ブログ<原典からの出発>(<心のテープ>改め since2009.12.16)

天理市から発信する 教内外の情報満載のブログです。 10年前から開設しているHP<天理と刻限>の姉妹版として、 原典と現実をむすぶ「理」の情報を提供します。

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2/25 (木)月例会案内

恐るべき首相の発言

私たちは中山みき教祖の弟子であると同時に日本国民に違いない。国の将来を決める責任は文字通り首脳にあたる総理大臣にある。明治以来1世紀にわたり、教祖ひながたの道は政府によって邪魔され禁圧と干渉を受けてきた悲劇の歴史がある。
ところが現総理は今月14日国会の場で 「防衛戦略としては北朝鮮を先に攻撃するほうが圧倒的に有利」と答弁した。1対1の戦力ならいざ知らず北朝鮮は日本を目標としうる中距離弾道ミサイル・ノドンを200発から300発実戦配備している。これらは簡単に破壊出来ない山中に置かれたり、移動式である。どれほどのミサイルをアメリカから買うつもりか知らないが、相手の報復反撃を無視したあまりにも幼稚な暴論ではないか。最大の防御は相手を敵視しないことにあるはずだ。
しかも同じ首相が秋篠宮家の結婚延期に対して突き放したように「自分たちでまいたタネでしょう」とつぶやいたと週刊誌が伝えている。
戦争に無知で、平和を望まれる皇室に冷淡な安倍内閣を支持している日本の運命はおそろしい。

  日 時 1/25(日)午後1時~5時
会 場 三島公会堂 1階 東会議室

   (天理市三島町407/本部より本通り商店街を西へ徒歩10分

   又一呉服店の角を右へ50m右側/道の北側に広い駐車場あり)

テーマ オリンピック後の米国・北朝鮮情勢の展開は?
    戦争の実相を知らない政府首脳の言動
   「つくし・はこび」に関する原典「おさしづ」の悟り
    参加者の自由な発言と提案

参加費 1人500円(会場費・茶菓代・配布資料を含む)
個人相談(担当=岩井 猛 顧問)




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*CommentList

「つくし・はこび」の錯覚

メルマガ<心のテープ>アーカイブ(81号)
「つくし・はこび」の錯覚
配信日:2009/2/19

 教語(教理を表す語)の多くは「おさしづ」に由来している。例えば「つくし・はこび」について『おさしづに啓示された理の研究:第五部』には50節のおさしづ原文を収録しているが、その一つ「南海分教会事情願」の一節には、次のような諭しを拝読できる。
「尽しただけの理、運んだだけの理、十分蒔いたる種であるから、皆蒔いた種は、これから十分心寄り合うて、一つ大層なる理は、十分受け取りてある。・・・道のため、これ運び合い尽し合い、互い/\である。これから道作り上げて運ぶなら、見えて来る」(補遺30.3.18)

 当時、おさしづを伺うことができるのは、教長(現・柱)、本部側近とその家族、教会長および役員であって、一般ようぼく信者が伺いを立てる機会がないのは当然であった。従って、おさしづに諭されているのは、伺っている人自身が道の上に「つくし・はこび」することの大切さであり、ようぼくや信者に「つくし・はこび」するように説教するためではない。
 しかも、上に挙げたおさしづに「運び合い尽し合い、互い/\である」とあるように、決して一方的な通り方を説き聞かされているのでもない。
 それが何時の間にか、一方的に本部や教会など導く立場の者が導かれる人々に向かって説き聞かす教理に転嫁されるようになったのだ。これほど都合のいい錯覚はない。
 
 一事が万事であって、他の教理についても、自分のためではなく相手に説くためにあると錯覚している場合が多い。
 例えば、一れつ兄弟姉妹の教えを教外へ向けて叫びながら、教内において、系統が違ってもようぼく同士が兄弟姉妹の意識に徹しているかどうか、自らの胸に問うているだろうか。
 陽気ぐらしの天理教と言いながら、日々上下の人間関係のストレスで悩んだり、遠慮気兼ねや追従でごまかしたりしていないだろうか。
 おさしづの一節にも「白いものと言うて売っても、中開けて黒かったらどうするぞ」(32.7.23)と諭されている。
 
 もう一つの錯覚は、にをいがけ・おたすけすれば、直ぐにでも相手が「つくし・はこび」してくれるように思い込んでいることだ。少なくとも「にをいがけ・おたすけ」に経費は掛からないし、自分から「つくし・はこび」する必要はないと錯覚しているところがある。
 とくに上に立つ者は、末端の教会がもっとおたすけに熱心になりさえすれば、当然お供えも増える筈ではないか、と思い込んでいる。とすれば、これほど現実に反する錯覚はない。
「にをいがけ・おたすけ」は「ひのきしん」と同様に報酬を求めることは間違っているし、それこそ自分が相手に「つくし・はこび」を実行することである。そのために時間や経費が掛かることは当然であろう。それ故に「にをいがけ・おたすけ」すればするほど、自分が未信者に「つくし・はこび」する覚悟が肝要となる。
 
 今になって反省の念に駆られることがある。じつは、うちは有名無実の事情教会として再出発したので、親先祖から二代目三代目の信仰を受け継いでいるようぼくは殆どいなかった。
 そうした実情にあって、修養科生が次々に10人前後も修了した時期があった。最初に志願した難病の娘さんがご守護頂いたことから、母親が喜んで志願し、その姿を目の当たりにした知人や紹介者が、北大阪や神戸の方面から続いて修養科を志願したからであった。
 しかし当時の私は、入信したばかりのようぼくたちに自分が「つくし・はこび」する気持ちが足りなかった。というより、上級の教会へ「つくし・はこび」するのが精いっぱいだったので、新しいようぼくの家を訪ねたり家族と話したりする時間も経費もなかったのが実情であった。
 だからといって、修養科を出たばかりの相手に「つくし・はこび」を望んでも通じるはずはなく、殆どのようぼくが道を離れてしまう結果になった。
 
 今にして「おさしづ」で諭されている神意が解けたような思いがしている。つまり、布教や修理・丹精を目的として行動するには時間も経費も掛かるのだ。教会も何もなかった道の初期、先人たちは自らの仕事や時間を布教のために「つくし・はこび」していたのであり、人に「つくし・はこび」を説教していたのではなかった。その意味で、教会には時間の余裕とともに自由に支出できる布教費がなければ動きがとれないのだ。
 昨年の秋、「天理教の歴史と現実」と題する小論は、そうした私自身の反省を土台としてまとめたのであった。
 

メルマガ<心のテープ>アーカイブ 2篇

メルマガ<心のテープ>アーカイブ(76号)
ブータン国王に拍手!
配信日:2009/1/15

 民放テレビにもタマにはタメになる番組がある。先日10日の夜9時からの4ch<世界・ふしぎ発見1>で、テーマは「国民の95%が“幸せ”イケメン王子が実現する理想国家」に拍手を贈りたくなった。ブータン国王のように言行一致していれば、国民がみんな満足するのは当然だ。とはいえ、そうした社会が実現するためには幾つもの条件が前提になるのは確かだが。
 
 第一にブータンは、チベット仏教を国教とする世界で唯一の独立国ということだ。現在の王朝は約100年ほど前に成立し、現在は第5代の国王が即位したばかりで、伝統文化を重んじながら緩やかに近代化を進めているという。つまり、国民は輪廻転生を信じ、今も民族衣装をまとっていると同時に、余程のお年寄りを除いて家族全員がケイタイ電話を持っている。
 とにかく国王が国民と一体になって溶け込んでいる。何かの祭典があって広場に民衆が集まり舞台の上には王座が設けられているのに、その王座は空っぽで、王様は民衆の中に混じって一緒に坐っている。何しろ第3代目の国王は、民衆の実態を知るために頭を金髪に染め黒メガネをかけ、外国人になりすまして街の中へ変装して出掛けて行ったとか。
 
 昨年2008年には初めて憲法が制定され、二院制の議会から内閣を選出する立憲君主制の国となった。首相が言うには「幸せとは、いま自分の手にしていることで十分だと気づくことかも知れない」と。
 それに応じるように昨年王位についた第5代国王は「自分は支配者のような振舞いは絶対にしない。時には国民の親代わりになり、兄弟や息子にもなりたい」と宣言している。
 国民はみな王様や国に恩返ししたいと思っていて、農業を主とする自給自足の生活に満足している。テレビ・キャスターがホームスティしていた家族の様子からも、3世代が同居しながら和気あいあいの不自由のない生活ぶりが窺えた。
 ブータンの経済ば、ヒマラヤ山脈の斜面を利用した水力発電によって得た電力をインドに輸出することによって、国家予算がほぼ賄えるという。だから学費や医療費が全部タダというのだから羨ましい。
 ネットで検索すれば、ブータンはインドと中国に挟まれたヒマラヤ山脈の南麓に位置し、ほぼ九州と同じ面積に人口約66万人と極めて少ない。そのために余裕のある福祉予算と安定した生活が成り立っているのかも知れない。
 凡そ100年前にイギリスから独立した当時の国王が代々続いていて、国民から敬愛される善政を敷いている。議会があり内閣があっても国王の発言権が大きい場合、国政が誤った方向に進む危険を正すことができる。
 日本の場合、象徴となった天皇には政治に影響力を与える発言権はない。かつてタイ国王も同じ立場で国政をリードしていたが、今では国内の政治的混乱を収拾する力が減退したようだ。
 
