ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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教会制度は戦時中70年前に「革新」されていた

 毎日移り変わる天気と同じように歴史を受け取るのが日本人の特徴といわれる。
 1ヵ月前の天気は雨だったのか晴だったのか覚えている人はいない。また1ヵ月先の天気を心配したところで意味はない。大風大雨の自然現象を変えることはできないし、過ぎ去った嵐は忘れて、今日の晴天を喜べばいい。
 ところが、人間の営みで変化する歴史は自然現象ではないゆえに、過去をふりかえって反省し、間違いを正さなければ進歩はない。最近になって、そうした実例を天理教の歴史の中で再確認する必要を痛感している。歴史に無関心な日本人の代表が天理教人に違いないと断定せざるを得ない証拠があるからだ。
 
 そのきっかけは、10年以上にわたり無担任の分教会が500ヵ所以上実在しているという情報であった。無担任とは会長不在で、宗教法人法では代表役員がいない状態を意味している。仮にその会長不在の年限を5年か3年に縮めると、事情教会数は数倍になることは間違いない。
 また7月の修養科修了生は、2ケタの数字(90数名)であったという情報も耳にした。これらの現実は、明らかに教会制度の歴史に一因があると、私は判断している。
 すなわち、こうした現状の因って来たる原因は、70年前の戦時中にさかのぼることができる。天理教は教会なしに成り立たないにもかかわらず、天理大学の学者先生が教会史の研究論文を発表したと聞いたことはない。高野友治氏の名著『天理教伝道史』は教会史ではなく、初代の道すがらしか扱っていない。ただ一人深谷忠政氏は、ずっと昔に『天理教教会学序説』を著したが、「序説」だけに終わり竜頭蛇尾の内容であった。
 そこで、13年前に発行した小著『教祖ひながたと現代』の中で、教会の変遷にふれた部分を再録せずにいられない気持ちになった。私はこの本の元となる文書を本部に提出した結果、各教区を代表する全集会員に配布されたのだが、当時の森井敏晴主査室長から「異端に近い内容」と反対され抹殺された。おそらく70年前の歴史的事実に触れた資料は他にないので、同書の中から引用することにしたい。この本の読者は今一度、内容を思い出して頂きたい。未読の方は、今まで聞いたこともない事実に驚き呆れるに違いない。

ここで、本席のさしづに導かれていた時代、教祖が現身をかくされて10年後の明治29年末の教勢一覧を参考までに記すと、信徒数313万7千113人、教師数1万9千61人、分教会17ヵ所、支教会185ヵ所、出張所484ヵ所、布教所392ヵ所となっている。従って信徒数を分教会数で割ると、分教会1ヵ所につき19万人近くの信徒が所属していたことになる。当時の教師(今の教人)数を2万人として計算すると、教人1人で150人以上の信徒を入信させたことになる。これらの統計は、今では想像もつかない数字である。
 その後も明治の終わりには信徒数5~600万人となり、当時の人口比率からみて日本国民の10人に1人は天理教信者になっていた時代があった。

太平洋戦争直前の昭和15年に至って、当時の政府は「宗教団体法」を制定・施行した。その目的は、天理教に限らずキリスト教・仏教などの教団各派を統合し、国策に沿って統制を強めることにあった。本教においても、その法律に応じるべく1年間の準備期間を経て「天理教教規」を新たに制定し、それを「革新」と呼んで教内全般に周知徹底することとなった。
 この「天理教教規」の全文は『みちのとも』昭和16年5月号に掲載されている。続いて同年7・8月号に連載された「天理教教規解説」によれば、「宗教団体法」では教派と教会は宗教団体と認められるが、布教所(宣教所)は宗教団体とは認められず、その取扱いは全く別個のものに扱われる、と説明されている。その法律に応じるため、「革新」の名のもとに海外教会を除いて5段階に分かれていた制度を大教会・分教会の2段階に整理統合されることになり、「教規」の発布とともに実施することになった経緯が述べられている。
 当時の『みちのとも』毎号巻末に掲載されている教勢統計をみれば、それまで全教で232ヵ所しかなかった分教会が、法律に応じるため一挙に1万1千696ヵ所に増えていることが分かる。
 教勢統計に見られる通り、1万ヵ所以上あった支教会・宣教所がすべて無差別に分教会に昇格したことになる。そのこと自体は止むを得ない措置であったかも知れないが、同じ分教会という呼称でありながら、その実質は千差万別となり、直属ー部属(上級ー部下)の関係が固定かされたまま現在に至っているのが実情である。中には大教会までの間に、いわゆる中間教会が3つも4つも介在するような分教会もある。このように同じ分教会という呼称でありながら、二代三代以前に入信した時の「理の親子」関係が後々の代に至るまで継続していくことになる。
 全教会数1万7千余の内、平成9年4月現在、159ヵ所の大教会を除く1万7千近くの教会がすべて分教会と呼ばれることは、名称からすれば一見平等であるかのように錯覚される。しかし、実はいかに末端教会がさかんであっても、何代か前に上級教会に所属している以上、「理の親」を立てて部下に甘んじることが当然とされる。こうした名と実が矛盾する教会制度が教会の活性化を阻害し、布教意欲を低下させている一因となっていることは否定できない。
 関根豊松・愛町初代は、教会はたすけ場所であって、生活の保障を受けるためのものではないとの信念を貫いて部内教会を設立しなかったと伝えられている。
 戦時中に教会制度の「革新」が実施されてから僅か5年後の昭和20年、敗戦とともに二代真柱によって「復元」が唱導され、原典にもとづく教義が編纂され、新たな『教典』が公刊された。『おふでさき』『おさしづ』などの原典も復刊された。『みかぐらうた』は削除されることなく「十二下りのてをどり」がつとめられるようになった。それまでの教導職には神道に倣って多くの位階が制定されていたが、その位階だけは廃止された。しかし、階層的な教会制度は復元から取り残されたまま現在に至っている(以上『教祖ひながたと現代』80~83頁より)

