ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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わが道を行く(はじめに)

(はじめに)

 思うところあって、標記のテーマで何回かに分けてまとめてみたい。但し、初めて文字にするのではなく、今まで著書やネットで発表してきた内容を、読者諸賢および私自身に対して再確認することを目的としている。

 私の出発点は一昨年(2008年)10月に作成したレポート「天理教の歴史と現実=信仰の自立に目覚めよう」の次の部分を再読して下されば、推察して頂けると思う。少々長くなるが、その部分を次にコピーしておきたい。
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 今までのところ教義学者や教会長によって研究され引用されてきた「おさしづ」は、主として「伺いさしづ」の一部であって、「刻限さしづ」の歴史的・体系的な研究は殆どなおざりにされてきたと言わねばなりません。
 したがって、現在に至っても「刻限さしづ」の内容は、その九牛の一毛しか知られていないと申しても過言ではないのです。
 
 かく申す私は、35年前の昭和48年に事情教会をお預かりするに当たり、自分の出発点として「おさしづに啓示された理の研究」と題する全6部の手書き資料を作成しました。
 ここでその体系的構成を説明することはできませんが、天理教の過去・現在・未来を見通されている「刻限さしづ」の一端を紹介したいと思います。(カッコ内は筆者の補足部分)
 
「ぢば証拠人間始めた一つの事情、かんろうだい一つの証拠雛形を拵え。今一時影だけのものと言うて居るだけではならんから、万分の一を以て、世界ほんの一寸細道を付け掛けた。……(中略)……天理教会と言うて、国々所々印を下ろしたる。年限経つばかりでは楽しみ無いから、一時道を初め掛けたる。神一条の道からは、万分の一の道を付けたのやで」(明治30.7.14)
 ここで「万分の一」と言われている神意が今も変りないとすれば、その理由は何かと思案しますと、
(1)「理」という言葉を「万分の一」の狭い意味にしか受け取っていないこと。  
(2)元はじまりの過去から世界一れつまでの長く広い時間・空間に比べると、人間は「万分の一」ほどの偏狭な意識しかないこと。
(3)教祖ひながたや教理の「万分の一」しか分からず広めていないこと。「世界たすけ」とか「この世治める」という立派なスローガンに比べて、教会の目的があまりにも小さく、かけ離れていること。

「さあ/\遠からず(往還の)道見える。遠からず(神一条の)理が分かる。遠からず分かる事知らずして、応法世界の理に押され/\、だん/\根気尽くし罪重ね、心一ぱい働き(をしても)、働き損になってはならんで。これをよう聞き分け。一日の日を以て尋ねた理のさしづ(を棚上げして)、(道が)栄えると思うか/\、栄えると思うか。さあ/\栄えるか。栄えると思えば、大いに取損ない」(明治34.2.4)
 この神示については説明するまでもなく神意は明らかでありましょう。まさに天理教の現状を預言されたものと受け取ることができます。
 事実、明治の末から大正にかけて、最盛期の教勢と比べると、信者数は多く見積もっても10分の1になっています。それどころか「ようぼく講習会」が全国各地で開催されても参加者は30万人前後に止まり、「天理時報」の発行部数が12万部前後というのが実質的な数字のようです。
 現在、教会につながっているようぼくは、いわば生き残りだからこそ貴重な価値と役目をもつ存在であり、親神様・教祖から期待されていると再認識し、使命を自覚することが必要ではないでしょうか。(後略)

(全文は「天理と刻限」サイトの表紙目次に表示しています)
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 以上に謹写したのは、まことに厳しいさしづであるが、私の半生は、この啓示の答えを見出すことにあった。いわば、生涯をかけて誰も通らない道をを走りつづけるマラソン・ランナーのようなものであった。そのためには、一教会の繁栄や家族の理解は望めなかった。私は学者ではないから、生活も研究費も保障されていなかった。ただ出発の時点から、天の言葉である以上、必ずゴール(答え)はある、と信じていた。
 
 といって、脇目もふらずゴールをめざしてマラソンを走りつづけたわけではない。時には立ち止まって休憩したり、ゴールを見失ったこともある。観客も報酬もないマラソンを続けることに価値があるのか自分の生きざまに疑問を抱いたこともあった。
 今年の年頭にブログ「わが人生逆転の日」にも書いたように、私の提出した文書が本部集会をまきこんで大騒動になったこともあった。
 その中でただ一人、古くからの教友・岩井猛氏は、私の目的を達成するため作成した文書の主旨を理解し応援してくれた。印刷する前に幾度となく原稿を熟読して助言を与えてくれたこともある。こうしてまとめた原稿は、数少ない協力者や読者のおかげで本にすることができた。
 