 幸いにしてブータンは極めて親日的な関係にある。その原因の一つは、半世紀前からブータンに農業技術の指導に赴いた一技術者(西岡京治氏)が農業の改善に尽くした功績が高く評価されていることにある。また20年前から青年海外協力隊が派遣されている。ブータンからの要請を受けて、昨年の春から半年の契約でサッカーの代表監督を日本から派遣した。
 民族衣装は日本の着物によく似ているし、同じモンゴロイドに属するからか顔形も肌の色も日本人と見分けがつかないほどだ。
 
 なぜ私がブータン国王に拍手を贈るのかといえば、国王自身、国民の「親代わり・兄弟・息子」と明言し、言葉通り信念を実行(言行一致)しているからだ。国家に限らずあらゆる組織のトップは、ブータン国王の爪のアカでも煎じて飲むべきではないか。
 わが天理教にも「理の親」という教語がある。その真意は、上に立つ者が「親の代わり」「親の役」になる努力を望まれている神言に由来するのだが、いずれにせよ教内の実情は、ブータン国王の言動と比べて恥ずかしい限りといわざるを得ない。
 最後に念のため、道の上の親子・兄弟に関連する「おさしづ」の啓示を再確認しておきたい。(手書き原典資料 第3部 神一条の道より)
「皆、親の代わりをするのや。満足さして連れて通るが親の役や。皆、満足さして、元のぢばや親里やと言うて、満足さして帰るのやで。どんな事も談示して満足さすよう」(21.7.7)
「子が満足して親と言う。どんな事も、成らん処育てるが親の役。親が腹を立ててはどうもならん」(31.11.13)
「親の役ならどんな事も被(かず)かにゃならん。善き事も被くが親の役。心の運ぶ処 優しき心を運び掛け」(補遺24.1.8)
「遠慮気兼は要らん。すっきり要らん。遠慮気兼あってはどうもならん。遠慮気兼あっては真の兄弟と言えるか」(24.11.15)
「同じ五本指の如く、兄弟の中なら、どの指 噛んでも身に応えるやろ。あちら起こしてこちらを倒そうという理あろまい」(32.12.27)

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メルマガ<心のテープ>アーカイブ(80号)
スギ花粉とエリート官僚
配信日:2009/2/12

 今年もまた花粉症の季節がやって来た。風と共にスギ花粉がまるで噴煙のように飛び散るテレビ画面を観るたびに恐ろしくなるほどだ。
 東京では例年より10日早く花粉の飛散が始まっている。花粉症の季節が巡ってくるごとに悩んでいる身内の者もいる。私はアレルギーには弱いほうだが、幸い花粉症はない。やはり杉の樹木の多少による地域的な要因もあるのだろうか。大都会に住んでいても花粉症に罹るのだから、スギ花粉はよほど遠くまで飛散するのに違いない。
 
 じつはスギ花粉がなぜ被害をもたらすことになったのか。それは自然にそうなったのではなく、人為的に招き寄せた災害であることを知ったのは、『クマと森と人』と題する日本熊森協会のパンフを読んだのがきっかけだった。そのパンフについては、小著『元の神・実の神』24~25ページに紹介している。
<林野庁による国有天然林破壊の歴史と現状」と題する資料によれば、1950年代、日本国内の森林面積のうち原生林は38%を占めていたが、戦後復興期の木材需要をまかなうため、林野庁の主導でスギ・ヒノキの人工林に改造され、2002年には11%まで減少し、原生林の71%が失われたという恐るべき統計が示されています>
 
 つまり、原生林をスギとヒノキだけの人工林に改造したために、多種多様の木の実や葉っぱや昆虫などの餌場を失った野生動物が森に住めなくなった。餌を求めて畑へ出て来て射殺されるツキノワグマは、人間から餌を奪われて被害を受けた側なのだ。熊森協会というのは、クマが畑を荒らすようになった原因は人間の勝手な自然改造によることを告発し、クマを保護するための団体である。
 
 上記のように、建材の需要を予測し原生林を伐採してスギとヒノキだけの人工林に改造するという大掛かりな林野庁の計画は、結局、安い外材の輸入によって全く採算が取れず失敗に終わった。その赤字を埋めるために、さらに事業を拡大するという悪循環が続いている。
 要は、目先しか見えない人間の浅はかな知恵によって自然を改造すれば、いかに厳しいしっぺ返しがあるかを、スギ花粉症の蔓延によって思い知らされているのだ。
 
 そうした人工林改造計画を立案したのは誰かといえば、当時の農林省から天下った林野庁のエリート官僚に違いない。しかし、官僚は誰も失敗の責任を取らない。最近になって表面化した年金問題然り。一昨年の建築基準法の改正によって確認申請が滞り、着工が大幅に遅れたため建築会社の倒産が増加しても知らぬ顔であった。
 官僚制度の特徴を挙げると、
1)一旦決定されたことは、途中で現実にマッチしないと分かっても変更したり中止しない。前例のないことには手をつけない。
2)結果については一切責任を負わない。
3)タテ割り行政で、省庁間の連絡がなく、効率が悪い。別の省庁にまたがる問題は放置されるか、いつまで経っても解決しない。
4)書類さえ整っていれば、すべて良しとする形式主義。
5)明治以来「お上」と呼ばれ、大衆を差別する特権意識で固まっている。

 問題は、他の集団組織にもこのようなエリート官僚に類似した階層が、官僚制度を手本として形成されることにある。その構造としては、学歴が高く、秀才で、何らかの由緒のある家柄とか学閥・閨閥・姻戚関係で繋がっている人間関係が背後にあることが多い。
 そうしたエリート階層の唯一の目的は立身出世であり、そのためには他人を蹴落としたり、お世辞、追従、嘘は常套手段になっている。
 そうした人間関係を戒められた「おさしづ」が数々ある中で、次のお諭しは問題の核心を突いている。このさしづを下された対象は世間ではなく鏡やしきの内部に籍を置く人々への諭しであることを忘れてはならない。
「互いに遠慮は要らん。遠慮は追しょう(ついしょう)になる。追しょうは嘘になる。嘘に追しょうは大ぼこりの台」(31.5.9)

 さらに次のおさしづには「追しょう」(ついしょう)という言葉が10回も繰り返して出ている。本部や教会の内部にあって、この厳しい諭しが過去のものであれば幸いだが、そう言える人はいるだろうか。おさしづに反する言動は、あらゆる事情の元となることは間違いない。

「追しょうは濁りの台である。これをよく聞き分け。しっかり聞き分け。どうなりこうなりと、だん/\年限(経ったと)思う中に、もう(どうなる)やろうか、追しょう/\(という人間思案の)理(が)重なる。めん/\心から(ほこりが)出る。めん/\心から出るから、めん/\に(自分で)仕末せにゃならんで。このやしきは一つも(人間思案は)要らん。追しょうは騒動の元、追しょうあればどうもならん/\。追しょうの中に濁り心の迷わす理。めん/\潰れる台してるようなもの。追しょうはその場のもの。良い顔して追しょうから追しょう出る。皆(追しょうを)してる。息してる間は皆(追しょうを)してる」(31.4.20)



1/25月例会報告

 本音の爆発的な発言つづき

 一応テーマは提出したものの、議論のおもむくままに話題が拡散していった。ストップするより関心の赴くままに拡散するに任せるほうが、思わぬ結論になるのではないかとの期待もあった。
 真冬の冷え込みがきつい中で、大祭の前日でもあり、参加者は10人(うち初参加1、女性2)に止まったが、それぞれが日頃の思いを爆発させ合っているような雰囲気であった。

 一通りテーマに沿って内容を説明したあとは、参加者それぞれの意見を確認し合うような場となり、最終的に岩井顧問の本音が爆発する結果となった。最高齢の87歳を迎える岩井顧問の過去は、若き日の入信以来、陸軍幼年学校生徒の経歴と戦後の原水爆反対運動の実践を通して親なる神の実在を証しする唯1人の証人となる自覚に貫かれている。
 若き日の岩井顧問については私もまだ縁はなかったのたが、戦後の原水爆禁止運動の中で世界へ向けて公刊された原爆写真集(2冊1組1万円=1冊は自分に、1冊は世界へ贈る)の普及に尽力し全国一の普及成績を挙げたこと、単独で平和運動を進めている間に教内の著名な事業家との奇跡的な結縁によって莫大な額の援助を受けたこと、「とめふで」の預言を信じ切って節あるごとに拡散を続けた結果、預言通り明治34年から115年目に当たる去年からミサイルが日本上空を飛ぶ戦争の危機が現実となっているのは間違いのない証拠であり、今年こそは世界中で「むねの大掃除」が始まるに違いない。
 最後には、核兵器使用によって人類が自業自得の恐怖で武器を捨てる覚悟を定めたら、初めて真の平和が構築されるだろう。
「とめふで」を中心として、霊能力による著書の出版や実践研究など岩井顧問の過去の業績については、シロウトながら私(植田)が協力して作成したホームページ「三千世界の立直しプログラム」(検索)に多くの資料が収録されている。「とめふで」と入力して検索しても表示されるので確認していただきたい。

