ブログ<原典からの出発>(since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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教祖の「ざんねん」が今も続いている理由

 これまで私たちは、教祖の親心、やさしさ、ありがたさばかりを思い浮かべて、まるで三才児(みつご)のように教祖を慕い、褒美を頂くことばかり願いがちであったが、それだけで本当に教祖の御心を理解し、教祖の思いに応えているといえるのかどうか、問題がある。
「子供可愛い故、をやの命を、25年先の命を縮めて、今からたすけするのやで」(明治20.2.18)
 という親心にあふれた優しいお言葉が「おさしづ」に只一度だけ筆録されているのに対して、「残念々々で──」「どうもならんから──」「余儀なく──」「是非なく──」「思わく立たんから──」「すっきり分からんから──」現身を隠した、という意味の「さしづ」が繰り返し啓示されている。最後には、教祖の一生は「しんどの仕損」とまで言われている。

 その証拠に「おさしづ」原文を3つ提示すれば、(他にもたくさんあるのだが)
をやが道を付け、だん/\付け掛け、一人やしろに貰い受けて、始め掛けた道の割方してみた処が、人数足らいであちらも掛かり、こちらも一寸掛かった。あれはどうなろうと、いつになったらと言う。折角どうもならん/\。百十五才まで寿命定めた。なれど、どうもならん/\から、年限を縮めて治まった」(26.12.16)
「つとめ場所/\よう聞き分け。何やら分からん。つとめ場所は世の元という。世界今は皆んな耳に聞いて居る。この元小さいものやという。それから順序という。隠れ走り年限という。どうも思わくは立たん。思わく立たんから、扉開いた順序なりたる」(31.7.14)
「長い/\、長い年限の中もうどうもならんから身をかくれたのや」(40.5.17)

 なぜそれほどまでに「どうもならん」「思わく立たん」と言われているのか、その理由は「上・高山」による迫害・干渉もさることながら、当時の人々が「元一つの理」に基づく「神一条の道」を通るに通れなかったためであったに違いない。
「おふでさき」の中にも「ざんねん」を表す言葉が出てくるおうたは64首にのぼっている。ことに最後の第17号57番のおうた、
 このみちハどふゆう事にをもうかな
 月日ざんねんいちじよの事

 に続く70番までの14首には「ざんねん」の語句が7回にわたって繰り返されている。(できれば読み返してみられたい。「むねの掃除」を急き込まれる厳しい神意が切実に伝わってくる)

 親神様・教祖の「ざんねん」は、今も深まりこそすれ、決して治まっていない。したがって「教祖が迫害を受けた理由」は、今では「教祖のざんねんが続いている理由」と言い換えることができる。そのわけは、明治29.4.21の「内務省訓令発布相成りしに付、心得まで伺」に対する次の「おさしづ」の一節からも推察することができる。
「反対するのも可愛我が子、念ずる者は尚の事。なれど、念ずる者でも用いねば反対同様のもの」(29.4.21)
 ここで「用いねば反対同様」と言われているのは、神意を啓示された「さしづを用いねば」の意味であることは申すまでもない。人間にとって都合の悪い「さしづ」を無視してきた事例は数え切れないほどあったし、それは過去ではなく現在も解消されていない。

 親神様・教祖の思召しは、大和の一地方に宗派や殿堂を新しくつくることではなかった。しかし当時の人々は、病いたすけや奇蹟やご利益に心を奪われ、時の政府に公認されるために苦心し、「上・高山」を崩して「世界一れつをろくぢに踏み均す」という神意を信じ切れなかった、そのために選ばれた「ようぼく」としての自覚をもち得なかった、そのことが定命を縮められた最大の原因であった。

 教祖にとって何よりの苦労艱難とは、紋型ないところからこの世・人間を初めかけた親なる神が表へ現れているという真実、だめの教えによる神一条の道をつけかけるという目的が、なかなかはかどらなかったことにあった、と拝察される。
「心の成人」とは、をやの思いに近づくことであるならば、親心に甘え頼るばかりでなく、残念々々で身を隠された教祖の思いを晴らすためのあらゆる努力をすることが、教祖におよろこび頂く道でなければならない。

 教祖が現身をかくされてから124年になる今日、未だ日本国内でさえ大多数の人々が根本の教理を知らず、教理を説けば説くほど教内の体制の矛盾を感じざるを得ない状態、しかも日本の文化・政治・産業をリードしている「上・高山」の人々に教理が浸透せず、社会の動きに何の影響力も持ち得ない現実を直視すれば、教祖の残念が積もり重なるばかりと痛感しないではいられない。
 たしかに戦後の天理教は、観念や言葉の上では「元の理」を建前にして今日に至ったが、その理を実践し具体化する上において神一条の道になり得ているのかどうか、いま一度原点に戻って思案しなければならない刻限が迫っている。

 そうした教祖の「ざんねん」が今も続いているとすれば、その原因の一つは、原典の拝読が疎かにされているか、仮に拝読しても個人レベルでしか理解されずに、神意の全体を受け取ろうとせず、人間に都合のよい部分だけを断片的に引用されることにある。
 これは古来からの日本歴史に見られる特徴で、中国から仏教や儒教が伝わってきた時も、新しい体制をつくるのではなく都合のよい部分しか取り入れなかった。<つまり原典の文脈をバラバラにして、自分に必要なものだけ取る>のが日本人で、これを「断章取義」と言い「日本教」と山本七平氏は呼んでいる。
 明治以後も「和魂洋才」という言葉があるように、西洋の科学技術だけを取り入れた。日本のキリスト教会にしても<聖書の思想体系は問題にせずに、自分たちの精神構造に合う句だけをもってきて組み立ててしまう>のが日本人のあり方と指摘されている。(<>内は山本七平氏の文章からの引用)

「天理時報」の題字の下には「をやの言葉」という囲み記事があって、「おさしづ」の一節が連載されているが、以前その一節を読んで「断章取義」ぶりに驚いて、読み過ごすことができず<心のテープ>で批判したことがある。
「天理時報」のコラムにびっくり仰天
                      (つづく)
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  • 2011.04/14 16:22分 
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