ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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なぜ脱原発に沈黙するのか?

 マレーシアのマハティール・モハマド元首相は、雑誌に寄稿した文章の中で、秩序を保って黙々と被災地の後片付けをする日本人の姿に賛辞を送っていた。泣きわめく人々は殆どいないし、パニックによる二次被害もない、と。
 3・11大震災に際しては、ボランティアによる災害救援や義援金も、国内外を問わず積極的に集まった。
 ボランティアの面では、ひのきしんの伝統をもつ天理教は、全国各教区に常設している災救援隊を動員して、延べ二万人に近い隊員を現地に派遣し、人の嫌がるような作業を積極的に実施して被災者に喜ばれたと報告されている。(平成23年9月現在)
「ひのきしん」の初めての実践者は、大工棟梁であった飯降伊蔵様に始まっている。つまり、妻おさとの産後の患いをたすけられたお礼に伊蔵が実行した無償の奉仕が始まりであった。伊蔵は毎日のように中山家の屋敷に通って、一人でコツコツと「つとめ場所」のふしんを完成された。その誠真実の行いは、後々まで教祖の受け取るところとなり、信者の手本と敬愛された。

「ひのきしん」については、現パナソニックの創業者であり、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助氏のエピソードをご存じの方も多いだろう。幸之助氏が知人の誘いを受けて現天理市の天理教本部を訪れたのは昭和七年のことであった。その時、嬉々として回廊を磨いている信者に、
「床磨きの報酬はいくら?」と松下氏が尋ねたところ、
「お金の問題じゃありません」との返事に驚いて、(報酬なしで、何故あんなに熱心に仕事できるのや)と大いに感銘した。そして、企業は商品を売って儲けるだけが目的だけではなく、働く人たちが社会に貢献する生きがいを感じることが大事と悟り、天理市を訪れた日を「命知元年」として「創業記念日」と定め、今もこの日には記念式典が催されている。
 但し、野田首相、前原誠司はじめ松下政経塾出身の政治家たちの「上・高山」から発する言動には感心できない。谷底の民衆と共に生きた教祖の真情を、もっと感じ取ってほしいと思わずにいられない。

 義援金について言えば、教祖は明治の初めに 難渋な人々への施しに徹した生きざまを実行してみせている。その行為は施しの域を越えて、自ら貧しい民衆と同じ無所有の生活を送るまでに徹底していた。そうした羽目を外した施しのために、近隣の人々からは貧乏神にとりつかれたと嘲笑されたり、隣人としての付合いを拒まれたりしたほどであった。
 しかし今となっては、教祖の行為を非難したり排除する日本人はいないだろうし、むしろ世に先駆けて差別をなくし福祉を実行した先駆者として賞賛されるに違いない。

 今度の大震災を通して、たしかに日本人は高い評価を受けた。努力を美徳とするDNAをもつ日本人に学べ、との声も広がっている。但し、それは日本の民衆に対してであって、政治家、エリート官僚や東京電力の幹部に対してではない。
 忘れてならないのは、この福島原発の爆発事故は、明らかに人災である故に、世界で唯一の被爆国であった日本は被害国ではなく加害国の立場になったという現実である。
 2011年6月10日、作家の村上春樹氏は「日本は核にノーと叫び続けるべきだ」と語ったニュースが伝えられた。村上氏は、スペイン・バルセロナで前日に、人文科学分野で功績のある人物に贈られる「カタルーニャ国際賞」を受賞した。その受賞後に「非現実的な夢想家」というテーマでスピーチを行った。このなかで、日本の原子力政策への批判に多くの時間を割いた。
「福島の原発事故は、日本人が歴史上体験する2度目の大きな核の被害。しかし、今回は、誰かに爆弾を落とされたわけではなく、日本人自身がお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を汚し、自らの生活を破壊している」と指摘。「日本人は核に対し、ノーを叫び続けるべきだった」と語った。

 原発は仮に事故がなくても、稼働しているだけで「神のからだ」(自然環境)を汚染し続けている。核分裂反応で発生した高熱の2/3を海へ捨てるために、原発一基あたり海へ排出する熱湯は毎秒70トンに上るという。
 さらに使用済み核燃料の捨て場がない。すでに広島型原爆80万発分の核燃料がドラム缶70万本に詰めて積み上げられている。すでに移動する余地のない使用済み核燃料は、原発建家内のプールに入れて、常に水を循環させて冷やし続けるしかない。そんな原発がクリーンエネルギーと言えるだろうか。
(注)12日夜のテレビ報道番組では、青森県六ヶ所村には低レベル放射性廃棄物26万本、再処理による高レベル廃棄物2800トン(プールの95%)が溜まっていると説明があった。高レベル放射性廃棄物は今後10万年以上保管しなければならないという。