 ところが日本国内では、戦争の実態を体験した国民がいなくなるにつれて、平和ボケと戦争による問題解決の甘い期待が高まっている。その危険な傾向が進んでいる根本原因として、常連の参加者K氏のユニークな日本論(正確には日本語論)の説明があった。K氏は類まれな頭脳と体験の持ち主で、数年前に福島の放射能汚染から逃れて天理市の近くに定住しているのだが、今月になって初めて持論の一端をわかりやすく語り出した。
 その要点だけを要約すれば、英語では必ず「人称」を先に明記しなければ言葉として成立しない。ところが日本語は「非人称」のままで、一つの物事や出来事が主体となって表現される点で世界でも類例のない言葉といえる。英語の文法は論理的・分析的だが、日本語はいわば場所的・情感的であり、現実の場面や空気が主語となる。(だから一人称で意見を主張することができないし、主張しても受け入れられない)
 本来、表意文字の漢字は日本語ではなく、表音文字のひらがなであった。ほとんどの漢字は日本で創ったものだが、「おふでさき」のやまとことばが忘れられ混乱している等、日本語の特徴については初歩にすぎないが、これ以上くわしい説明はできないので、言葉に関連する次の話題だけ参考に報告しておきたい。

 それは日本語で「様」という敬称の使い方について。一般に「役職」を著す「社長」「長官」「大臣」「総理大臣」の後ろに「様」はつけない。もし「様」を重ねてつけると冗談か冷やかしの意味になり、かえって失礼に当たるだろう。
 ところが天理教内だけは特別で「真柱様」と「真柱」という役職に「様」をつけている。天理時報や機関誌など教内の出版物にも必ず「様」がついている。これは、教外から見れば奇妙な慣習としか思えない。しかし、ここでも日本語の特徴からいえば、現実の場で慣習的に固定した物事に対して「一人称」で誰かが主張しても絶対に受け容れられないだろう。(各教会でも「会長様」と呼び慣らわしているが、外部からは奇妙に聞こえるにちがいない)

 事ほど左様に、日本では組織や慣習に関する物事を変革することが難しいという現実問題があることを再認識するほかはない。
 他にも日本の古代史、日本列島の地盤の特徴、大和盆地の成り立ちと古代からの祭など、長くなったので他の話題については省略させていただきたい。もし興味を感じられたら毎月の例会に一度ご参加を期待したい。



1/25 (木)道の原典研究会案内 

多事多難が予想される年に

今年が容易ならぬ一年になることは間違いない。
そんな情勢の中で、日本や教内の事情がどうであろうと自分には
関係ない、教祖は貧しいアフリカ・ケニアの人々の病気を救けてく
ださることは確かだから、その物心両面の救済のため募金と実行に
全力を捧げるべきだ、との意見を聞かされて、私は「絶句」する他
になかった。
教祖はそれだけを望まれているのだろうか。
  
日 時 1/25(木)午後1時~5時
会 場 三島公会堂 1階 東会議室

   (天理市三島町407/本部より本通り商店街を西へ徒歩10分

   又一呉服店の角を右へ50m右側/道の北側に広い駐車場あり)

テーマ 米国・北朝鮮情勢の展開は?
    今年の政治・経済情勢の予測
   「刻限さしづ」の拝読
    鳥翼風車の発明者=その後の情報
    参加者の自由な発言と提案

参加費 1人500円(会場費・茶菓代・配布資料を含む)

個人相談(担当=岩井 猛 顧問)


メルマガ<心のテープ>アーカイブ(10年前の記事)

(73号)今年一年をふりかえって
              配信日:2008/12/25

 少々時期がずれてしまったが、10年前の年末に当たる内外の情勢をふりかえることもムダではないと信じる上から、次に再録させていただきます。
 次回は今年1月の例会案内に続いて、リーマンショック後の混乱についての記事(2008/1/8)を再録するつもりです。
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 早くも正月元旦まであと5日に迫ってきた。
 年末に近づくにつれて今年ほど気忙しい年はないように思う。それは毎日報道される不況とリストラのニュースのせいかも知れない。
 他人事のように金融危機のニュースを読んだり聞いたりしているが、いつ身近に影響が及ぶかわからない。

 私は何か異変があると昭和20年の夏を思い出して比べることにしている。63年前のあの日、とつぜんの敗戦となり、世の中がひっくり返ったのであった。
 もちろん戦局は悪化の一途を辿り勝ち目がないことはわかっていた。一部では敗戦の結果を予想していたに違いない。しかし新聞ラジオなどの報道機関は真実を一切報道しなかった。そうした点で、今も大同小異ではないだろうか。
 今度の刻限は、日本が直接の原因ではなく、アメリカを震源として世界中に拡大している。日本もその影響をもろに受けているが、世界各国に比べると、まだマシなのかも知れない。とはいえ、最低の生活に耐えて生きて行く覚悟だけはしておきたい。
 
 刻限とは「天意によるリセット」と言い換えることもできる。大掃除の刻限を意味する「一日の日」は、決して過去に現実となった敗戦のに限られるわけではない。再び神の残念が積もり重なり、合図立て合いが出たならば、「見えん先から」説き聞かされた原典の啓示が現実となる日が到来するのだ。

「さあ/\怖わや恐ろしやと、前々諭してある。一日の日と言うてある。一日の日は一代と取れ。一代の道にはいかなる道もある。すっきり洗い替える」(22.2.23)
「一日の日というは大きい話。前々より諭したる。どんな道があってもおめ恐れるやないで。これまでにも諭してある。内々胸の思やんが第一」(24.5.18)
「一代」という言葉の意味は、60年前後と悟ることもできる。今年は昭和20年から数えて63年目に当たっている。

 今年一年をふりかえる本題に戻ると、ちょうど1年前に完成したつとめ場所兼客間を有効に活用できたと思っている。中でも5月1日、スジャータめいらくグループの創業者・代表の日比孝吉氏が立ち寄って下さったことが忘れられない。
 今年80の坂を越えられた日比代表は、昨年の暮れから正月にかけて、同社のようぼく社員1000名に小著『元の神・実の神』を購入・配布して下さった。また私の厚かましい依頼に応じて「推薦のことば」も快く書いて送って下さった。(40号)
 
 8月には原爆の日が毎年巡ってくる。世界で唯一の被爆国として、その旬に合わせて原爆体験を風化させることのないように<心のテープ>を巻き戻すことにしている。
 姉妹サイト<戦争を語りつぐ60年目の証言>には、後にも先にも世界一詳しいと断言できる被爆体験記「枯れない涙」を収録している。美空ひばりの愛唱歌「一本の鉛筆」の紹介もした。(54号)また戦争に関連して「上・高山が“まま”にした横暴の歴史」も(56号)で配信した。

 今年は幾人かの初対面の来訪者があった。私にとってまことに楽しく有意義な一刻であった。その方達の紹介もメルマガでさせて頂いた。(61・62・63号)
 10月秋の大祭前日には、初めての<天刻の集い>を天理市内で催した。参加者は少なかったが、個性的なようぼくの方々ばかりで、談論風発であった。(64・65号)
 秋の終わりには田母神(元空幕長)の論文が反響を呼んだ。私も黙っていられなくなって、一言もの申さずにはいられなくなった。(70号)
 余談になるが、12月には<天刻サイト>のアクセス数がのべ5万人超になり、その前に姉妹サイト<戦争を語りつぐ60年目の証言>が15万の大台に乗ったことを報告しておきたい。サイトを管理する者にとって、やはりアクセス数は何よりの励みになるものだ。
 11月には懸案のメーリングリスト(ML)が発足した。結果はまだ未知数という他はない。
 
 さて、過去ばかりをふり返っていられない。
 来年平成21年(2009年)は、内外ともに文字通り大変な年になりそうだ。真実の信仰が試される刻限が到来したからには、次の啓示を心して通りたいと思う。
 読者の皆様も、元気で年末・年始を迎えられますようお祈りします。最後に原典「おさしづ」の節々を拝読することにしたい。
 
「濁りに濁りて、又濁りて(さしづを)何度も読み返さんならん(時が来る)やろう」(23.9.3)
「腐りたさしづも起きて来る日があろ(う)」(29.3.21)
「さしづより外に理は無きもの。難しい中でもさしづの理で通る。人間というは、その日その日の道しか無い。神が付けた道はころっと変わった道」(24.5.8)
「皆千切れ/\である。千切れ/\になりてからは、容易な事では繋がれん。春風のようなそよ/\風の間は言う事は無い。神も勇んで守護する。なれど今の事情はどうであるか。黒ほこり泥ぼこり立ち切ってある。この黒ほこり泥ぼこりの中で、どうして守護出来るか。又守護した処が、世界へどう見えるか」(30.2.1)
「元一つ鏡というは、内から言うのやあろうまい。世界から神の理を見て鏡やしきと言うのや。鏡というは何処から何処まで分かるが鏡やしき。聞かにゃ分からん事ではどうもならん。(中略)鏡曇らしてはどんならん。鏡やしきに曇りありては救ける事は出けん。しんが濁れば傍が皆濁る」(22.7.31)



