ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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心のトレーニングとしてのスポーツ

 いよいよ昨日(日本時間13日午前11時)カナダのバンクーバーで冬期オリンピック開会式があり、スポーツの祭典が始まった。世界から82の国と地域が参加し、86種目の競技が繰り広げられるという。
 日本選手がメダルを幾つ獲得できるかという予想はマスコミに任せて、スポーツについて身近な話題から日頃の思いを述べてみたい。
 体を鍛えなければ丈夫にならないように、心も鍛えなければ成長しない。とすれば、スポーツは体だけではなく心のトレーニングとしても効果があるのではないか、と私は信じている。
 
 私は初孫を見るのが遅かったのだが、千葉県にいる次男の長女で、この4月に小学6年生になる初孫が、女子サッカーをやっていると最近になって聞いた。それまで女子もサッカーをするとは知らなかったのだから、自分ながら呆れたものだ。
 そのことを聞いて私は、少年少女の年代からサッカーでも何でもスポーツに熱中しているのは良いことだと思った。そのわけは、上記の通りスポーツは、体だけではなく心のトレーニングとなるに違いないからだ。
 
 スポーツの種目としては、個人競技よりも団体競技のほうが、心のトレーニングには向いている。団体競技の場合、全体の中での自分の役割や責任をいやでも自覚することになる。また連帯や協力の大切さを実感できる機会にも恵まれる。全員が一体にならなければ試合に勝つことはできない、とにかく自分独りの力では試合できない、と思い知ることができる。
 もちろん個人競技にも相手はあるから、心身のトレーニングになることは間違いない。島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」は、孫の洋七がスポーツをしたいと言うと、ランニングを勧める。徒競走なら靴がなくても裸足で走れるから、お金が掛からないからと。その通りランニングの練習をしたおかげで洋七は、運動会で一等になって褒美を貰うことができた。

 しかし試合に勝ってばかりいるよりも、負けることが精神的にはプラスとなるに違いない。スポーツには公平なルールがあり、正々堂々とルールを守って戦うのだから、仮に負けても、誰にも文句は言えない。むしろ、自分の力の限界を知り、人生は必ずしも自分の思い通りにはならない、と自覚することに意味があるのだ。
 そうした意味では、スポーツ観戦するより自分で競技することが、何倍か心のトレーニングになることは間違いない。それでも疑似体験として、無関心よりはファンになるほうがいいと思う。
 
 私は中学2年生の時に戦争が終わったので、戦争中の重苦しい空気からいっぺんに解放された。終戦を境に鬼畜米英から民主主義に180度転換した教師の言葉に抵抗を感じて、勉強よりはスポーツに熱中した。つまり、教師を含めて簡単に信念を変えるオトナが信じられなくなった。
 私の場合、草野球もしたが、卓球の好きな友達が身近にいたのでテーブルに向かって球を打ち合った。近年は「愛ちゃん」出場のおかげで、卓球は大いに普及したようだ。しかも技術は、昔とは比べものにならないくらい進歩している。
 それはともかく、熱中した割に上達できなかったことは自認しているのだが、私の最高の成績は国民体育大会(国体)の奈良県予選でベスト8に残ったこと位であった。私の卓球仲間には、後に大学に進んで日本選手権を獲得した者もあった。
  
 最近、引退した横綱・朝青龍は、土俵上では「鬼になる」と公言していたが、土俵外でトラになったために引退を余儀なくされた。確かに試合に勝つためには「鬼」の気持ちになることが肝要だ。試合中に、相手を負かしたら悲しむだろう、などと一瞬でも思えば試合には勝てない。私が試合に弱かったのは「鬼」になれなかったかも知れない。
 とはいえ、前述した通りスポーツには公平なルールがあるから、いくら「鬼」になっても無茶はできない。相手を傷つけて血を流すことはお法度だ。ここにスポーツとケンカ(戦争)の違いがある。それにしても、相撲は個人競技の最たるものであり、プロのスポーツ観戦だけでは、心身トレーニングの体験にならないと思う。
 
 私が何を言いたいかと申せば、最近世上で多発している突発的な暴力や犯罪を起こす犯人は、幼少時からスポーツをした体験がないのではないか。何でも自分の思う通りになる環境で、心のトレーニングを全くしなかったのではないか。もし何かスポーツ体験があれば、犯罪を犯さずに済んだのではないか、と思うのだ。
 自己中心どころか、自分の欲望や利害しか考えず、自分の思い通りにならないからといって相手を抹殺しようとしたり、他者の思いを無視したり、責任感を欠いたりするのは、スポーツで心のトレーニングをしたことがないからではないか。スポーツさえしていればルールを守ることができたのに、と言いたいのだが、あまりにも単純な発想だろうか。もちろんスポーツをしない子どもの心身に、みんな欠陥があるというわけではない。
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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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