心も理の法則を守らなければ心身ともに健康を維持することはできません。
 もし理がなくなってしまったら、世界はどうなるでしょうか。すべての物質の構造はバラバラに崩壊し、循環が止まり、元の混沌とした泥海の状態に逆戻りするほかありません。もちろん理の集中した力のおかげで動いていた生物も原子に還元さ れてしまいます。創造のために必要な分子の分解と結合が失われ、新しい組立てができなくなるからです。それはちょうど核兵器の爆発で破壊しつくされた世界に似ています。人間が神から許された心の自由によって理を悪用した結果が核兵器であるとすれば、神の守護に感謝するどころか、神に向かって挑戦しているのが現代の文明といわなければなりません。
 重ねていえば、「よろづいさいのもと」となる理がなけれ世界も人類も無に等 しいのです。
 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<心のテープ>新陳代謝と夜行性タレント(05.2.03)には次のような記述がみられる。重複する面もあるが、念のためコピーすれば、

 最後に、ここで万物の原因となる「理」の定義づけを試みておきたい。
(1)理は時間・空間に限定されることなく宇宙に遍在する神秘のエネルギーである。
(2)理は質量ともに変化しない。したがって、永久に消滅することはない。
(3)理は、物質を原料としていのちを創造する働きである。また理は、心の理としても自由に働いている。それゆえ人間は、意識と思考によって新しい道具・機器を研究開発することができる。それ故に、理は心身ともに共通であり、同じ働きをもつ。但し、親神以外にはいのちあるものを創り出すことはできない。
(4)理そのものが火水風となって現れている。火水風は(2)の性質をもち、いのちを守護する根本の理となる。
(5)火水風を中核とする十全の理は、自然や心身を創造し守護するために、システムとして互いに協力(ひのきしん)し、誠真実の力を出し合っている。
(6)誠真実の心は理である。故に、いくら誠の心を使っても減ることはなく、使えば使うほど結果は大きくなっていく。これが天の理にほかならない。(05.2.03)

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 3年前(2007年)に刊行した『元の神・実の神』の「おわりに」でも、理の定義を試みている。最後の引用になるが、次の通り記している。 

 次に、これまで度々用いてきた「理」の定義づけを試みたいと思います。
* 理は時間・空間を超えて宇宙に遍在し循環する未知のエネルギーである。「理は神」という言葉もあるゆえに、神の力であり、神の守護にほかならない。
* 理は永久に変化せず消滅することはない。
* 理は〈いのち〉を創造する働き(機能)をもつ。また人間だけが理を自由に応用して新しい道具を創造することができる。それ故、理は心身ともに共通であり、同じ働きをもつ。但し、親神以外には〈いのち〉を創造することはできない。
* 理そのものが火水風となって現れ、根本の理となる。
* 月日(水と火)を中核とする十全の守護の理は、自然や心身を創造し守護するために、システムとして互いに協力(ひのきしん)し、誠真実の力を出し合っている。
* 誠真実の心は天の理である。故に、いくら誠の心を使っても減ることはなく、使えば使うほど「陽気づくめ」の世界が広がっていく。
 もし理がなくなったと仮定すれば、世界はどうなるでしょうか。
すべての物質の構造はバラバラに崩壊し、循環が止まり、混沌とした泥海の状態に逆戻りするほかありません。もちろん理の固まりというべき生物も原子に還元されてしまいます。否、その原子でさえ分解されてしまうに違いありません。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 自作文の引用はこれで終りとするが、原典「おさしづ」では「理」についてどのように啓示されているのか。もちろん私どもにとって、そのことが何より肝腎かなめであるが、ここで引用することは不可能なので、別の機会にでも是非確認して頂きたい。
 じつは私が作成した手書きおさしづ資料「理の研究:全6部」の内「第一部」の冒頭に、「理とはなにか」および「理の構造」について、おさしづの啓示を元としてまとめている。
 その「第一部」は<天刻サイト>に入力して公開しているので、この→「天の言葉」←をクリックするだけで目次が表示される。

 なお上記「理の研究:全6部」は、残部が少部数あるので、ご希望の方に特価でお分けしている。見本として「第一部」は、ご希望あれば無料で送呈している。詳細は「発行図書」をごらん頂きたい。

*次回はわが道を行く(その2)神人一体・身心一体の道を予定しています。
 
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Comment

ありがとうございました 

「心の理は散乱の道」、なるほど、その通りだと
思いました。ありがとうございます!
理を小さく解釈してきたのが、今の本部だと
いうことがよく分かりました。

おせちのおもちの話は、うわさとして聞きました。
でも、毎回並ばずに会場にそのまま入れました。
帰参者はひところより、かなり少なくなっています。
  • posted by 大工 
  • URL 
  • 2010.03/09 22:14分 
  • [Edit]
  • [Res]

「心の理」だけは別 

教会では「心の理」あるいは「人間心の理」だけを強調して説いてきたことは事実です。人間だけに自由を許された故に「心の理」は「ほこり」を発生し拡大します。善悪両面をもつ「心の理」については「おさしづ」をもとに「第一部」で詳しく考察していますので、ぜひ一読して下さい。一例を挙げますと、
「多くの中には善き理もあれば悪しき理もある。心の理は散乱の道、散乱の理が根という。よう聞き分け。一つの理を治めずして、理をば計ったか、事情治めずして事を計ったか。……」 (31.4.13)
「善き事は善き事、悪い事は悪い事、皆理ある。理あれば理が回る。……」 (31.4.20)

それから「おせちのお餅」のことですが、余ったおもちを「処分された」といっても、まさか捨てられたのではないでしょうね? 今年は
東礼拝場でのお餅の下付が2日間で終わったので、残りが少なかったのかと思っていたのですが・・・。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.03/07 20:05分 
  • [Edit]
  • [Res]

天理教の「理」 

みさと先生
理について詳しい説明ありがとうございました。
繰り返して読ませて頂きました。

理が万物の原因であり、時空を越えた宇宙のエネルギー
であり、また火水風の十全の働きであるとすれば、
本部や各教会で諭しているあの因縁の理
のような教理はいったい何なんだろうと思います。

理は広大無辺、すべての人間にとっての親神の恵みだ
とすれば、もう狭苦しい「天理教ワールド」はほとんど
何の意味もないことが分かりました。

話は変わりますが、本部のおせちは年々人が少なく
なっています。各直属に当てられたおせち券も全部
使わないといけないというので、詰所から何度も
行きましたが、大量に余ってしまいました。

余ったおもちなど、ずいぶん処分されたと聞いています。
本当にもったいない。 信者の実数で作るか、
大事に取っておいて被災地などに廻せばいいのに。
  • posted by 大工 
  • URL 
  • 2010.03/07 15:23分 
  • [Edit]
  • [Res]

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