平成30年 新年のご挨拶

いぬ年賀状-2

新年を迎え
   貴家ご一同様のご清福を 
        お祈り申し上げます


 (新春愚詠)
 年賀状 忘れるほどの 歳になり
 あと五年 元初まりの理を 忘れまじ

     2月で86歳      植田 義弘



12/25 月例会報告

 神から与えられた能力の限界

 今年最終の報告をすることとなった。これまでも「刻限」を強調することばかり繰り返してきたが、じつは難しく考えすぎていたことに、ようやく気がついた。
「神の子」として進化した人間と、犬猫など他の動物との明らかな違いは「予定を立てる」「プログラムをつくる」ことにある。それこそは神から人間だけに許された能力であり「神の子」の証拠に違いない。が、さらに遠くの未来まで見通す能力はない。

 親に当たる「元の神・実の神」は、人間という「重宝な者」を創造するに当たって他の生物にない能力を与えられた。それが「天の理」を自由に使って自然(神のからだ)を切ったり繋いだり組み立てたり加工して創造物を開発する科学技術という能力に他ならない。しかし、生命の種を勝手に創れないように制限されたのは、天の理を知らない人間が魔物を創り出す危険があるからに違いない。それでなくても原子核をいじくり回して水爆という恐怖の魔物を1万数千発も開発製造し、最近は細胞内部の遺伝子を勝手に選別し加工しようとしている。
 目先の予定を立てることができても「遠くまで未来を見通せない」限界に気づかなければ、どんな災厄や悲劇の結果が待ち受けているかわからない。

 初めに述べたように「神の子」人間だけは、他の生物と違って「予定を立てる」「プログラムをつくる」能力が与えられている。「陽気づくめの世界」を待望される「元の神・実の神」は、ただ漠然と「心の成人」を期待されているだけではなく、理想とする世界に立替えるためのプログラムや予定を立てられるに違いない。その具体的なスケジュールこそが「天の刻限」に他ならない。人間が予定やプロジェクトを立てる能力を与えられた神にそれ以上の力があるのは当然である。

 一方、人間に「心の自由用」を与えられた以上、強制的に心を入れ替えるわけにいかない。人間が自ら気づく以外に立替える道はない。そのためには自然の大変動や災難を通して、または戦争やテロなど自業自得の結果として目が覚める以外にないことは過去の歴史が実証しているし、これからも他に道はないだろう。

 ここで、未来を「予測」する人間の能力によって明らかにされている情報を紹介したい。
 その一つ、その他ベストセラー1位『未来の年表=人口減少の日本でこれから起きること』河合 雅司 (著)(講談社現代新書)の要点について。
日本の喫緊の課題
 それを改めて整理するなら4点にわけられる。
1つは言うまでもなく出生数の減少。
2つ目は高齢者の激増。
3つ目は勤労世代(20~64歳)の激減に伴う社会の支え手の不足。
そして4つ目は、これらが互いに絡み合って起こる人口減少である。
*2025年問題
 最近メディアをにぎわせている「2025年問題」という言葉がある。人口ボリュームの大きい団塊世代が75歳以上となる2025年頃には、病気を患う人が増え、社会保障給付金が膨張するだけでなく、医療機関や介護施設が足りなくなるのではないかと指摘されている。
 
財政破綻の予測(高島康司氏による)
「日銀財政バランスシートの限界」
「アベノミクスの登場以来叫ばれて来た危機論のまとめです。いくども異なった論理で量的金融緩和策の危険性が指摘されて来たわけですが、時間の経過とともに議論の前提条件が変化したので、有効ではなくなりました。賞味期限が切れたといってもよいでしょう。」
「そのため、10月22日に実施された今回の衆議院選挙でも、量的金融緩和策は選挙の争点にはなりませんでした。どの政党もこの政策がこれからも継続することを前提にしているかのような議論を展開していました。
 しかし、2016年の後半から2017年にかけて、これまでとはまったく異なった危機論が出てきました。日銀の債務超過による破綻論です。この議論の特徴は、これを警告しているのがエコノミストではなく、日銀の出身者や関係者であるという点です。それだけに現実味と深刻度がこれまでの危機論よりも相当に高いようです。」

*バランスシート悪化の原因
「バランスシートがこのように悪化した原因は、量的緩和策によって日銀の当座預金は極端に増大したことにあります。日銀は民間の金融機関から国債を買い取っていますが、金融機関はそこで得た資金のすべてを市場に供給しているわけではありません。企業の利益が増大していても、設備投資が低迷しているので、長期ローンなど銀行に対する資金需要はほとんど伸びていません。そのため銀行は、国債の売却から得た資金を日銀の当座預金に預けているのです。これには0.1%の金利がこれまでついていたので、銀行としても格好の運用先でした。
 昨年の1月に、当座預金の一部にマイナス金利が付き、逆に手数料の支払いが要求されるようになっていますが、当座預金は減少していません。」
「民間銀行には一定の額を法定準備金として日銀に預ける義務がありますが、これを越える額は超過準備金と呼ばれ、日銀の債務として計上されます。したがって、日銀が国債を買い上げた分だけ債務としての当座預金が増える仕組みになっているのです。
 さらに資産として計上される国債ですが、日銀は民間銀行が入札した水準よりも高い価格で国債を買っているのです。そうではないと民間銀行の利益にはならないので、量的金融緩和のためにはそのようにせざるを得ないのです。つまり、買ったら買った分だけ含み損が出ることになります。すると、債務となる当座預金の増大とともに、含み損も拡大する状況なのです。だから、日銀の量的金融緩和策の継続はバランスシートをどんどん悪化させることになります。」さらに詳細は下記で。
http://www.funaiyukio.com/yasu/

『戸籍アパルトヘイト国家・中国の崩壊』 (講談社+α新書)川島博之著
 岩井顧問からの発言で、海外でも矛盾が山積している現状が如実に解説されているという。
 中国には9億人の農村(農民)戸籍と、4億人の都市戸籍があるのは知っていたが、ここまで差があり、しかも差別されているとは驚かされる。つまり、中国の経済的発展は、農村戸籍の人たちからの搾取で成り立っている。一方、富裕層も1億人はいるという。
 しかし、4億の都市戸籍の人間が、9億の農村戸籍の人たちを支えなくてはいけないので、中国のこれ以上の発展は難しいのではないか、一つ間違えば崩壊の危機になる、とさえ予測されている。

脱火力エネルギー革命 石炭から太陽光と風力へ
 最近のNHK特集でも放映されたが、世界中で広大な敷地一面に太陽光パネルや風車が並んでいる光景に驚かされた。 原発再稼働にこだわっている日本はすでに世界から取り残されようとしている。わずかに四国の伊方原発の再稼働が司法の良心によって否定判決されただけに留まっている。
 中国でも原発や石炭から自然エネルギー発電へカジを切っている。スモッグは過去になりつつある。
 一方日本国内では自然エネルギー発電の買取制度が規制されるようになり、中国人が日本の太陽光パネル発電施設の買取りに乗り出しているという情けない実情が拡大しつつある。

結 論
 本来「鏡やしき・ぢば」は、天啓によって親なる神の「むね」の内、さらには「刻限」の神意について知ることのできる唯一の場であった。
「鏡やしき」といわれる理由は、世情と「ぢば」が互いに映し合いする場であるからだが、じつは今年の流行語になった「忖度」がまんえんする「ぢば」本部の姿が世情に映っている、と断言しても間違いない。「忖度」という言葉の意味には善意もあるが、悪い意味で「うそ、追従(ついしょう)」ばかりまんえんしているのが実情であり、昔から「おさしづ」で強く警告されているところであった。 
 今や戦後の大改革や平和憲法も有名無実になってしまった。自由平等や平和の理想も消え去ろうとしている。
 戦後の天理教の責任はいくら強調しても強調し足りない。それ故にもう一度、内外ともに大掃除の刻限が近づいていると叫ばずにはいられない。(文責=植田義弘)

12/25 (月)道の原典研究会案内

一年間の総決算、またはウップン晴らし

早くも年末となり、今年もあと10日を残すのみとなりました。
歳とともに「光陰矢の如し」と驚くばかりです。
年に一度くらいは忘年会をすればいいのかもしれませんが、
今はそれどころではない逼迫した情勢ですから、油断大敵で
時間を過ごしたいと思います。
時間の許す限り、一年間のウップンを晴らしてくださればよろ
しいでしょう。

日 時 12/25(月)午後1時~5時

会 場 三島公会堂 1階 東会議室

   (天理市三島町407/本部より本通り商店街を西へ徒歩10分

   又一呉服店の角を右へ50m右側/道の北側に広い駐車場あり)

テーマ 米国・北朝鮮情勢の展開は?
    来年の政治・経済情勢の予測(想定不能?)
    原典に啓示されている「刻限」の神意
    原発問題を考える第6回公開講座の報告と感想
    参加者の自由な発言と提案

