ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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一日目の沖縄

 思えばこのたびの沖縄行きは、何から何まで好都合であった。私の戦争証言集めのひのきしんを理解してくれている年下の身内の者が、沖縄を知らずして戦争は語れないという想いからだろうか、格安の旅行パックで都合のいい日取りがあれば二人分契約するから同行するようにすすめてくれたのがきっかけであった。私はどうせそんな格安で二人とも都合のいい日程は取れないだろうとアテにせずに、OKの返事だけはしておいた。
 ところが間もなく、往復の日航運賃と朝食付ホテル2泊と、その上に無料レンタカー付で、大阪ー青森間の片道航空運賃(定価)よりも安い旅行会社のパックが見つかったという。しかも1月末の28~30日で、二人とも願ってもない日取りだから、早々に契約して二人分の費用を払い込んでおいたとの連絡があった。その「ニーズツアー」という小さな旅行会社はネット専門で営業しているのだが、家族が何度も利用しているから信用できるということであった。
 
 私とすれば、お膳立てされた席に坐るような思いで、この機会に恵まれた以上、旅行をムダにしないよう、現地で戦争体験をもつ高齢者の証言を取材できればと、那覇分教会あてにお願いの書面を差し上げた。その書面には、28日の朝 那覇空港に着くこと、目的は戦跡を訪ねることで、もし教会の近くに体験談を聞かせてもらえる高齢者のようぼくがあれば紹介して頂きたいこと等を書き、戦争証言サイトの紹介記事が出ている新聞のコピーを同封しておいた。
 今から思えば、まことに勝手なお尋ねであったが、前会長であり前教区長でもある山口国三先生から折り返しファックスが届き、戦地に出征していた自分が沖縄に帰ったら何もかも破壊されつくしていたこと、すでに沖縄戦を体験した生存者は少なくなり、すぐには紹介できないが、一人ようぼくでひめゆり部隊の語り部をしていた与那覇百子さん(82歳)が丁度那覇に来ているからと電話番号を知らせて下さった。その方なら昨年の夏、おぢばの陽気ホールの集会で体験談を聴いたことがあった。私が電話するとご本人が出て下さり、私が那覇へ着く前日に、現住所の埼玉県へ出発するとの返事であった。いろいろ戦跡めぐりの注意など聞かせてもらっただけでお会いする機会はなかったが、もともと体験談を取材するのはムリな話と諦めることにした。
 
 当日、早朝5時に天理を出発して関空を7時10分に飛び立ったJAL便は、2時間余りで9時30分に那覇空港に着陸した。空港前のレンタカー会社へ行くつもりで出口を出たところで、思いもかけず山口国三先生に呼び止められた。那覇に着いてから参拝に寄らせて頂くことを電話するつもりでいたが、まさか先生が空港まで迎えに出て下さっているとは思わなかったので恐縮するばかり。ご厚意は有難いが、レンタカーを借りなければ3日間動きがとれない理由を説明し、後ほど必ず参拝させて頂くことを約束して、ひとまずお別れした。
 レンタカーはホンダのフィットで、リッター当たり20キロ以上走るという。カーナビがたよりだから、その操作法を教えてもらい、私は助手席で行き先を設定したり、地図を見ながらアドバイスする役目をすることになる。まず、空港の西に位置する豊見城市内の「元海軍司令部壕」を見学することに決めて発車した。
 
 小高い丘の上にある海軍司令部の巨大な地下壕だけは、さすがに艦砲射撃や空爆でも破壊されず、縦横に掘り広げられた壕内へ入ることができる。もちろん狭くて暗い空間に多くの将兵が隠れていたに違いない。
 後で聞いたのだが、米軍の激しい攻撃のため、那覇の街の9割は破壊され尽くしたという。事実、広島・長崎は一瞬の原爆で破壊されたが、沖縄の激戦は3ヵ月にわたって続けられた。米軍の本土上陸を遅らせるための防波堤として、沖縄を犠牲にして地上戦を長引かせる作戦であったといわれている。そのおかげで本土決戦をすることなく終戦となった。
(付記)
 沖縄戦の戦没者数 総計 200,656人
          内訳 日本軍人 65,908人
             沖縄県出身軍人・軍属 28,228人
             沖縄一般住民(民間人)94,000人
(『観光コースでない沖縄』80頁/高文研刊による)
 
 午後は那覇市の中心街にある那覇分教会へ参拝する予定で、カーナビを設定した。教会の近くまで来たところで昼になったので、通りがかりの沖縄そばの店へ入った。古くて小さな店であったが、壁には色紙がいっぱい貼られていたから、味が自慢の名店に違いなく、初めて本場の味を楽しむことができた。大きなブタの角煮が入っていた。
 那覇分教会は鉄筋コンクリート造りの大きな建物で、とくに神殿が広く明るかった。40年前のふしんと聞いた。応接間に通されて先生の回想談を拝聴した。じつは身内の同行者は山口前会長とは旧知の間柄だった。
 