 過去の歴史を振り返るとき、「上・高山」だけが主役となる時代は終わり、今ようやく民衆が主役となって歴史をつくっていく時代が到来したと思われる。けれども油断はできない。今も「上・高山」(横暴な権力者)は巧妙な情報操作によって民衆を惑わし支配しようとしているからだ。
 かつての戦争で、「上・高山」の軍国主義政府から強制的に戦場へ駆り出されたり、内地で空襲を受けて命を落とした国民は310万人に達した。このたびも原発推進のために「原子力の平和利用」とか「経済発展のために必要で安全なクリーンエネルギー」と宣伝し、自然エネルギーの開発を抑圧し、反原発の学者を排除した国策を立て、莫大な原発予算をバラまいた「上・高山」(権力をほしいままにするグループ)が招いた結果であった。いま、福島はじめ東北の住民たち、とくに幼い子どもたちが犠牲となって、放射能汚染のために故郷を追われ、先の見えない不安な生活を送っている。一つ間違えば、どれほどの犠牲者が出るかもわからない状況である。

 教祖は「上・高山」を「ろくぢ」(平らな地)に踏み均すために最後まで時の権力に従わず、18回も警察や監獄に拘留されながら、神一条の道を貫かれた。今では政府の国策に異を唱えても身柄を拘束されることはない、にもかかわらず、政治や法律の問題になると、「天理時報」がノーコメントを決め込んでいるのは理解できない。「律が怖いか、神が怖いか」の問いかけは現代の問題でもあるのだ。
 ましてや天理大学付属おやさと研究所の機関誌は、深谷所長名で原発賛成の巻頭言を連載し続けていた。あまりのことに私は抗議のメールを投稿したが、全くナシのつぶてであった。わずかに「天理教平和の会」(長谷川俊夫代表)が「脱原発1000万人署名運動」に協力している。

「この世治める真実の道」という言葉はあまりにも現実から遊離しているので、さすがに最近は聞かれなくなった。一方、仏教各派はさかんに脱原発の動きを見せ、新聞にも取り上げられている。例えば11/3付朝日新聞には、
「仏教界も物申す/原発依存脱却宣言・シンポ開催」として、真宗大谷派や臨済宗妙心寺派、永平寺などの動きを紹介している。
 先日、奈良市内のお寺で開催された原発講演会では。福井県敦賀にある危険な原子炉(高速増殖炉)に「普賢」「文殊」などと菩薩の名前を勝手に付けたと怒りを表している僧侶もあったが、当然の態度だろう。
 政府や官僚や東電幹部の無責任な言動に対して、日本の民衆が怒りを表さないことを外国では不思議に感じているそうだが、ご尤もと同感したくなる。教祖は決して時の政府や国策に従順であったわけではない。
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貴方は本質を知らない 

僕も天理教です。
なので、コメントさせて頂きます。
失礼ながら貴方の考えは安易です。
僕はいいます。
よく聞く「ゼロベース思考」の意味は、「固定観念や既成概念にとらわれることなく考えましょう」というもので、僕は知識と思考の分離と称して同じことをいつも言っています。
ですが、「ゼロから考える」という思考手法には、もうひとつ重要な側面があります。
それは、「既存制度を前提とせずに、あるべき論(あるべき姿)を考えよう」というものです。
たとえば税制について考える時、「消費税が低所得者に不利というのはホントなの?」と考えるのが前者です。
「消費税は逆累進的だから低所得者に損な制度」というのは“常識”らしいので、それに「ほんと?」と疑問を投げかけるのは「固定観念や既成概念に疑問をもつ思考」です。(これはこれで重要です)
一方、「既存制度を前提とせずに、あるべき論を考える」というのは、「自分は、そもそもどういう税制が望ましいと思っているのか」と考えることです。
たとえば「税金なんて一切不要」というのもひとつの考え方です。この人は「税金のない社会」(=国家というものが成立する以前の原始社会みたいな?)を「あるべき姿」として唱えているわけです。
他にも「税金は消費税一本でいい!」という考え方もあるし、「収入全部、国家が召し上げて必要に応じて配分すべし!」という考えもありうるでしょう。後者は税率100%であり、共産主義的な制度となります。
これらの「あるべき姿」には“現実性”はありません。だからといって「あるべき姿を考えること」に意味がないわけでもないのです。
現実を離れもしも、なんの移行措置も考える必要がなく、かつ自分が全権をもっていたら、どんな制度にしたいか?について考え、それを語れば、その人が目指す方向にどんな世界があるのか、明確になります。そしてそこから、その人の制度設計の思想を読み取ることができます。
たとえ現実的には「現状の制度をどう修正するか」について議論する場合でも、議論する人がそういった「自分なりの基本思想」をもっていることはとても重要です。思想のない人に制度設計をやらせると、話があっちゃこっちゃにぶれ、常に足して二で割る結論になってしまうからです。
僕は、みんな「自分の本丸」についてくらいは、一度、最低でも1日くらいかけて「あるべき論」を考えておくべきと思っています。

原発とは何かよく考えてみて下さい。
  • posted by TAKE 
  • URL 
  • 2011.12/13 11:02分 
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植田義弘

Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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