 時あたかもIT革命によるネットの普及が進み、印刷・出版の経費をかけずに誰でも文書を発表する機会が広がった。この情報革命によって、人間の心を一れつ「ろくぢに踏み均す」神意を実現するための道具が与えられた、と私は有難く受け取った。
 私にとってはHPは願ってもない道具であった。ここ10年の間に、おそらく本にすれば10冊以上のコンテンツを更新し保存することができた。とはいえ、名の知れた出版社か研究機関から公刊された文献とは違うから、単に好き勝手に発表した情報としか受け取られないのは致し方ないし、10年後の評価に望みをかけるしかない。

 とはいえ、一昨年の秋に、勧められて自費出版した『元の神・実の神』は、幸い「めいらくスジャータ」の創業者・日比孝吉氏の評価を受けて、修養科を修了した社員1000名に配布するため購入して頂いた。また推薦の言葉として「50年かけて真実の理をまとめられた『元の神・実の神』は、どなたでもわかるよう、平易に書かれた貴書である。修養科を修了されている方にとっては、有益な手引書、座右の書となること間違いない」と評価して頂いている。
 そろそろ、今までに走って来た道のりを振り返って、時々の記録を整理し、次のランナーにバトンタッチする準備をしなければと思っている。

 それにしても教祖ひながたを想えば、私はどれほど恵まれ守護されているか計り知れない。教祖は次々とわが子に先立たれ、高山の迫害を受けられた。4畳と8畳二間のご休息所に住まわれながら、最後まで平穏な日はなかった。80歳を越えてからの10年は、まさに嵐の日々であった。
 ひながたの道から申せば、私もこれから厳しい刻限を迎える覚悟をしなければいけない。
 
 次回は わが道を行く(その1)万物の元となる「理」 についてまとめたい。
 
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Comment

「革新」は不適切でした 

よう木”さん みさとです。

指摘して頂いて気がつきました。
「革新」という表現は確かに不適切でした。

戦争中の宗教統制に対処する応法のために「革新」が打ち出され、宣教所や布教所を廃止して、200余りしかなかった「分教会」を一年のうちに1万カ所以上に増やしたのでした。

いっそ分教会に格上げしたのなら、上級とか部下をなくして、全部本部直属に「ろくぢ」にしたのなら、本当の実質的な「革新」になったのに、同じ分教会という呼び名でありながら、それ以後、千差万別の上下関係が固定化されてしまったのです。

ですから、もし期待できる人材があるとすれば、「教祖派」あるいは「復元派」と呼ぶのが最適でしょうね。
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.02/26 20:51分 
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  • [Res]

革新について 

 まったく同感です。教祖様の望まれる陽気づくめの世界とは程遠い現状ですね。
 ところで天理教における「革新」とは終戦までのかつての応法の道のことと理解しています。ここでは教祖派もしくはおつとめ派あるいは復元派と表現したほうがよりふさわしいのではないかと思われます。
 ご一考願えれば幸いです。
  • posted by よう木"(木に濁点) 
  • URL 
  • 2010.02/25 12:56分 
  • [Edit]
  • [Res]

励ましに感謝 

どこにも引用されない「おさしづ」を根拠にあんなことを書いて、誤解されても仕方ないと思っていましたので、理解者があることを知って、安心と共に大いに意を強くしています。
昔も今も、おさしづ(特に刻限さしづ)を勉強していると言えば、変わり者扱いされ、大教会では話が通じなくなるのが現実です。

それにしても部内教会も自立する意志がなく、上によく思われたい気持ちばかりで情けない状態です。神がめどうではなく、人間関係ばかりを大事にする状態に陥ってしまっています。本部も系統も「嘘と追従」がはびこっているのです。

一方、大教会長を全面批判するのも行き過ぎかも知れません。中には「親の代わり」「親の役」を勤めるよう努力している会長もあると思いたいのです。そうした革新派の直属教会長が実在して、かなめ会を動かす位の力を結集すれば期待できるのですが、ムリというものでしょうか。

天理大学の恩師を信じている方には申し訳ないですが、天刻サイト内の「宗教学科への公開質問=天理教学の展開を求めて」のうち、深谷忠政「教会論序説」に対する批判を一読して下されば、より詳しく教会の本質を理解して頂けると思います。
http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/shiryou/kyogaku-index.htm
  • posted by みさと 
  • URL 
  • 2010.02/24 21:36分 
  • [Edit]
  • [Res]

期待しています 

万分の一の「教会」制度のために
どれだけ多くの信者たちが苦しめられ、
どれだけ多くの人が入信をためらってきたか、
考えるだけでも絶望的な気持ちになります。

信仰のための教会ではすでになく、
教会のための教会でももはやなく、
いまや大教会長のための教会。
こんな教会など、はっきりいってないほうが良いです。

おさしづから徹底的に説き起こす、
みさと先生の教会論はたいへん力強く、
励みになります。

天理大学宗教学科は完全に沈黙状態。
生き残りようぼくの一人として、みさと先生の
教学がいつの日か教内の主流になることを
心から願っています。
  • posted by 大工 
  • URL 
  • 2010.02/24 12:32分 
  • [Edit]
  • [Res]

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Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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