参加費 1人500円(会場費・茶菓代・配布資料を含む)

個人相談(担当=岩井 猛 顧問)


9人の広島・長崎被曝体験記の紹介

2017年のノーベル平和賞が核兵器廃絶国際 キャンペーン (ICAN) に授与され、被爆者代表が「核兵器は絶対悪」と演説し,
世界へ感動がひろがりました。

私が管理している<戦争体験を語りつぐ>サイトには「広島・長崎の原爆体験特集」として9人の被曝体験記を公開しています。
その中には日本一(ということは世界一)くわしい被曝体験記「枯れない涙」もあります。

少々お知らせが遅れましたが、この機会にぜひ一読を期待します。
http://www.geocities.jp/shougen60/shougen-list/genbaku-mokuji.html



11/25月例会報告

「枝葉末節」はその場だけ

「枝葉末節」に対して原典は、根源であり元であり根本であることを意味している。今回は枝葉末節の議論はその場だけにして、根元につながるテーマを取り上げることにしたい。
 ところが得てして枝葉末節の議論は、枝葉に花が咲き実がみのるように興味を引き面白くもある。それは土の下に埋もれている根よりも色とりどりの花や甘い実のほうに魅力があることに似ている。

 今月のデーマの中でも「8月15日の刻限」は最も重要な問題を含んでいる。にもかかわらず、ほとんど話題としてとりあげる時間がなかった。ここで「道の原典研究会」という名称を再確認し、枝葉末節の議論ばかり花が咲いた状態を、私自身を含めて反省すべきと自覚している。
 
 すでに5年前になるが 『中山みき:秘められた大預言』 を学研から出版した動機は、ひとえに昭和20年8月15日を「第三の刻限」と自覚し、それから66年後に突発した福島原発事故を「第四の刻限の予兆」と実感したからであった。
 最初に「序章」のワープロ原稿ファイルだけをメールで送信した学研の編集長(全く無縁であった)から、全文を読んでみたいからファイルを全部送るようにとの返信があり、その通りに送信したところ、手を入れないで無条件で出版企画したいとのメールが届いたのであった。
 教外の出版社が理解してくれたのだから、教内のようぼく教会長もきっと関心を示してもらえるに違いないと期待した私が浅はかであった。枝葉末節の内容なら興味を示されたのかもしれないが「刻限」という原典の言葉そのものが拒否反応に近い受け取り方をされたとしか思えない。

 ここで前記の「8月15日の刻限」について序章の一節から引用することとしたい。
「昭和20年の敗戦」(16、17頁より)
 第三の刻限は、みきが現世を去った明治20年からちょうど60年後の昭和20年8月15日、310万人の国民と中国や東南アジアを中心として2千万人にのぼる罪なき民衆を犠牲にした末に太平洋戦争に完敗した年にあたる。その結果、戦後の大変革によって自由・平等・人権が保障されるようになった。「上・高山」を「一列ろくぢ(平地)に踏みならす」と予告された神意が日本において実現したのは決して偶然ではない。
 中山みきの天啓を20年にわたって受け継いだ愛弟子・飯降伊蔵の「さしづ」(啓示録)は、いずれ日本の将来は敗戦の悲劇に終る預言が焦点となっている。すなわち、日本が「怖き危なき道」に行き詰まり「隅から隅まで涙を流す日」があり、大変革により再生する刻限が到来することを半世紀前から預言されている(いわしくは後述)。
 莫大な犠牲を払った末に戦争に敗れた日本は、アメリカの民主主義による新憲法の制定によって自由・平等・人権が保障されることになった。
 その敗戦の日から66年後の平成23年、「3・11」と呼ばれる東日本大震災の日こそ、最も身近な「刻限」の予兆に違いない。今こそ「この世は神のからだ」「真実というは火水風」の神示がキーワードになっている真実を本書で明らかにしたい。
 しかも、戦後の日本で原子力の平和利用という国策で国民大衆を安心させ、莫大な予算を計上して原発利益共同体を構築し拡大してきた「上・高山」の計画が表に現われ「善と悪とを見分けする」べき情況が現出している。
 かくいう私自身、資源の乏しい日本には原子力の平和利用によるクリーンなエネルギーの開発が必要との宣伝や安全神話を鵜呑みにして、原発推進を容認し黙過してきた不明を恥じている。
 その反省に立って明治から現代に至るまでの歴史を振り返る時、「天の啓示」によって、すべては見抜き見通されていたことを確認することができる。と同時に、今こそ「秘められた原典の神示」を世の中に伝える責任を痛感し、公刊する心定めをしたのであった。(後略)

 以上、引用が長くなったことをお許し願いたい。
 要するに、72年前の8月15日を「第三の刻限」と自覚しなかったことが、戦後に自由・平等・人権を元として大変革された法律に応じていないゆえに、戦後は「応法の道」とさえ言えない道に陥っている原因である。にもかかわらず、その原因となっている「第三の刻限」を未だに自覚していないのが教内の現実といわざるを得ない。

 翌日の26日、本部祭典後の午後2時からの「原発に頼らない生き方を教理に求めて」をテーマとする公開講座の高嶋道興講師と再会の挨拶を交わした。高嶋氏は34年にわたる反原発運動の貴重な体験を通して 『秘められた大預言』 について最高の理解者であることを確認することができた。
「この世は神のからだ」といわれる原子核を人工的に破壊して高熱を出す原発の技術は「天然自然の理」に対する反逆であり、それ故に自然にはない放射線が拡散して人体を蝕む結果となることは間違いない。
 

  
*CommentList

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ただし、加入するかどうかは自己責任で決めてください。




11/25 (土)道の原典研究会案内

平和の会/原発問題に関連して

早くも11月となり、今年もあと1ヵ月あまりとなりました。
改めて月日の経つのが早いのに驚くばかりです、

毎月26日同じ三島公会堂で例会をもっている天理教平和の会初代代表の長谷
川俊夫代表が92歳でお出直されたとの訃報に接し、さらに奥様も淋しさを感
じる間もなく7時間後に出直されたと聞いて、仲良し夫婦の手本と敬服した
次第です。
戦争体験の取材にも協力して頂いた長谷川先生は平和を守る活動に一生を捧
げられました。謹んでご冥福をお祈りする次第です。

なお、原発問題を考える市民の会主催の第6回公開講座が 翌26日午後2時
から開催されます。
新潟県巻町に建設予定だった原発を数年にわたる町民の反対運動で中止に追
いこんだ体験者・高嶋会長の貴重な提言に耳を傾けたいと思います。

日 時 11/25(土)午後1時~5時

会 場 三島公会堂 1階 東会議室

   (天理市三島町407/本部より本通り商店街を西へ徒歩10分

   又一呉服店の角を右へ50m右側/道の北側に広い駐車場あり)

テーマ 米国・北朝鮮情勢の展開は?
    来年の政治・経済情勢の予測(人間に先は見えないとしても)
    12月8日、8月15日の刻限について
    原発問題を考える第6回公開講座11/26午後2時開催の件
    (案内チラシ配布の上)
    参加者の自由な発言と提案

参加費 1人500円(会場費・茶菓代・配布資料を含む)
個人相談(担当=岩井 猛 顧問)



原発に頼らない生き方を教理に求めて


(上のファイルをクリックして拡大してください)

上記タイトルの通り
「原発問題を考える市民の会 第6回公開講座」
が天理市内の詰所で開催されます。

開催の日時はファイルに記されている通り

今月(11月)26日午後2時〜5時

中和詰所5階大広間(天理市川原城町350)

万障繰り合わせてのご参加をおすすめします。

メルマガ<心のテープ>アーカイブ

(64号)銀杏ー金融危機ー20年の刻限ー天刻の集い
                  配信日:2008/10/23

 先日10日ほど前、親里大路から南大路にかけて車で走っていたら、
イチョウ並木の所々で樹木の根元が黄色くなっているのに気づいた。
よく見ると、銀杏の実が沢山に重なるほど落ちていた。前日の風に
揺すられて落ちたに違いない。
 天理市に長らく住んでいながら、銀杏は棒で叩き落すものと思い
込んでいた。誰もまだ気がつかないのか拾っている人はいない。落
ちているものを拾ってもとがめ立てはされないだろうと思った私は、
すぐにうちへ帰って、チリトリと竹の八つ手を車に積んで、予め目
星をつけていた南大路のイチョウの樹の近くで停車した。銀杏を急
いで掻き集めている私の頭上にも、風に吹かれて落ちた銀杏が命中
した。
 その結果、僅かの間に銀杏がバケツ一杯になった。そして、バケ
ツに水を入れて銀杏を漬けておいて、10日ほどで皮が柔らかくなっ
たので、ゴム手袋で実をこすって種を取り出して何遍も洗って乾か
している。うっかり汁が皮膚につくと痒くて難儀するとか。
 じつは、これほど手間の掛かる作業とは思わなかった。が、干し
た銀杏の種を煎って独特の味を楽しむ日が待ち遠しい。これも天の
恵みと有難く戴くことにしたい。しかも、この銀杏は他でもない親
里で実ったのだから値打ちが違うと言いたいのだ。
 
