ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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教会は「一寸気休みだけに許してある」

 はじめに了解して頂きたいことがある。このブログで引用するおさしづは、恐らく読者は今まで一度も見たことも聞いたこともない内容ではないかと推察できる。しかし、決して私が「おさしづ」を捏造しているわけではない。
「おさしづ」は、個人の身上・事情について伺う「伺いさしづ」と、世界や国や道全体に関わる緊急の事情を知らされた「刻限さしづ」の2つに分類される。「刻限」とは「神の予定(スケジュール)」とも言い換えられる日時のことで、殆どの「刻限さしづ」が真夜中に突如として本席に神が入り込む超常的現象が起こり、当番の青年があわてて呼びに回って起こされた本部員が揃った場で啓示が始まる。その筆記録が「刻限さしづ」に他ならない。その中には、見えん先の預言として5年10年100年先のことを知らされている「刻限さしづ」も含まれている。

 従って、一個人に限定される「伺いさしづ」よりも、本部全体・道全体に関わる「刻限さしづ」のほうが重要であることは申すまでもない。「刻限」には、前述した見えん先の預言をはじめ、「鏡やしき・ぢばの理」「神一条の道」教会・異端・天啓継承などの「事情」など最重要な内容が含まれているにもかかわらず、今まで「おさしづ」の研究論文や著書を公表した天理大学の学者にしても、本部員先生や教会長にしても、まともに「刻限さしづ」を取り上げた人は誰一人としていないと断言してもよい。
 なぜ「刻限さしづ」を棚上げするかという理由は、私が推測するところでは、当然その啓示の内容は、教団の歴史や組織制度と密接に関わっていて、本部や教会の上層部にとって都合わるいことが含まれている故に、「触らぬ神に祟りなし」で、遠慮気兼ねや追従の人間心が優先するため、とか考えられない。(以下、小著『教祖ひながたと現代』より引用)

 これまでは、教祖が定命を縮められた理由として「こども可愛い故」という「おさしづ」の一節だけが強調されてきたが、その他にも「余儀なく(仕方なく)かくれた」「思わく立たんから、扉開いた順序(に)なりたる」「どうもならんから身をかくれたのや」などの厳しいお言葉がいくらでも記録されている。
 要するに、をやの残念を感じないままに、親に甘えているだけでは成人していないと言われても仕方がないであろう。
(注)実際に明治三十三年九月九日(陰暦八月十六日)夜九時頃の「刻限さしづ」に、
「この道という、道に理がありゃこそ(成り立っている)。良い物貰おう/\というは、三才児(みつご)と言う。子供と言う。無理無き事や/\。親に添うてるも同じ事/\。何とも親から(見れば)三才児同様。」

 その他にも、明治20年以後の道について「をやの残念一つの道を通る理」という「おさしづ」も出ている。
 同様に教会設立についても「おさしづ」で快く許されたかのように解釈されているが、本当は微妙な表現で、一時的にやむを得ず見許されたと受け取るべきであろう。当時、教会を設置することは同時に神道本局の配下に入ることであったが、そのことを「おさしづ」では「世上の道」「人間一条」「世界の運び」「余儀なき道」「表の道」と呼ばれ、それに対して教祖ひながたの道を「神一条」「甘露台一条」「一つの理」の道、あるいは「誠の道」「胸の道」「刻限の道」「裏の道」と呼んで明確に区別されている。
 例えば、教会設立に関連して次のような啓示がある。(カッコ内の補足や傍線は筆者による)
◎「今の楽しみ先の細道、今の細道、先の楽しみ。先の道を見ているがよい」(M20.10.26)
◎「人間は(天理教会という)世界の道を選ぶ。判然と定まりて定まろまい。(教会は)世界の理や。神一条の理というは、難しいてならん。その難しい中から出けて来てあるものや。世界の理と神の道と比べて見て、又々そろ/\と世界の理で通るで分かる/\。その日/\の風が吹く。又分かる/\。世界の事情分かる。人も更わる、道も更わる」(M21.4.22)
◎「世上の道 皆 世界にある。世界にあるものなら要らんものや。なれども長い道やで、一寸許してあるのや。これから神一条やで」(M21.6.3)
◎「世界の道に押されるから細々道許した。振り変わると、ころりと変える/\。神一条の名揚げ、一つの細々の日、早く、理を早く直せ。」(M21.6.8)
◎世界の運び、一寸気休みだけに許してある」(M21.6.15)
◎「本部や仮本部や。これで一寸苦が遁(のが)れた。運ぶ処を運ばずして、これで安心、何も安心(ではない)、成って成らん」(M21.6.21)
◎「世界の道は、神の道と皆間違うてある」(M21.6.23)
◎「世界中、さあ/\どんな事も間違う/\。どうでもこうでも待ち兼ね、さあ/\年限待ち兼ね、人間心間違うて了もた。余儀なき道を通る」」(M21.12.11)

 以上はほんの数例にすぎない。たしかに教会設置を「一寸許してあるのや」「一寸気休みだけに許してある」という言葉はあるが、それはあくまで一時の応法の姿であった。
 教会が「応法の道」として始まったことは明らかな事実である。最初は神道直轄の六等教会として認可され、神道本局に従属していた。当時の教会設立願書は神道教規に則り、初代真柱の署名の後に必ず「神道本局管長 稲葉正邦」の署名・捺印がなければ政府から認可が下りなかった。(因みに奈良県立図書館の書庫には、昭和60年当時、明治・大正時代の願書原本が保管されていた。なお、上記の「おさしづ」が、教祖のおかくれになった翌年の明治21年に集中しているわけは、神道配下の六等教会設立の運動を進めた結果、認可を受けた年に当たっているからである)
 明治30年当時、すでに全国に300万以上の信者を数えるほどの教勢であった頃、次のような「刻限さしづ」が出ている。
◎「ぢば証拠人間始めた一つの事情、かんろうだい一つの証拠雛形を拵え。今一時影だけのものと言うて居るだけではならんから、万分の一を以て、世界ほんの一寸細道を付け掛けた。(中略)天理教会と言うて、国々所々印を下ろしたる。年限経つばかりでは楽しみ無いから、一時道を初め掛けたる。神一条の道からは、万分の一の道を付けたのやで」(M30.7.14)

 さらに、一派独立運動のため神道本局に交渉を重ねていた頃の「おさしづ」の中で、「応法の道」についての次の「刻限さしづ」を拝読すれば神意は明らかである。
◎「応法というは、どういう事と思うやろ。この道という元々願うてどうするのやない、頼んでするのやない、と、古い諭にもしてある。成らん処、余儀無くほんの腰掛けという理に許したる。これから思やんすれば、応法という理は分かるやろう」(M32.7.7)

◎「さあ/\遠からず(往還の)道見える。遠からず(神一条の)理が分かる。遠からず分かる事知らずして、応法世界の理に押され/\、だん/\根気尽くし罪重ね、心一ぱい働き(をしても)、働き損になってはならんで。これをよう聞き分け。一日の日を以て尋ねた理のさしづ(を棚上げして)、(道が)栄えると思うか/\、栄えると思うか。さあ/\栄えるか。栄えると思えば、大いに取損ない」(M34.2.4)

(以上『教祖ひながたと現代』87~91頁より)

◎次回は、戦後「応法の道」は逆転した


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  • 2011.09/14 02:41分 
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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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