ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

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教祖が迫害を受けた理由(その2)

 疑似血縁制で成り立っている組織

 ここで日本人と神様との関係、言いかえれば日本人の神観について確認しておきたい。そのための最適の参考書として、山本七平・岸田 秀 両氏による対談『日本人と「日本病」について』(文春文庫)がある。片や日本人の歴史的分析、片や深層心理分析の大家として広く認められている。

 まず、明治以前の日本人を欧米人と比較すれば、明確な違いが判明する。欧米人は、この世界万物を創造した唯一無二の絶対的な神と個々人との「契約」を信じて生きている。一方日本人は、そのような神による創造も契約も信じていない。
 したがって、欧米人の人間関係には、必ず個人と契約した神が介在するが、日本人には相互の人間関係しかなく、神との関係はない。
 日本人にとっては、神は人間に対して命令や指図する存在ではなく、神も人間同様に自然とともに生まれて世界が成り立っているのであり、その証拠に偉い人が死ねば神となって祀られる。欧米人にとってはそれどころではなく、神との契約を破れば命に関わるほどの罪と罰を覚悟しなければならない。

 こうした根本的な違いは、人間の集団による組織にも見られる。欧米の組織は、神との関係と同じく「契約」を前提として構築されている。それに対して日本的な組織の本質は、家族を拡大した疑似血縁制で成り立っている。いわばあらゆる組織は、特定の目的を達成するための機能的集団であると同時に、自分のすべてを帰属する運命共同体でもある。そうした特徴は、企業、官僚、宗教など、各種の組織に見られる。
 一方、外国(アラブ、ユダヤ、欧米)は、すべて「血縁と関係のない原理」で組織が構成されているという。とくにアメリカ合衆国は、組織の中で血縁関係を一切認めず、アメリカ大陸という「地縁」によって構築された社会といわれている。

 以上の組織論は上記の山本・岸田両氏の説に基づいているのだが、「疑似血縁制」について、もう少し詳しく考察することとしたい。
 本来、日本で血縁にもとづいて存続しているのは皇室しかないのだが、岸田 秀氏によれば日本人は、
「血縁を拡大解釈して、擬制としての血縁をどんどん拡げていく」
「あらゆる組織、あらゆる集団が、血縁を拡大した擬制血縁の原理で成り立っている」

 いわば「血縁幻想」のもとで「部族制」が今も続いている国、と結論している。

 山本七平氏も同じ考えで、「日本の会社などは疑似血縁集団です」と発言している。たしかに終身雇用制の企業や官庁に就職するのは、家族的な共同体の一員に加入することであり、中小企業の場合も家族的な経営が一般に見られる。下請け、親会社・子会社、グループ企業など、本家と分家、親子兄弟など血縁に類似した関係で成り立っている場合が多い。
 そこでは「義理人情」と「長幼の序」が重要な秩序となっている。個人的にも、本当は血縁のない人を「おじさん」「ねえちゃん」と呼んでも誰もおかしいとは思わない。
(十数年以来のグローバル化の流れで欧米的な契約社会に近づいた面もあるが、官僚や宗教の組織は依然として変っていない)

 さらに言えば、たとえ擬制であっても血縁の原理で成り立つ集団組織は、生活・運命を共にする先天的な共同体であり、神・法律・思想を必要とせず、相対的な人間関係だけに依存している体制といえる。
 したがって、契約や規則よりも自然に秩序を保つことが最善の姿となる。日本人にとっては、天然自然の秩序に順応して生きることが最善の道だから、気温や台風などの自然現象を人為的に変えられないように、実際は人間の都合でつくられた組織体制でありながら、自然と同様に組織も改変できない、と決めつける伝統がある。

 以上の日本的な疑似血縁制は、あくまで同じ集団組織内に限って成り立つのであり、他の組織に属する者は他人として、別の疑似血縁関係をつくることになる。
 明治から昭和の敗戦に至るまで、一時的に天皇を現人神とする軍国主義体制がつくられた。その時代には、天皇をイエス・キリストのごとく祀り上げ、天皇のもとに全国民が「赤子」(せきし)と呼ばれ、多くの国民が生命まで犠牲にしたが、敗戦とともに憑き物が落ちたように元の疑似血縁制に戻る結果となった。作家の司馬遼太郎は、15年戦争を「狂気の時代」と呼んだ。
 本来、血縁の親子関係で、親のために子の命を捧げるのは狂気としか言えない。そんな異常な天皇制が続くはずはなかった。

 しかし、疑似血縁制を無条件で否定することはできない。欧米のように神との契約に縛られているのは冷たい関係と受け取ることができる。自然と神と人間は、ともに生々流転する存在として、すべては「成ってくる」順序にお任せするのが日本人の本質であった。日本人は人間同士の関係さえうまくいけば、神を無視しても平気であった。八百万(やおよろず)の神々の中から、自分の願い事を聞いてくれる神霊を選り好みして拝んでいればよかった。
 もちろん本当の血縁関係に金銭的義務は介在しない。他人と違って血縁だからこそ、金銭を離れた親子兄弟の情で結ばれているのが本当であろう。子を産み育てる苦労もしないで親とは言えない。もし親子の名のもとに、金銭だけでつながっている組織があるとすれば、疑似というよりは虚偽の血縁制といわなければならない。
(「理の親」とは、「おさしづ」にもとづけば、誰よりも教祖ご自身を意味するのであり、教祖をひながたの親として、「理」の上で「親の代わり」「親の役目」を果たすべき責任を自覚し、「理」の子どもを育てるために丹精する立場と諭されている)

 明治時代直前の天保9年から50年にわたり、中山みき教祖に入り込んで啓示された神は、欧米の契約を求める神ではなく、自然とともに生まれた神でもなく、まさにこの世・人間を創造し守護されている親なる神であり「元の神・実の神」であった。その証拠に、元初まりに母と見定められた魂のいんねんあるみき教祖に、元のぢばとなる中山家において元の神が再び入り込まれ、元初まりと同じ順序で八方から道具を寄せて「陽気づくめ」の世界を再現する道を開かれたのであった。その道は、それまでの疑似血縁制ではなく、世界一れつに拡大された「理」の血縁関係を創造する道であった。
 月日親神と人間とは、契約ではなく親子の関係であり、親神のもとに全人類は一れつ兄弟姉妹と教えられた。まさに日本人はじめ人類にとって、未だかつてない神の存在を啓示されたのであった。今まで神と自然を同一視し、人間同士の血縁関係だけを重視してきた日本人が、そんな途方もない神を理解できるわけはなかった。
 前回で指摘したように、みき教祖の通られた道は、それこそ中山家という農家の血縁関係を破壊し、血縁制と階層制で成り立っている日本の秩序を崩壊させる危険な言動であったことは間違いなかった。(つづく)
 

 
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今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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