 銀杏を水に漬けている間に、それどころではなくアメリカ発の金
融危機と世界同時の株暴落が表面化した。
 前々から私は気になっていたことがある。教祖がお姿を隠された
のが明治20年、日本が「ろくぢ」に踏み均された敗戦の年が昭和20
年、そして今年は平成20年——こうして20という数字が重なると偶
然とは思えない意味が含まれていると思われるのだ。
 世間一般でも「暴走した欲望に振り下ろされた天の鉄槌」と表現
している論者もある。緊急に実施された資本注入とか公的資金投入
などの対策は、政府が銀行を管理もしくは国有化する前代未聞の国
家資本主義に急変した状態とも言われている。
 果たしてそうした政策だけで事態が治まるのかどうか。ネットの
予測サイトでは、来年は「地獄の夏」となり、アメリカ国内で民衆
の暴動や改革の動きが広がるだろうと予測している。
 
 今はおさしづを仰ぐことはできないが、見えん先から預言されて
いる過去の神示から思い合わせれば、この金融危機が決して偶然で
ないと読み取ることができるだろう。
 間違いなく言えることは、どのような刻限であれ、人間の暴走を
心配して方向転換を促す親心を信じる限り、結果として神の望まれ
る陽気づくめの方向に近づくための節に違いない。
 明治20年の刻限では、教祖のお姿を拝することはできなくなった
が、そのため官憲は教祖の身柄を拘束できなくなるとともに、この
道は野原に火を放ったごとく10年後には300万人の信者を数えるに
至っている。
 昭和20年、敗戦の刻限はどうか。もしあの戦争に負けていなけれ
ば、軍部権力の独裁が続き、思想や信仰、言論の自由も圧殺された
ままの北朝鮮のような国になるだろう。
 そして今年は平成20年、3度目の20年が到来している。
 
 教祖が現身を隠される前夜(旧暦1月25日夜)の飯降伊蔵を通し
ての啓示に、
「さあ/\すっきりろくぢに踏み均らすで、さあ/\扉を開いて/\
一列ろくぢ、さあろくぢに踏み出す。……」(教祖伝324頁)
 と記されている。
 また後々の「おさしづ」の節々に、
「さあ/\変わる/\。今まで弱き者が強くなる。今まで強き者が
弱くなる」(20.3.16)
「さあ/\これ/\、秋を合図と、これまでだん/\に言うてある。
秋を合図に見え掛けるで」(21.11.1)
「刻限の理というは、違うという事は一つも無い」(22.11.6)
「さあ/\怖わや恐ろしやと、前々諭してある。一日の日と言うて
ある。一日の日は一代と取れ。一代の道にはいかなる道もある。
すっきり洗い替える」(23.9.2)
「これから先は自由の道を付ける。……さあ思わく通りにするで」
                       (23.9.11)

 明日24日は初めての試みで企画した「天刻の集い」を開催するこ
とになっている。私としては、いわゆる「オフ会」のつもりでいる。
 思えば、この週刊メルマガ<心のテープ>にしても58人の読者は
みんな匿名で、住所も名前も分からないからこそ登録して下さって
いるとすれば、参加することで各々の個人情報がわかるので、やは
り二の足を踏むことになるだろう。とすれば、ネットで発信するこ
とに専念していればいいのかも知れない。
 
 今さら後へ退けない思いでいると、有難いことに、今までに本を
注文して下さった読者や知人から少数ではあるが参加の連絡を頂い
ている。
 中にはカナダ在住30年になるようぼく読者からのメールも受信し
た。今年は帰参できないので残念だが、来年の教祖誕生祭に帰参す
る折りには初対面したいという有難い文面であった。
 またメルマガ61号で紹介した大内氏からも書面が届き、夫人がい
よいよ今月末にケニアに出発する予定で、自分も仕事の関係で今月
は帰参できないとのことで、経費に充てるようにと金一封を寄付し
て下さった。
 当日の参加者の多少にかかわらず有意義な時間を共有したいと願
っている。参加者には「天理教の歴史と現実」と題するレポートを
お渡しする予定にしている。

(追 記)

10年近く以前のメルマガを再投稿したが、今年も天理市内のイチョウ
並木は黄金色に染まりかけています。
文中にある「天刻の集い」は「天理と刻限」の略称です。その後、
会場を中和詰所に移したが、私自身が身上の重い障りをいただいて
いる間も岩井顧問を中心に月一回の会合は続けられていた。
3ヵ月あまりで私が再起してからは、さらに一般向きの会場を求め
て三島公会堂に移動して現在に至っています。


民主主義が劣化・衰退した原因と結果

 最近起こった自殺を願望する若者9人の殺人事件にせよ、親による児童虐待、生徒間のイジメにせよ、すべて自分よりもっと弱者に対する無情な行為によって占められている。政治も然りで、権力は弱者を無視し、テロ行為はさらに弱い立場の民衆に対して無差別に被害を拡大する。

 これらの事件の原因は、自由平等を旨とする民主主義の劣化衰退にあると言わずにはいられない。これらの現実は、かつて岡潔博士が警告していた情緒教育の欠如による恐るべき結果の一端に違いない。
 そこで半世紀前の名著を読み返してみたい。

 岡潔:個人研究サイトより「情緒と幼児教育」植田義弘
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/6251/meicho.html



アノミー(倫理崩壊)現象と世相分析

 昨日(10/31)から今日にかけてテレビや新聞、ネットでは下記の犯罪について事実だけを並べて報道している。
容疑者「女性殺害、ばれると思い彼氏も」 座間9人遺体
 神奈川県座間市のアパートで9人の切断された遺体が見つかった事件で、9人のうち2人は恋人同士で、死体遺棄容疑で逮捕された無職の白石隆浩容疑者(27)が「彼女を殺した後、警察にばれると思い、彼氏も殺した」と話していることが、捜査関係者への取材でわかった。警視庁はこの男女が事件の最初の被害者とみている。(朝日新聞デジタル)

これが客観的報道というものだろうが、このような事件が起こる原因は何か、何事も原因があって結果があるとすれば、その原因を深く分析する必要があると思う上から、「アノミー現象」として最も客観的に分析した小室直樹氏(故人・万能の学者として著書多数)の論文を紹介したい。原因を解明しない限り、同じような事件を解決することができるはずはない。

*アノミーとは何か

 小室氏の著書のキーワードは「アノミー」の一言にある。もともとアノミーという用語は、フランスのエミール・ディルケーム(1858~1917)によって社会学に適用された。ディルケームの代表作には「自殺論」がある。
 アノミーの意味をネットで調べると、
「アノミー (anomie) は、社会秩序が乱れ、混乱した状態にあることを指す「アノモス(anomos)」を語源とし、宗教学において使用されていたが、デュルケームが初めて社会学にこの言葉を用いたことにより一般化した。デュルケームはこれを近代社会の病理とみなした。社会の規制や規則が緩んだ状態においては、個人が必ずしも自由になるとは限らず、かえって不安定な状況に陥ることを指す。規制や規則が緩むことは、必ずしも社会にとってよいことではないと言える」
「アノミー」は次のように分類される。
(単純アノミー)急激な生活環境の変化や新旧規範の葛藤による不安と混乱の状態。
 かつての阪神大震災のような場合、人間の側に責任のない自然災害が原因であり、価値観や規範が急変し喪失したのではない故に、被害者に心理的な混乱はなかった。むしろ平穏であるべき自然の変動に対して「ボランティア元年」といわれるような連帯感による奉仕活動が生まれた。アノミーとは、あくまで無規範や無秩序という心理状態に関わる現象に限られている。

(急性アノミー)信じ切っていた権威が急に失墜して裏切られた時の心理的パニック。社会全体の中心にあって秩序を保っていた規範の解体によって広がる混乱と不安。敗戦後の天皇の人間宣言もその一つ。敗戦後の日本は臨床心理学者の河合隼雄氏が「中空構造」と呼んだように、国民全体に共通の精神的中心を失ってしまった。

(原子アノミー)すべての規範が分散・断片化し、常識が失われ、個人が孤立する。その結末は自殺願望か破壊衝動か、いずれかに走る。無差別殺人や幼児虐待にエスカレートする場合もある。
 このように断片化した規範が複合した社会では、同時に年齢や職業による断層化と疎外感が深まっていく。その結果、自分個人にしか通用しない理由によって欲望を満足させようとする事件が多発する。これは、文字通り「孤立アノミー現象」と呼ぶ他はない。その事例は、秋葉原事件をはじめとして枚挙にいとまがない。こうした反社会的犯罪の多発化によって、社会の秩序が乱れる危険が増大していく。
 特に「単純アノミー」や「急性アノミー」が同時に複合すれば、社会不安や混乱に陥りかねない。