 以下、山口国三先生の談話を要約すれば、今も心の傷痕が癒えることのない悲劇であったことがわかる。
<私は戦争末期に徴兵されフィリッピンへ派遣される途中、輸送船が米軍の攻撃で沈没、その中を救出されて台湾へ上陸した。終戦となって沖縄へ帰って来た時のショックは言葉にならないほど大きかった。わが教会はもとより、那覇の街は瓦礫と化し、殆どの建物が破壊されていた。家族がどこに住んでいるのか探すのも大変だった。やっと父の住処がわかったが、母は空襲で逃げまどう最中、叔母が橋を渡ろうしている姿を追って行ったまま、未だに何処で倒れたのか遺体も分からない。
 今も米軍基地の移転が問題になっているが、沖縄が米軍の攻撃で廃墟になったのは事実としても、その原因は全部、アメリカを鬼畜と呼び民衆を自決に追い込んだ日本の軍国主義政府にある。いろいろな問題はあるにしても、アメリカは日本軍のように民衆の人権や生命を無視したわけではない。中国が沖縄を自国の領土にしようと狙っている限り、米軍がいなくなれば、沖縄は安全とは言えない>
 
 このような山口先生のご意見を拝聴して、私は目からウロコが落ちる思いであった。というのは、沖縄に住む現地の人々にとって米軍基地の存在は、単純に是非善悪で決定できないのが本音であることを思い知らされたからだ。
 それにしても沖縄の地形は平地が多く、高く険しい山脈は見られない。広大な米軍基地も目立たずに共存している。気候は亜熱帯で、私が訪ねた1月末でも、上着は要らず汗ばむほどであった。海岸沿いにサトウキビ畑は広がっていたが、米作りの水田はあるのかどうか、確かめてみないと分からない。
 因みに人口は奈良県とほぼ同じで、面積は奈良県の3/4足らずだが、2/3は山ばかりの奈良県と比べると、むしろ平地は奈良県より多いくらいである。
 
 一日目の沖縄に戻って、私たち同行二人は、教会のすぐ近くにある対馬丸記念館を訪ねることにした。
 対馬丸とは、あの戦争末期、沖縄から長崎へ学童などを疎開させるため1788人を乗せた輸送船で、九州へ着く前に潜水艦の攻撃を受けて沈没し、救助された227人以外は全員 船と運命を共にした悲劇を忘れないための記念館が建立されていて、周囲は公園になっている。館内には当時の遺品や写真などが展示されているのだが、あいにく休館日にぶつかって館内には入れなかった。
 再び私たちは教会に戻って駐車させてもらっていた車に乗り、おいとました。それから1キロほど走ったところで、肩に掛けていたバッグを忘れたことに気づいて引き返したことは前回に記した通り。
 
 一日目の午後2時頃まで、私たちが前記の記念公園を歩き回っている頃までは、雨の予報が外れて天気はよかったのだが、車で島の東側に沿って国道58号線を北上する頃から激しい雨風に急変した。(幸い2日目も3日目も、薄曇りか晴れのお恵みを頂いた)
 途中、網のフェンスを張った嘉手納基地が道の左右にどこまでも続いていた。あちこちに基地が散在している沖縄の人々は、今でもアメリカと共存していることは間違いない。
 パックで契約したホテルは中部の海岸沿いにある日航アリビラという一流ホテルであった。椰子の並木や赤い花が南国らしい情緒をかもし出している。
 チェックインして残波岬近くの海を一望できる部屋に入った。定価で泊まれば、おそらく宿泊費だけでパック全額が飛んでしまいそうだ。
 夕食は地下のコンビにで握り飯を買って済ませた。もちろん用意周到に途中の店で買った「残波」(ざんぱ)という銘柄の泡盛のお湯割りで一杯やり、ほろ酔い加減になったところでその夜は早寝した。
 二日目は、平和祈念資料館やひまわりの塔など、いよいよ南部の戦跡を訪ねる予定になっている。(つづく)

oki-kaigungo.jpg  oki-kichi.jpg
     (元海軍司令部壕の記念碑)             (国道沿いに広がる嘉手納基地)




 
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写真ファイルの追加 

この記事の末尾に写真ファイルを2枚UPしましたので、ごらん下さい。
なお、<天理と刻限>サイトの表紙にも、沖縄上空を飛ぶJALの写真を載せています。
  • posted by みさと 
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  • 2010.02/05 09:26分 
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Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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