 長い引用になったが、念のために補足すると、宣教所・布教所を全部分教会の呼称にするのなら、その機会に全部一れつ平等に本部あるいは系統の直属に変更すれば、仮に応法のためであっても、それこそ「革新」の名に価する制度になったと思われる。
 あらゆる組織制度において、「分教会」という同一の名称でありながら、何段階もの違いを固定化するような不合理な組織は、他にどこを探してもあり得ない。
 戦後のある時期、元の宣教所・布教所・出張所に戻すべきという意見が『みちのとも』誌上にも堂々と発表されていたが、そのうち過ぎ去った嵐のように忘れられてしまった。が、この戦時中の統制に従った制度が、計り知れないほどの大きなマイナスの影響を及ぼし続けた結果は、いずれ明らかになる時が来るだろう。

 次回は原典「おさしづ」に基づいて「 ”教会名称の理は末代" のウソ」 について明らかにします。


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Comment

中山家は教祖に背いた「ひながた」 

この道は教祖の天啓を信じる道であって、血統を信じる道ではありません。事実「教祖伝」を拝読すれば、秀司様はじめ初代真柱様にしても教祖の教えに外れた言動がいっぱいあります。「おふでさき」の第一、第二号は、秀司様(教祖の長男)に対する厳しい警告のおうたが大部分を占めています。
天啓の継承者・飯降伊蔵本席様の「おさしづ」には、「神一条の道には親族は無い」(M23.6.21)「このやしきでは親族の理では、世上救ける事が出来ん」(M24.1.28)と啓示されています。
本当は原典研究会員用の資料「鏡やしき・ぢばと人間の責任」を一読して下されば納得して頂けるのですが。
中山家代々は、教祖の天啓に背いた人間の道を通ることによって、他のようぼくに注意を促す役目を果たされているともいえるでしょう。(中山家の血統につながる女性自身が、かつて同じ意味のことを文章で発表されたことがあります)
  • posted by みさと 
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  • 2011.09/10 20:30分 
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No title 

先生有難うございます。一般信者としては、教祖の血統である真柱様を最後の望みと思っておりました。やはり、血統と魂は違うんですね。これからは、三原典意外天理教は信じません。
  • posted by kyo-ya 
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  • 2011.09/10 18:52分 
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kyo-yaさんへ  

「真柱様は制度を変えたいと思ってるのに、本部員など役員がそれをさせないでいるように思いました。」と書かれていますが、それは違うと思います。今の真柱様は人の意見を聞いて自分の思いを変えるような方とは思えないからです。第一、人の意見を聞こうとする気がないので、まわりは何も言えないと聞いたことがあります。しかも末端の教会やようぼくの意見に耳を傾ける気があるとも思えません。本当に真柱様が組織制度を変える意志があるのなら、周りに遠慮せず実行できるはずで、それくらいの強さがなければ真柱の役目は果たせないでしょう。