(構造アノミー)独自の宗教的信念を中心とする集団(宗教的共同体)が、その反社会的構造から発生する社会との断絶によって危険に陥る状態。さらに内と外の二重規範が形成され、建前と本音の乖離と矛盾によってついには破綻に至る。
 戦後の恐るべき事例として、オウム真理教による地下鉄サリン事件がある。今さら申すまでもなく、教団内部では殺人が救済の手段と信じられていた。殺人という極端な場合は別としても、金銭や性や暴力などが内部の規範と信じられる場合もあり得る。
 構造的アノミーに陥った組織では、成員の関心は内部に集中し、内部だけに通用する慣例、規範、規律などが神聖視され、一切の批判を受けつけず、無条件の遵守を求められる。
 以上の状況は、かつての軍国主義日本帝国においても典型的に実現されていた。すなわち天皇を神人とする国家神道を国教として、八紘一宇(天皇の権威を八方に拡大して世界を統一する)幻想を全国民に信じさせ、戦争によって実現しようとした。その幻想を少しでも批判する者は国賊と呼ばれ、不敬罪に問われ、弾圧・投獄された。
 構造的アノミーの恐ろしさは、個人による殺人事件と異なって、戦場では数万数十万単位で敵味方による正義の殺人が行われることにある。

*傍観者の視点を超えて

 上述した単純アノミーの原因として、急激な生活環境の変化や新旧規範の葛藤による不安と混乱が指摘された。この状態は、たしかに現代の日本社会においても見受けられる。その具体的な状況としては、戦後の核家族化に伴う高齢者との別居による子育ての知恵と経験の喪失がある。とすれば、何らかの手段によって両親に育児のノウハウを伝える方法があれば、未然に問題を解決できるのではないか。
 じつは育児放棄や幼児虐待は日本ばかりでなく、欧米でも拡大して社会問題となり、事件が起こってからではなく未然に防止すれば社会的損失は大幅に縮小されることが分かっている。そのため、あらゆる統計や実験を重ねた結果、虐待防止プログラムが完成しているという。日本でも虐待防止のために「コモンセンス・ペアレンティング」訳せば「子育ての常識」を教育し実践するセミナーが各地で開かれている。
 以下、社会福祉講座を受講する機会に講義を受けた「虐待防止プログラム」の実践活動を紹介したい。講師の堀健一氏は、社会福祉施設で虐待された子どもらの世話と防止の指導をしているプロで、アメリカでも実地に経験と学習を積み重ねてきたと自己紹介があった。
 じつは、多発する育児放棄や幼児虐待のニュースを聞くたびに私は、義理の親子関係や個人的な性格の欠陥によるのではないかと憶測していた。たしかに親が自分から解決しようとする意欲と目的があれば、情報はいくらでも用意されている。とはいえ、身近に育児の経験者がいないことが事件の一因になることは否定できない。
 
 家庭教育の重要性を説く講師は断言する。核家庭で赤ん坊を初産して母親になっても、育児の仕方を書いた説明書が添付されているわけではない。今やまともに子育てできる親は一〇%以下しかいない。全くシツケの仕方を知らない家庭が山ほどある。無知ほど恐ろしいものはない。その結果、幼児が親の言うことを聞かず、親の思い通りにならないと、ののしるか放置するか、どちらかしか方法はない。さらに幼児が言うことを聞かない態度が繰り返されエスカレートした結果が、虐待となり育児放棄となる。初めからすき好んでそんな行動をとる親は滅多にいない。
 
 ここでこれ以上、虐待防止プログラムの実際を勉強するわけにはいかないので、子育て支援の要点だけ紹介しておきたい。但し、知識として知っていることと実行できることとは違うので、講習ではトレーニングが重視される。
 しつけの仕方は、子どもを「褒める」ことが先で、8対2の割合で「叱る」のがベスト。叱る場合、具体的に言わないと子どもは理解できない。
 あいまいな言葉を使って注意しても、子どもの身になれば、何のことか理解できず、言うことを聞きようがない。したがって、子どもでも理解できるように具体的に表現する必要がある。例えば、上は× → 下が◯
 ちゃんとしなさい→こんにちはと挨拶するのよ
 いらんことしないで→椅子を蹴るのはやめてね
 しっかりしなさい→家まで自分で歩けるでしょう
 親は感情的にならないよう気を鎮める訓練を積み重ねる必要がある。落ち着けば解決する。講習では落着きかたの練習もプログラムに入っている。
 要するに「子育ての常識」を身につけるのが目的で、何も難しい問題はない。アメリカでは防止のために払う一ドルは、実際に虐待が起こってから必要となる一〇〇ドル一〇〇〇ドルに相当すると言われている。幼児期に虐待を受けて成人した親は、こんどは自分が子どもに虐待を繰り返すことになる。
 里親を対象とする講習を受講してトレーナーの資格を取得して活動すれば、親子の救済につながることは間違いないだろう。
 
 社会にせよ集団にせよ、最高で完全な規範は「天の理」にある。とくに人体ほど完璧な組織システムはない。組織の内外が二重規範になることなく、天の理に適った規範をモデルとして世の中に映していくことこそが天然自然の順序に違いない。
 組織内部も世の中も、自然の秩序に反する複合的な構造的アノミー状態では、前途は共倒れする以外にないと言わざるを得ない。
(追 記)
 この章のテーマに関連して、このブログに投稿している岡潔博士:幼児の情緒教育に関するファイルを再読してくださることをお勧めしたい。

追 記=カッコ内は筆者による補足)
●生前の対談の中で小室直樹氏は、質問に答えて次のように発言している。
「ずばり結論言いますと、よく近代国家のエレメントとして、司法、立法、行政という三権のチェックス・アンド・バランスがあげられますね。ところが今の日本では、それ全部を役人が簒奪(横取り)しているんですね。行政府はもちろん、立法権って言ったって議員立法なんか実質的にできないです。法律もみんな役人が作ってる。検事も裁判官もみんな役人でしょ。要するに役人が三権を簒奪している。仮に三権を一人で持っているのが主権者だとする。やっぱり一番主権者に近いっていうのは役人。」

●これからの近未来の日本がどうなるか、との質問に答えて、
「ものすごいアナキー(無政府的)な状態になる。アナキーな時代=戦国時代、明治維新、両方ともものすごい混乱、ものすごいアナーキーですよね。そこから新しいものが出てくるわけです。だから悪いとは限りませんね。でも悪い側面もたくさんある。安定はなくなる。」
 HP『マジメな話』=岡田斗司夫 世紀末・対談の内より転写

10/25月例会報告

「よろづいさいのもと」を自覚しよう

1時を過ぎてもほとんど参加者の姿がみえないので、秋の大祭の前日だから行事もいろいろあるためかと諦めていたら、最終的には15名(うち女性1、初参加2)になった。少々時間はずれたが、一応テーマを説明した。

 米国と北朝鮮の情勢については、先月も報告した通り予断を許さないが、私自身の立場としては、当事者となる両国に対して、何があっても核兵器だけは絶対に使わないように要請するべきと信じている。ちょうどノーベル平和賞が核兵器に反対する組織(ICAN)に与えられたが、日本では政府もマスコミの一部も殆ど無視する態度であった。
「ICANアイキャン」とは、核兵器全廃をめざす各国のNGO(非政府組織)が集まって2007年に発足、現在100カ国の400団体以上が参加している。今年7月には国連交渉の場で広島.長崎の被爆者が協力して核兵器禁止条約が122カ国の賛成で採択されたが、日本代表はアメリカに遠慮して欠席した。

 話題が一転して臨死体験者・木内鶴彦氏は、肉体を離れた意識が3次元の時間空間を超えて過去にも未来にも参入できる証拠を示している。教祖は生きながらにして超次元世界に通じていたからこそ、見えん先を見抜き見通し、10億年前の元初まりを説いて聞かされたのであった。
 木内氏の体験報告の一つとして、1万2千年前にさかのぼると琵琶湖と淡路島が元々は同じ土地であった証拠があるという。木内氏は地中海の上空から巨大隕石の衝突によって大陸が沈没した証拠を確認し、その衝撃が地球全体に波及して地下から突き上げられた琵琶湖の土地が飛び上がって落ちたのが淡路島になったという。琵琶湖と淡路島の地形や地質が同じであることからも実証される。また古事記をはじめとする古代の神話に、琵琶湖は一日にして出来た、淡路島は天から降ってきたと記録されている。だから地形がよく似ているのは当然ということになる。

 年金制度については、将来的に持続できるかどうか、未来はどうなるかは疑問といわずにはいられない。とくに国民年金については現在保険料を払っているのは65%に留まっていると公式に発表されている。とすれば、現在は別としても、将来は保証されているとはいえない。いずれは自己責任で解決する必要に迫られるだろう。
 厚労省の公式発表で90歳以上の高齢者が206万人も生存している現在、そのための年金を保障するだけで精いっぱいかもしれない。しかも最後の10年間は高齢者の殆どが医療を受けているのが現実となっている。

 自由な発言に移ると、一転して教会事情の話題になった。30代の初参加者は後継者の問題での悩みを打ち明けた。教会の建物だけは立派なので放置するわけにもいかない。が、長男は後を継ぐ気はなく、他の親族も「自分は知らん」と互いに押しつけ合って決まらない状態が続いている。そのなかで教祖は神か人間か、かんろだいとぢばのどちらを拝めばよいのか等々、疑問が次々と湧いてきて解決できない。
 一方、天理教に限らず他の教団も衰退の一途をたどり、いずれはすべての宗教団体は消滅するのではないかとの疑問もわいてくるという。

 他の参加者からも発言が続き、「陽気になろう」とか「素直になろう」「幸せになる道」と宣伝しているのは、現実にそうなっていない証拠で、そんなスローガンはうさん臭い。実際はその通り陽気にも幸せにもなっていないからスローガンを掲げているのだ。難儀不自由の中を通っている人ほど魂は成長しているのが本当ではないか、等々の発言が続いた。

 そこで私は黙って聞いていられなくなって発言した。教祖はこの道を「よろづいさいのもと」の理を説き聞かす」と「よろづよ八首」に宣言されている。その「よろづいさいのもと」を「聞きたくば訪ねくるなら言うて聞かす」と宣言されたのに、教会やようぼくが果たして「よろづいさいのもと」を説いて聞かしているだろうか。
 かつて明治・大正の頃、この道が全国に伸び広がったのは、それまで日本人が信じていた神仏、つまり山や森に、また社寺に鎮まっている神仏ではなく、生命あるすべての人の身の内に入り込んで守護している神こそ「元の神・実の神」であることを教えられ、その有難さに感謝感激したからであったに違いない。
 もちろん昔と違って現代は唯物科学が発達したためか「身の内はなれて神はなし」(教祖口伝)と聞いても、いくら体内を検査しても神に守護されている証拠はないと信じない人が多いだろうが、体内の細胞が一刻も休みなく新陳代謝している「働き」こそ物ではなく十全の守護の「理」以外にはない。
 残念ながら、人集めの行事や形だけ「おつとめ」していても、元の理がわからないままでは喜びは味わえない。神は自分の身の内に宿っていると説けば、それなら教会へ参拝しなくても自分を拝んでいればよい、と錯覚されては困ると心配するかもしれないが、決してそうではなく、多くのようぼくがそれぞれの「ご神体」を揃えて活き活きと「みかぐらうた」を唱和し「ておどり」する姿を共に勇んで楽しまれるのが真実の神であることは間違いない。・・・・

 言葉足らずの発言になったが、いずれは現在の唯物科学の限界が明らかとなり、物ではなく心(意識)を元として世界が成り立っていることが常識になる時代が到来する、と賛同してくれる声に励まされる思いであった。

(追 記)
 この報告を公開する責任上、十数年前に自分がまとめた教説『よろづいさいのもと=よろづよ八首を思案する』(A5版 pdfファイル/付録共87頁)を、ご希望のメールを下さった方に折返しファイルを添付して返信します(無料)。
よろしければ「よろづ」を送れ、と 下記メールアドレスあてに送信してください。
genten505@gmail.com




 
 

10/25 (水)道の原典研究会案内

肌寒い秋雨が続いて畑にも出られない 日々、甲子園では泥試合?の野球で阪神が逆転負けして残念でした。
「空高く馬こえる秋」が早く戻ってきてほしいこの頃の曇天つづき。
世の中は思わぬ衆院総選挙の終盤戦で日本の運命が決まろうとしています。
果たして無事に年末を迎えられるのかどうか・・・・

日 時 10/25(水)午後1時~5時
会 場 三島公会堂 1階 東会議室

   (天理市三島町407/本部より本通り商店街を西へ徒歩10分

   又一呉服店の角を右へ50m右側/道の北側に広い駐車場あり)

テーマ 米国・北朝鮮情勢の平和的解決はあり得るのか
    歌集「小さな抵抗ー殺戮を拒んだ日本兵」の紹介
   「木内鶴彦」氏に関する情報
    年金制度の将来
    参加者の自由な発言と提案

参加費 1人500円(会場費・茶菓代・配布資料を含む)
個人相談(担当=岩井 猛 顧問)

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Facebook ページ<天理と生命の真実を求めて>の投稿記事
メルマガ<心のテープ>アーカイブ
  (63号)続々・初対面の来訪者
              配信日:2008/10/16
 10月12日、電話もメールもなく、とつぜん初対面の来訪者があった。2人連れで、1人は20代半ばの青年、もう1人は中年の男性であった。2人ともハッピを着ていた。つまり、にをいがけに回ってきたのだ。青年会ひのきしん隊に入っていて、休日だからパンフレットを配っているとのことであった。...
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https://www.facebook.com/iinochi16527/



続・初対面の来訪者(再掲)

メルマガ<心のテープ>アーカイブ(62号)
  続・初対面の来訪者
                配信日:2008/10/9
 (前略)
 それから十日ほど後に、やはり関東方面の読者から電話があった。今おぢばに滞在しているので一度会って話したいとの用件であった。その晩は都合がわるかったので、翌晩に詰所でお会いする約束をした。というのは、うちは市内でも西の外れにあるので、車がなければ歩いて来られるには遠すぎるからだ。
 
 その晩、初めてお目に掛かったのは、やはり60代の紳士で、東京で税理士をしながら自宅で布教所を開設しているというS氏。やはり天理教の組織とか立場には囚われず、何とか親神様・教祖の教えを現代の社会に伝えたいと、月一回ミニコミ紙を150部ほど友人知人に配っていると聞いて感心した。
 左足の膝あたりが痛んで色が変わっているとのことで、おぢばへ帰参したついでに憩の家で診察を受けるつもりと聞いたので知らん顔はできず、おさづけを真剣に取り次がせて頂いた。
 
 S氏に限らず天理教を少しでも客観的に観ることができる人は誰でも、今までの組織体制のままでは、将来発展するどころかジリ貧になっていくことは自明の理と実感している。
 仮に部内教会が何カ所・何十カ所あっても、枝先の末端教会が枯れていき花も咲かず実も結ばなくなれば、幹も枯れてしまう。今や枝葉が落ちて枯れ木寸前の状態があちこちで見られる。世の中の人々も教会を振り向いて見ようともしなくなっている。
 もちろん1万7千カ所の中には、特別に環境とか肥料に恵まれた樹木に例えられるような教会もあって、今でも珍しく花を咲かせているので、教内の出版物は、そうした珍しい花ばかり探して紹介しているのが現状だ。
 
 それでは天理教という教団を再生するための変革は可能かと言えば、私は殆ど変革のエネルギーは残っていないと断定せざるを得ない。何故ならば、まともな末端教会の後継者は、上級教会を支えるために自分の一生を賭けたいとは思わないし、教団の改革などに努力するより教会を離れて社会に出て働くことを選択するのは当然なのだ。しかも教会数から言えば、いわゆる末端教会数が全体の3分の2を占めている。
 
 あと10年も経たないうちに過半数に当たる教会が衰退していけば、困るのは上級や大教会であり本部である筈だが、上からの構造改革は何一つとして計画されていない。すべて個人レベルの責任に帰されて、全体レベルとして危機感も衰退の原因も無関心なまま現在に至っている。
 すでに10年20年前から私は、今のような状況に陥ることを事あるごとに予測し発言してきたつもりだが、その目的は教団上層部が困るからではない。
 親神様・教祖は、真実の教えを知らないまま道から離れていくようぼくを、何より残念と思われるに違いないからだ。つまり、教会で通用している教理と、原典に基づく神一条の理という二重構造に原因があることを知らせたいのが私の目的であった。
 
 これからも私の目的は変わらない。教団の構造改革のエネルギーはどこにも蓄積されていないとしても、ようぼく個人の意識革命は可能であるはずだ。
 現実の天理教に失望して離れていく前に、せめて本当の親神様・教祖の教えに目覚めてもらいたいのだ。そうして教団や教会がどうあろうと、一人ひとりが自立した信仰、元の神・実の神に向き合う信仰を確立してほしいのだ。
 ──こんな思いをSさんに聞いてもらったのだが、彼も全面的に同感の意を示して下さった。
(追 記)
以上、10年前の私の危機感は、今まさに現実になろうとしている。
世の中もまた「鏡やしき・ぢばの理」とさしづされた通り、合わせ鏡のごとく危機的情況にある。
もう一度、昭和20年(72年前)に匹敵する内外の大きな事情が再来しないとは誰も言い切れない。その時、「刻限」の再来と信じるか否かで未来は決まるに違いない。
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孫崎享のつぶやき(元外務省・国際情報局長)
日本社会、江戸時代の体質引き継ぎ。ノーマン「江戸時代の特色、幕府の支配的原則は一口でいえば、(一)国家のためになることだけが正しい、(二)私の道徳というものは存在せず、公の道徳だけが存在する」
http://ch.nicovideo.jp/magosaki/blomaga/ar1344569

(以上の記事はFaebook<天理と生命の真実を求めて>にも投稿しています)


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植田義弘

Author:植田義弘
今年(2016)8月4日に朝日新聞の取材を受けて記事と共に掲載された近影です。記事については8/15更新のブログを参照してください。今年84歳にしては若く見えるでしょう?

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『原典を元とする理の研究』から教義の基本となる序章と第一章を抜粋してまとめたpdfファイル(37頁分)を無料提供します。

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