次に「教団の中に上高山が出来ているのではないでしょうか。教団が、ろくじにならないのに、世界がろくじに成るのでしょうか?」というご意見ですが、これには全面的に同意いたします。「一れつ兄弟姉妹」のパンフをいくらポストに入れても、教内が「きょうだい同様」になっていなければ、ウソになりかねません。世の中へにをいがけする前に、自ら教えを体現しなければ理は成り立たないのは当然です。逆に申せば、今の世の中にまだ「上・高山」がはびこっていて「ろくぢ」になっていないのは、おぢばの理が世上の鏡に映っている姿ともいえるでしょう。
  • posted by みさと 
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  • 2011.09/09 21:17分 
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No title 

立教171年12月号のみちのともに、秋季大祭神殿講話の中で 「教団の組織や規約のあり方は、教祖から直接お教えいただいたものではありません。社会的に要請されたものもあれば、それぞれの時代に応じて、教団としての活動がしやすいようにと取り決められたものもあります。もし、そこに本来の活動を妨げたり、時代にそぐわないものがあるようなら、見直し、修正することも考えなければならないでしょう。しかし、それにつけても、肝心なのは信仰する者の中身であり、信仰信念であります。」 とあります。
真柱様は制度を変えたいと思ってるのに、本部員など役員がそれをさせないでいるように思いました。教団の中に上高山が出来ているのではないでしょうか。教団が、ろくじにならないのに、世界がろくじに成るのでしょうか?
  • posted by kyo-ya 
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  • 2011.09/09 18:41分 
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補足します 

大関=分教会長のたとえだけでは分かり難いと思います。スモウの大関は数人しかいませんが、教会の場合、関脇・小結・前頭などの幕内力士を全部「大関」と呼ぶことにしたということです。そうさせたのは、スモウを弾圧した政府が大関以外は力士と認めない法律をつくったからです。そうして大量にできた大関という呼称は同じでも、大関の実態は平等ではなく、以前の段位がそのまま生きていて、しかも固定されたため、いくら練習に努力して強くなっても上へあがれなくなれば、力士は誰も努力しなくなり、衰退していくことは当然でしょう。しかも、そんな不当な法律がなくなっても、相撲協会の幹部は元に戻そうとしないとすれば、救いようがないのです。
  • posted by みさと 
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  • 2011.09/09 06:47分 
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念仏派さんへ 

念仏派さんのご意見は、組織制度と個人的信仰を切り離しているとしか受け取れません。両者は別々ではなく、組織制度は個人の信仰を左右するほどの影響があるのです。
例えば大相撲の世界では前頭、小結、関脇、大関、横綱の段階があるので、努力して上へあがっていくのでしょう。仮に横綱=大教会と、大関=分教会とすれば、その2つだけで天理教の幕内は成り立っているわけです。ただし同じ大関の称号には何段階もあって。先に昇進した順に上下が決まっていて、その順位は変わらないとすれば、大相撲は成り立つでしょうか。神様だけは教会長の実力をご存じだからといっても、実力次第で進級できければ成長発展しないのが人間の実態でしょう。
  • posted by みさと 
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  • 2011.09/08 20:05分 
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No title 

教会制度の民主化(ろくじ化)という点には、先生の仰るとおりだと思います。しかし、思想改革という点では教会制度とかその他色々の制度を改革したところで、おやさまのひながたを忠実に通ることが実行できない教会長職が現存するかぎり、お道の栄えは期待できません。信仰面で親神、おやさま、親心という精神を強調した教えを教会長さん達がどう改心していくかが問題であると考えます。教会の存続・維持・管理にばかり心を砕き、信者獲得に、系統争い、教会・組織内の行事・お役目・教務とたすけ一条の精神と言いながら、教会一条の精神、宗教法人天理教一条の精神で、親教会に、教会本部にご恩報じをすることがおやさまによろこんで戴く道である。と催覚された 教会長ご自身が今一度ようぼくの先立ちとなってひながたの道にもどる決心をしない限り道の栄えは期待できません。、道 を踏み外して人間思案で新しい通り良い道を今まで通ってきておいて、おやさまに「結構なお道にお連れ通り下さり・・・・」と感謝している祭文の多いこと。うしろで聞いている信者の身にもなって下さい。教会がひながたを外して通ってきたから信者が道から離れてしまうのですよ。おやさまの着けられた道と違うから ひながたの道を通れないのです。教えだけがひとり歩きしていて道が見えない状態です。今のお道は、どこへ往くやら、どこに続いている道なのか見当がつきません。もう人間思案を止めたらどうでしょうか。
 道を間違えた時(間違えに気付くことが大事)には一度立ち止まり、どこで間違えたのかよく考え、間違えたところから再スタートをするしか方法が無いと確信いたします。

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Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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